第37回
106〜108話
2020.02.18更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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106 指導的立場にある人物はゆったりと落ちつき、そして素直な元気さがある人が良い
【現代語訳】
士君子という立派な人格者は、軽々しくふるまってはならない。軽々しくしていると自分というものが、外のものにふりまわされてゆったりと落ちついた雰囲気がなくなってしまう。かといって、一方で、心を重々しすぎてもいけない。重々しすぎると自分というものが、外のものにとらわれすぎて素直な活発さがなくなってしまう。
【読み下し文】
士君子(しくんし)(※)、身(み)を持(じ)するは軽(かる)くすべからず。軽(かる)くすれば則(すなわ)ち物(もの)能(よ)く我(われ)を撓(たわ)めて(※)、悠間鎮定(ゆうかんちんてい)の趣(おもむき)(※)無(な)し。意(い)を用(もち)うるは重(おも)くすべからず。重(おも)くすれば則(すなわ)ち我(われ)物(もの)の為(ため)に泥(なず)みて、瀟酒活潑(しょうしゃかっぱつ)(※)の機(き)なし。
(※)士君子…本書の前集60条参照。
(※)物能く我を撓めて……外のものにふりまわされて。
(※)悠間鎮定の趣……ゆったりと落ちついた雰囲気、風格。
(※)瀟酒活潑……素直で活発な心のはたらき。すっきりとしていて、かつ生き生きと元気な心のはたらき。
【原文】
士君子、持身不可輕。輕則物能撓我、而無悠閒鎭定之趣。用意不可重。重則我爲物泥、而無瀟洒活潑之機。
107 生きる楽しみと喜びを味わいつつ、無駄な時間を過ごしていないか確認する
【現代語訳】
天地は永遠に続くが、我が人生は二度とはない。寿命はせいぜい長くて100年であって、あっという間に過ぎてしまう。幸いなことにこの世に生まれてきた者は、生きている楽しみと喜びを知るべきである。また、同時に無駄な時間を過ごしていないか、とのおそれも持つべきである。
【読み下し文】
天地(てんち)には万古(ばんこ)有(あ)るも、此(こ)の身(み)は再(ふたた)び得(え)られず。人生(じんせい)は只(た)だ百年(ひゃくねん)のみ、此(こ)の日(ひ)最(もっと)も過(す)ぎ易(やす)し。幸(さいわ)いに其(そ)の間(かん)に生(う)まるる者(もの)は、有生(ゆうせい)の楽(たの)しみ(※)を知(し)らざるべからず、亦(ま)た虚生(きょせい)の憂(うれ)い(※)を壊(いだ)かざるべからず。
(※)有生の楽しみ……生きている楽しみ(と喜び)。本項の解釈については、本書の前集6条、104条も参照。
(※)虚生の憂い……無駄な時間を過ごしていないかとのおそれ。
【原文】
天地有萬古、此身不再得。人生只百年、此日最易過。幸生其閒者、不可不知有生之樂、亦不可不懐虛生之憂。
108 恩と仇は水に流すのが最善である
【現代語訳】
うらみは、一方に徳を施すことによって現れやすい。だから、人に徳を施したら、感謝など期待せずに、徳もうらみも両方忘れてもらったほうが良い。また、仇は、一方に恩恵を施すことによって生じやすい。だから、人に恩恵を感じさせようとするよりは、恩恵も仇も両方なくなってしまうようにするのが良い。
【読み下し文】
怨(うらみ)は徳(とく)(※)に因(よ)りて彰(あら)わる(※)。故(ゆえ)に人(ひと)をして我(われ)を徳(とく)とせしむるは、徳(とく)と怨(うら)みの両(ふた)つながら忘(わす)るるに若(し)かず。仇(あだ)は恩(おん)に因(よ)りて立(た)つ(※)。故(ゆえ)に人(ひと)をして恩(おん)を知(し)らしむるは、恩(おん)と仇(あだ)の俱(とも)に泯(ほろ)ぶる(※)に若(し)かず。
(※)徳……ここでは善意、恩恵を指す。徳と相手の感謝見返りなどについては、本書の前集51条、52条参照。本項の解釈については、前集115条も参照。
(※)彰わる……現れる。明らかになる。本項は、実際にそういう経験をしたり、見てきたりした著者の洪自誠のみが言えることである。私も自分の体験から、洪自誠の言っていることが本当に正しいと断言する。
(※)立つ……生じる。起きる。
(※)泯ぶる……なくなってしまう。消え去る。
【原文】
怨因德彰。故使人德我、不若德怨之兩忘。仇因恩立。故使人知恩、不若恩仇之俱泯。
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