第61回
178〜180話
2020.03.25更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
178 おかしな行い、まじない、占いなどを信用してはいけない
【現代語訳】
人を陥れる陰謀や怪奇な慣習、あるいは並外れた行動や不思議な能力など用いて、この世をうまく渡っていこうとするのは、禍いを招く原因となるだけである。平凡に見えるかもしれないが、ただ当たり前の徳と行いを積んでいくことこそが、人間本来の生き方を全うさせ、平穏な人生を招いてくれるのである。
【読み下し文】
陰謀怪習(いんぼうかいしゅう)(※)、異行奇能(いこうきのう)(※)は、俱(とも)に是(こ)れ世(よ)を渉(わた)るの禍胎(かたい)(※)なり。只(た)だ一個(いっこ)の庸徳庸行(ようとくようこう)(※)のみ、便(すなわ)ち以(もっ)て混こんとん沌(※)を完(まった)くして和平(わへい)を召(まね)くべし。
(※)陰謀怪習……陰謀や怪奇な慣習。
(※)異行奇能……並外れた行動や不思議な能力。『論語』には「子(し)、怪(かい)、力(りょく)、乱(らん)、神(しん)を語(かた)らず」(述而第七)とある。孔子も「異行奇能」を信じることはあまり好まなかったようだ。さらに、「民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神(きしん)を敬(けい)してこれを遠(とお)ざく、知(ち)と謂(い)うべし」(雍也第六)とも言っている。また、孫子も、占いや迷信ごとなどを軍隊においては禁じるべきとした。「祥(しょう)を禁(きん)じ疑(うたが)いを去(さ)らば、死(し)に至(いた)るまで之(ゆ)く所(ところ)無(な)し」(九地篇)という。
(※)禍胎……禍いを招く原因。禍いのもと。
(※)庸徳庸行……当たり前の徳と行い。平凡な実践と行い。
(※)混沌……人間本来の生き方やあり方。自然の姿。
【原文】
隱謀怪習、異行奇能、俱是涉世的禍胎。只一個庸德庸行、便可以完混沌而召和平。
179 耐えることは必要、大切なことである
【現代語訳】
「山を登るときには険しく傾斜した山道を耐えて歩き、雪道を行くときには危ない橋を耐えて進まなくてはならない」という昔の人の言葉がある。この「耐」という一字が、極めて意味があり大切である。人情は険しく、世のなかは生きづらい。もし、この「耐える」という言葉を支えにしていかないと、どれだけの多くの人が、やぶや草むらに足をとられてしまい、また穴や堀に落ち込んでしまうかわからない。
【読み下し文】
語(ご)に云(い)う、「山(やま)に登(のぼ)りては側路(そくろ)(※)に耐(た)え、雪(ゆき)を踏(ふ)んでは危橋(ききょう)に耐(た)う」。一(いつ)の耐(たい)の字(じ)、極(きわ)めて意味(いみ)有(あ)り。傾険(けいけん)の人情(にんじょう)、坎坷(かんか)(※)の世道(せどう)の如(ごと)き、若(も)し一(いつ)の耐(たい)の字(じ)を得(え)て撑持(とうじ)( ※ ) し過(す)ぎ去(さ)らざれば、幾何(いくばく)か榛莾坑塹(しんぼうこうざん)(※)に堕入(だにゅう)せざらんや。
(※)側路……傾いた道。
(※)坎坷……容易に進むことのできない。生きづらい。
(※)撑持……支える。本項の解釈については、本書の前集117条参照。
(※)榛莾坑塹……「榛莾」は草むら、やぶ。「坑塹」は穴と堀。
【原文】
語云、登山耐側路、踏雪耐危橋。一耐字、極有意味。如傾險之人情、坎坷之世衜、若不得一耐字撑持過去、幾何不墮入榛莾坑塹哉。
180 人間に大切なのは中身である
【現代語訳】
自分の功績を誇り、自分の学問、教養をひけらかすような人は、人としての価値を外面的なものに頼って生きているようだ。こういう人はわかっていない。心の本体が玉のように輝いていて、その本来備えているものを失わないのであれば、功績や学問、教養などなくても、立派な人間として生きていけるということになる。
【読み下し文】
功業(こうぎょう)に誇逞(こてい)(※)し、文章(ぶんしょう)(※)を炫燿(げんよう)(※)するは、皆(みな)是(こ)れ外物(がいぶつ)に靠(よ)りて(※)人(ひと)と做(な)るなり。知(し)らず、心体(しんたい)瑩然(えいぜん)(※)として、本来(ほんらい)失(うしな)わざれば、即(すなわ)ち寸功(すんこう)隻字(せきじ)無(き)(※)も、亦(ま)た自(おのず)から堂堂正正(どうどうせいせい)、人(ひと)と做(な)るの処(ところ)有(あ)るを。
(※)誇逞……誇る。
(※)文章……学問と教養。本書の前集147条参照。
(※)炫燿……ひけらかす。光り輝かす。
(※)靠りて……頼って。
(※)瑩然……玉が光り輝くさま。本項の解釈については、本書の前集153条、169条も参照。
(※)隻字無き……ほとんど学問がないこと。『老子』は、「学(がく)を為(な)せば日(ひ)に益(ま)し、道(みち)を為(な)せば日(ひ)に損(そん)す」(忘知第四十八)と、世俗的な学問を不要とする。これは特に儒教への批判ともとれるが、『論語』でも、子夏が「朋友(ほうゆう)と交(まじ)わるに言(い)いて信(しん)あらば、未(いま)だ学(まな)ばずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は必(かなら)ず之(これ)を学(まな)びたりと謂(い)わん」(学而第一)と、本項と同じく人間は学問と教養より中身が大切と説いている。
【原文】
誇逞功業、炫燿文章、皆是靠外物做人。不知、心體瑩然、本來不失、卽無寸功隻字、亦自有堂堂正正做人處。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く