第95回
58〜60話
2020.05.18更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
58 人の心や世相は、すぐ変わっていく
【現代語訳】
人の心や世相は、すぐ変わる。だから、どこに真実があるかはとらえにくいので、あまり一つのものにとらわれないほうが良い。邵堯夫(しょうぎょうふ)(邵雍)(しょうよう)は言っている。「昔、我であると言っていたものが、今日では彼となっている。今日の我は、後日の誰になるのかわからない」。人は常にこういう見方をしておれば、胸中のわだかまりもなくなっていく。
【読み下し文】
人情(にんじょう)世態(せたい)は倐忽万端(しゅくこつばんたん)(※)、宜(よろ)しく認(みと)め得(え)て太(はなは)だ真(しん)なるべからず。堯夫(ぎょうふ)(※) 云(い)う、「昔日(せきじつ)、我(われ)と云(い)いし所(ところ)は、而今(じこん)却(かえ)って是(こ)れ伊(かれ)。知(し)らず今日(こんにち)の我(われ)は、又(また)後来(こうらい)の誰(だれ)にか属(ぞく)せん」。人(ひと)常(つね)に是(こ)の観(かん)を作(な)さば、便(すなわ)ち胸中(きょうちゅう)の罥(けん)(※)を解却(かいきゃく)すべし。
(※)倐忽万端……すぐ変わる。「倐」は「倏」とも書く。「しゅく」とも「しゅつ」とも読む。
(※)堯夫……北宋の儒学者・邵雍の字(あざな)。諡(おくりな)は康節(こうせつ)。康節先生と呼ばれた。
(※)胸中の罥……胸中のわだかまり。なお、本項は本書の後集56条および57条と併せて読みたい。
【原文】
人情世態、倐忽萬端、不宜認得太眞。堯夫云、昔日所云我、而今却是伊。不知今日我、又屬後來誰。人常作是觀、便可解却胸中罥矣。
59 一点の冷静な目と一点の情熱を失わない
【現代語訳】
目がまわるほど忙しくて大変なときでも、一点の冷静な目を持っておくと良い。そうすることで、多くの苦しい思いをしないで済むようになる。また、落ちぶれて気が沈んでいるときでも、一点の情熱を残しておくと良い。そうすれば、そこに多くの本当の魅力、能力を見出せるようになる。
【読み下し文】
熱閙(ねっとう)(※)の中(なか)に一冷(いちれい)眼(がん)を着(つ)くれば、便(すなわ)ち許多(きょた)(※)の苦心思(くしんし)(※)を省(はぶ)く。冷落(れいらく)(※)の処(ところ)に一(いち)熱心(ねっしん)を存(そん)すれば、便(すなわ)ち許多(きょた)の真(しん)趣味(しゅみ)を得(う)。
(※)熱閙……目がまわるほど忙しくて大変なとき。多事多忙。
(※)許多……多く。あまた。
(※)苦心思……苦しい思い。
(※)冷落……落ちぶれる。零落と同義。どんなに不運や困難が続いても希望を捨ててはならない。一点の情熱を残しておくべきだと『菜根譚』は励ます。宗教改革後のルターは、希望こそが人間の最後のとりでであることをひたすら説いた。次の言葉も本項の趣旨と合う。「たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える」。
【原文】
熱閙中着一冷眼、便省許多苦心思。冷落處存一熱心、便得許多眞趣味。
60 ありふれた食事、平凡な生活のなかにこそ幸せがある
【現代語訳】
一つの楽しいことがあったかと思えば、すぐに、一つの相対する楽しくないことが起きる。一つのうまくいった状況が見えたかと思えば、すぐに、うまくいかない状況が起きて、先の思いは差し引かれることになる。こうしたなかにおいて、ありふれた食事、何の地位も権力もない平凡な生活を送ることによって、安楽な住居(人生の本当の楽しみ)が得られるのである。
【読み下し文】
一(いつ)の楽(らく)境界(きょうかい)有(あ)れば、就(すなわ)ち一(いつ)の不楽(ふやく)の相対待(あいたいたい)する有(あ)り。一(いつ)つの好光景(こうこうけい)有(あ)れば、就(すなわ)ち一(いつ)の不好(ふこう)の相乗(あいじょう)除(じょ)する有(あ)り。只(た)だ是(こ)れ尋常(じんじょう)の家飯(かはん)(※)、素位(そい)の風光(ふうこう)のみ、纔(わず)かに是(こ)れ個(こ)の安楽(あんらく)の窩巣(かそう)(※)なり。
(※)尋常の家飯……ありふれた食事。ありふれた生活。19世紀のフランスの政治家で『美味礼讃』を書き、食通として知られたブリア=サブァランの名文句がある。「どんなものを食べているか、言ってみたまえ。君がどんな人であるか、言い当ててみせよう」。ありふれた食事を好んで食べるのか、どんな美食を求めているのかなどで、その人の人生、信条、生活、人柄は大体わかるという。そうした視点で見ると、日本人と食事の関係は面白い。今では世界中のおいしい料理が東京、日本に集まっているといわれるが、江戸時代での日本は、それこそ「武士は食わねど高楊枝」で質素な食事を宗(むね)としてきた。
(※)安楽の窩巣……安楽な住居。なお、「安楽窩」については、本書の後集28条にも出ている。本項の考えからは、『菜根譚』が『論語』の人生観より『老子』の人生観に近いのがわかる。例えば、『老子』は「企(つまだ)つ者(もの)は立(た)たず、跨(また)ぐ者(もの)は行(い)かず。自(みずか)ら見(あら)わす者(もの)は明(あき)らかならず、自(みずか)ら是(ぜ)とする者(もの)は彰(あら)われず。自(みずか)ら伐(ほこ)る者(もの)は功(こう)無(な)く、自(みずか)ら矜(ほこ)る者(もの)は長(ひさ)しからず。其(そ)の道(みち)に在(あ)る也(や)、余食贅行(よしょくぜいこう)と曰(い)う」(苦恩第二十四)と述べる。一方、『論語』は、「富(とみ)と貴(とうと)きは是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり」(里仁第四)を認めた上で「仁」の人を目指すとする。また、孔子とその弟子たちは政治の上層部に加わって、良い政治を行い、その上で人々を幸せにしていくことを願っていた。本項の解釈については、本書の前集49条、155条も参照。
【原文】
有一樂境界、就有一不樂的相對待。有一好光景、就有一不好的相乘除。只是尋常家飰、素位風光、纔是個安樂的窩巢。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く