第68回
199〜201話
2020.04.03更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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199 くよくよしない。いい気にならない。安易に考えない。気後れしない
【現代語訳】
思い通りにいかないといって、くよくよするな。思い通りにいくからといって、いい気になるな。今が良いからといって、将来を安易に考えるな。初めに立ちはだかる困難の壁に気後れするな。
【読み下し文】
払意(ふつい)(※)を憂(うれ)うること毋(な)かれ。快心(かいしん)を喜(よろこ)ぶこと毋(な)かれ。久安(きゅうあん)を恃(たの)むこと毋(な)かれ。初難(しょなん)(※)を憚(はばか)ること毋(な)かれ。
(※)払意……思い通りにならない。快心の反対。
(※)初難……初めに立ちはだかる困難の壁。この「初難」には、他人からの言葉も入る。アメリカのプロバスケットボールの名選手だったマジック・ジョンソンの次の名言はこのことをよく教えてくれる。「『お前は無理だよ』という人の言うことを聞いてはいけない。もし自分で何かを成し遂げたかったら、できなかったときに、他人のせいにしないで自分のせいにしなさい」(野中訳)。
【原文】
毋憂拂意、毋喜快心。毋恃久安、毋憚初難。
200 良い家庭は飲食をほどよく楽しみ、名声を好む人は立派な人物ではない
【現代語訳】
飲み食い、宴会ばかりを多く求めるようでは、良い家庭とはいえない(品がないし、いずれいろんなツケが回ってくる)。名声や派手さを好んでばかりの人は、立派な人物ではない。功名心、高い地位を望んでばかりの人は、良い部下(仲間)ではない。
【読み下し文】
飲宴(いんえん)(※)の楽(たの)しみの多(おお)きは、是(こ)れ個(こ)の好人家(こうじんか)(※)ならず。声華(せいか)の習(なら)い(※)の勝(か)つは、是(こ)れ個(こ)の好士子(こうしし)( ※ ) ならず。名位(めいい)の念(ねん)( ※ ) の重(おも)きは、是(こ)れ個(こ)の好臣士(こうしんし)(※)ならず。
(※)飲宴……飲み食い。宴会。なお、佐藤一斎『言志四録』には、「聖人(せいじん)は強健(きょうけん)にして病(やまい)無(な)き人(ひと)の如(ごと)く、賢人(けんじん)は摂生(せっせい)して病(やまい)を慎(つつし)む人(ひと)の如(ごと)く」とある。『論語』にも「仁者(じんしゃ)は寿(いのちなが)し」(雍也第六)という。つまり、仁者や賢人などは、過度に飲み食い、宴会を求めない。確かに飲食自体も喜びの一つであるが、健康に備え、学びの道を楽しむのも大きな喜びの一つである。他にも喜びはいくつもあり、飲み食い、宴会ばかりを多く求めるようでは健康を害することにもなるし、良い家庭を築くことにはならない。飲宴はほどよく楽しめばいいと『菜根譚』は教える。
(※)好人家……良い家庭。
(※)声華の習い……名声を好んで派手さを習いとする。本項の解釈については、本書の前集104条も参照。
(※)好士子……立派な人。君子。
(※)名位の念……功名。高い地位を望む。
(※)好臣士……良い部下。良い仲間。
【原文】
飮宴之樂多、不是個好人家。聲華之習勝、不是個好士子。名位之念重、不是個好臣士。
201 道に達した立派な人は自分に打ち勝つことを楽しみとする
【現代語訳】
世間一般の人は、欲望を満たすことを楽しみとするものだが、そうすると、かなわないことも多く、かえって苦しみを味わうことになる。これに対し、道に達した立派な人は、自分に打ちかつことを楽しみとするので、苦しみでも楽しみに変えることができる。結局、人生を最も楽しんでいるといえまいか。
【読み下し文】
世人(せじん)は心(こころ)の肯(うけが)う(※)処(ところ)を以(もっ)て楽(らく)と為(な)し、却(かえ)って楽心(らくしん)に引(ひ)かれて苦処()くしょに在(あ)り。達士(たっし)(※)は心(こころ)の払(もと)る(※)処(ところ)を以(もっ)て楽(らく)と為(な)し、終(つい)に苦心(くしん)の為(ため)に楽(らく)を換(か)え得(え)来(き)たる。
(※)心の肯う……欲望を満たす。心が満足する。
(※)達士……道に達した立派な人。なお、『論語』では「達」について、孔子は次のように述べる。「夫(そ)れ達(たつ)なる者(もの)は、質直(しつちょく)にして義(ぎ)を好(この)み、言(げん)を察(さっ)して色(いろ)を観(み)る。慮(おもんばか)りて以(もっ)て人(ひと)に下くだる」(顔淵第十二)とし、世間でやたら評価の高い、有名な人とは違うことを強調する。
(※)心の払る……自分に打ち勝つ。西郷隆盛も「総(そう)じて人(にん)は己(おの)れに克(か)つを以(もっ)て成(な)り、自(みずか)ら愛(あい)するを以(もっ)て敗(やぶ)るるぞ」(『西郷南洲遺訓』)と述べる。なお、ここに「自ら愛する」とあるのは、『菜根譚』がここで言う「心の肯う」と同じと解すべきであろう。本当に自分を愛するのなら、自分の欲望を満たすのではなく、さらに自分に打ち勝ち向上させていくことになるはずだ。このようにして、自分に打ち勝つことは楽しいことであるとともに、事を成していくことにもなるのだ。逆に、欲望を満たすことは、苦しみを味わうこととなり、また何をしてもうまくいかないということになるだろう。
【原文】
世人以心肯處爲樂、却被樂心引在苦處。逹士以心拂處爲樂、終爲苦心換得樂來。
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