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ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストのユマニチュード集中講義 イヴ・ジネスト 本田美和子 装丁画:坂口恭平「小島の田んぼ道」(『Pastel』左右社刊より)

第5回

「優しさと愛を届ける」とは、どういうことですか?

2022.11.29更新

読了時間

フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら

「この人には伝わっている」と信じること

 ここで、私が日本ではじめてユマニチュードのケアをおこなったときのお話をしたいと思います。
 自宅で介護を受けていた進行した認知症の患者さんが、誤嚥性肺炎で入院してきました。寝たきりで自発の言葉もなく、まったく反応がありません。
 私はこの女性に顔を近づけ、視線をつかみにいきました。20 センチほどの距離まで近づいてアイコンタクトをとります。しかし彼女は、何かを注視することがすでにできなくなっています。「反応することはないだろう」とみんなに思われていますから、この女性と目を合わせて話そうとする人は、もう何年もいませんでした。
「この人に話しかけても返事はないかもしれない」
 そう思っても、自分がケアをする人に対しては必ず「この人はわかっている」という前提で私は話をします。それはなぜか。私は誰に対しても必ずそうする、と決めているからです。これは相手の尊厳を尊重するためでもありますが、何より私の人間としての尊厳を守るためでもあるのです。
 相手から返事がないときは、相手を無視してもいいのでしょうか?

―違うと思います。

 そうですよね。反応がないことイコール相手が理解していないということではありません。私たちが、その小さな声を、身体からのメッセージを、受けとれていない可能性のほうが高いのです。
 私は彼女の清拭を始めました。身体の部位に触れるときには適切な順番があります。顔や手などの敏感な部位からではなく、できるだけ触覚の感度が鈍くニュートラルな部位にまず触れます。ニュートラルな部位とは、社会的に触れていい場所といってもいいでしょう。具体的には背中や肩から始めます。
 いきなり顔に触れれば相手は驚きますよね。それと同じです。顔に触れてもいいのは、もっと親密になってからです。しかし通常、看護学校では清拭は顔から始めるよう教わります。これは大きな間違いです。
 私はこのときも背中からスタートしました。手伝ってくれる看護師さんには「アイコンタクトをしっかりとってください」と伝えてあります。看護師さんは見ているつもりですが、顔の方を見ているだけで、アイコンタクトはとれていません。何度も「アイコンタクトをとってください」と伝えるうちに、ようやく看護師さんも「あ、いま目が合いました」と自覚しました。すると患者さんの視線が動きました。看護師さんとアイコンタクトが成立した瞬間です。
 この瞬間に患者さんの脳にスイッチが入った、と私は考えます。「ご本人の目をずっと見てください」と私は看護師さんに言いつづけました。そうしないと、看護師さんは患者さんの顔の方は見ていても、目と目をしっかりと合わせつづけることができなかったのです。ケアにおいて「見る」ことを学ばなければいけない理由は、ここにあります。
 アイコンタクトが取れていないときには患者さんからの反応はありませんでしたが、もう一度「目を合わせてください」と言って顔を寄せ、相手と目が合っているときには自分の言葉に対して患者さんが反応してくれることを、看護師さんは経験しました。相手との距離が非常に近くなければアイコンタクトが成立しないことも体感しました。
 つまり、この看護師さんは、アイコンタクトがないときにコミュニケーションしようとしても、相手にうまく伝わっていかないという経験をしたのです。
 背中を拭き終わった後、看護師さんがご本人の瞳をとらえた状態で「次は手を伸ばしてください」とお願いしました。すると彼女の身体が反応しました。お願いを理解しているようです。
「動かしてください」と言われて手が動くとき、それは外部からの声の情報が末梢の感覚神経から中枢神経に届き、中枢神経からの命令が末梢の運動神経に伝えられていることを意味します。こうした反応が相手からあった場合、大切にすべきことは何でしょう?

―相手を尊重すること?

 もちろんそれも重要ですね。でもどうやって尊重すればよいでしょうか。私たちは具体的な行動をとる必要があります。このときいちばん大切なのは、この女性に届ける私からの情報がすべて、ポジティブなものであることです。
 アイコンタクトによって、言葉によって、触れることによって、「あなたが大好きです」という一連の愛の情報がこの女性に届けられていきます。この情報が彼女の脳に届き、理解されたことで、彼女は誰からの介助も受けずに、手を伸ばすことができたのです。

40年間3万人以上のケアから生まれたユマニチュード

 これが40年のあいだ私がおこなっているユマニチュードの基本です。みなさんにお伝えしたいのは、ユマニチュードの基本的な考え方をもって患者さんに接することで、患者さんの状態をよりよくできるという事実です。
 同じ患者さんでも、コミュニケーションのとり方によって反応が違う。つまり私たちがどうコミュニケーションをするかで、相手の状態が変わるということです。
 ユマニチュードは、私が仕事を始めたときにすでにでき上がっていたわけではありません。理論が先にあったわけでもありません。3万人以上の患者さんを40 年間にわたって実際にケアするなか、「こうするとうまくいくな」「こうだとうまくいかないな」という経験を山ほど積むことで生まれました。 
 ユマニチュードは、私がはじめて病院に赴いた1979年から現在までのケアの現場でのすべての経験から、つまりは多くの失敗から生まれたのです。

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著者

イヴ・ジネスト/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネストーマレスコッティ研究所長。フランスのトゥールーズ大学卒業(体育学)。1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】日本ユマニチュード学会代表理事。独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年、筑波大学医学専門学群卒業。亀田総合病院、米国コーネル大学老年医学科などを経て、2011年より日本でのユマニチュードの導入、実践、教育、研究に携わり、普及活動を牽引する。

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