第58回
169〜171話
2020.03.19更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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169 人は地位、財産、見かけで評価しやすいが気にしないことである
【現代語訳】
もし、私が高い地位にあれば、人は何かと私をかつぎ出す。しかし、それは私の表面上の地位や財産、そして立派な見かけのためだ。もし、私が低い地位にいれば、人は何かと軽べつし馬鹿にする。しかし、それは私の表面上の地位や財産のなさ、みすぼらしい見かけなどのためだ。だとすれば、人はもともと私そのものを持ち上げるものではない。それなのにどうして喜べようか。人はもともと私そのものを馬鹿にするものではない。それなのにどうして怒りが湧くだろうか。
【読み下し文】
我(われ)貴(とうと)くして人(ひと)之(これ)を奉(ほう)ずるは、此(こ)の峩冠大帯(がかんだいたい)(※)を奉(ほう)ずるなり。我(われ)賤(いや)しくして人(ひと)之(これ)を侮(あなど)るは、此(こ)の布衣(ふい)草履(そうり)(※)を侮(あなど)るなり。然(しか)らば則(すなわ)ち原(もと)我(われ)を奉(ほう)ずる(※)に非(あら)ず、我(われ)胡(なん)ぞ喜(よろこ)びを為(な)さん。原(もと)我(われ)を侮(あなど)る(※)に非(あら)ず、我(われ)胡(なん)ぞ怒(いか)りを為(な)さん。
(※)峩冠大帯……高い冠と大きな帯。高位高官の礼服。立派な見かけ。
(※)布衣草履……もめんの着物とわらぐつ。見すぼらしい見かけ。
(※)原我を奉ずる……もともと私そのものを持ち上げる。本項の解釈については、本書の前集143条も参照。
(※)原我を侮る……もともと私を馬鹿にする(低く見る)。なお、本項と同じ趣旨のことを高らかに述べた『論語』の名文がある。「子(し)曰(いわ)く、疏食(そし)を飯(くら)い水(みず)を飲(の)み、肱(ひじ)を曲(ま)げて之(これ)を枕(まくら)とす。楽(たの)しみ亦(ま)た其(そ)の中(なか)に在(あ)り。不義(ふぎ)にして富(と)み且(か)つ貴(とうと)きは、我(われ)に於(お)いて浮雲(ふうん)の如(ごと)し」(述而第七)。また、『老子』も、「我(われ)を知(し)る者(もの)希(まれ)なるは、則(すなわ)ち我(われ)貴(たっと)し。是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は褐(かつ)を被(き)て玉(たま)を懐(いだ)く」(知難第七十)と述べている。『孟子』にも柳下恵(りゅうかけい)の次の言葉が紹介されており、本項の参考になる。「爾(なんじ)は爾(なんじ)たり、我(われ)は我(われ)たり。我(わ)が側(かたわ)らに袒裼裸裎(はだぬ)くと雖(いえど)も、爾(なんじ)焉(いずく)んぞ能(よ)く我(われ)を浼(けが)さんやと」(万章下篇)。
【原文】
我貴而人奉之、奉此峩冠大帶也。我賤而人侮之、侮此布衣草履也。然則原非奉我、我胡爲喜。原非侮我、我胡爲怒。
170 思いやりの心根が人間として一番大切なものである
【現代語訳】
「ネズミのために常にごはん粒を残し、ガが飛び込まないように灯をつけないでおく」と昔の人が詩(うた)っている。このような一点の思いやりの心こそ、万物とともに生きていく私たち人間の一番大切にしたい心根(こころね)ではないだろうか。こうした思いやる心がなければ、それこそ土や木でできている人形と同じぬけがらといえまいか。
【読み下し文】
「鼠(ねずみ)の為(ため)に(※)常(つね)に飯(めし)を留(とど)め、蛾(が)を憐(あわれ)みて燈(ともしび)を点(てん)ぜず」。古人(こじん)の此等(これら)の念頭(ねんとう)は、是(こ)れ吾人(ごじん)の一点(いってん)(※)の生生(せいせい)の機(き)なり。此(こ)れ無(な)ければ便(すなわ)ち所謂(いわゆる)、土木(どぼく)の形骸(けいがい)(※)のみ。
(※)鼠の為に……ネズミのために。ネズミが飢えないように。なお、ここの古人というのは蘇東坡(そとうば)( 蘇軾)(そしょく)である。宋代の有名な儒学者の一人でもある。文章が巧みであったと評価されている。
(※)一点……少しの。本書の前集15条参照。
(※)形骸……ぬけがら。
【原文】
爲鼠常留飰、憐蛾不點燈。古人此等念頭、是吾人一點生生之機。無此便所謂土木形骸而已。
171 人間の心は宇宙そのものである
【現代語訳】
人間の心は一つの小さな宇宙である(宇宙と同じものである)。喜びの心はめでたい星やめでたい雲であり、怒りの心はとどろく雷鳴や激しい雨である。また、思いやりの心は気持ちの良いそよ風や天から降りそそぐ甘露であり、厳しい心は夏の炎天や秋の霜である。これらはどれもなくすことのできない必要なものである。以上のように、人間の心も、一方で起こったかと思えば一方では消え、からりとして何のわだかまりを残さないようにしたい。それでこそ宇宙・天と一体となるのである。
【読み下し文】
心体(しんたい)は便(すなわ)ち是(こ)れ天体(てんたい)(※)なり。一念(いちねん)の喜(よろこ)びは、景星慶雲(けいせいけいうん)(※)なり。一念(いちねん)の怒(いか)りは、震雷暴雨(しんらいぼうう)なり。一念(いちねん)の慈(いつく)しみは、和風(わふう)(※)甘露(かんろ)(※)なり。一念(いちねん)の厳(きび)しさは、烈日(れつじつ)秋霜(しゅうそう)なり。何(なに)ものをか少(か)き得(え)ん(※)。只(た)だ随(したが)って起(お)これば随(したが)って滅(めっ)し、廓然(かくぜん)として碍(さわ)り無(な)きを要(よう)すれば、便(すなわ)ち太虚(たいきょ)(※)と体(たい)を同(おな)じくす。
(※)天体……宇宙。なお、佐藤一斎は『言志四録』のなかで、朱子のライバルであった陸象山の「宇宙(うちゅう)内(ない)の事(こと)は、皆(みな)己(おのれ)分内(ぶんない)の事(こと)、己(おのれ)分内(ぶんない)の事(こと)は、宇宙(うちゅう)内(ない)の事(こと)」という言葉を紹介し、男子の志はこのようであるべきとする。本項も陸象山の有名なこの言葉が前提となっているようだ。なお、前集128条は「吾が身は一小天地なり」と言っている。
(※)景星慶雲……めでたい星、めでたい雲。「景」も「慶」も、めでたいの意味。
(※)和風……気持ち良いそよ風。
(※)甘露……天から与えられる甘い不老不死の霊薬。中国古来の伝説では、天子が仁政を行うめでたい前兆として天から降るという(『日本国語大辞典』小学館)。なお、『老子』の聖德第三十二にも「天地(てんち)相(あい)合(がっ)して以(もっ)て甘露(かんろ)を降(くだ)し」とある。
(※)何ものをか少き得ん……どれもなくすことのできない必要なものである。「少」はここでは欠くの意。
(※)太虚……宇宙、天。
【原文】
心體便是天體。一念之喜、景星慶雲。一念之怒、震雷暴雨。一念之慈、和風甘露。一念之嚴、烈日秋霜。何者少得。只要隨起隨滅、廓然無碍、便與太虛同體。
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