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ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストのユマニチュード集中講義 イヴ・ジネスト 本田美和子 装丁画:坂口恭平「小島の田んぼ道」(『Pastel』左右社刊より)

第9回

幼い頃に虐待などを受け、「他者から認められている」という経験をしていない人は、ユマニチュードの効果が現われにくいのではないでしょうか?

2022.12.27更新

読了時間

フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら

経験に基づく反応と、本能的な反応がある

 素晴らしい質問ですね。ここで私たちの反応についての話をしましょう。
 私が何かに反応を示すとき、その反応には2種類あります。自分の経験に基づく反応と、人間がもともと持っている本能的な反応です。このことは、ユマニチュードがなぜこれほど日本でうまくいっているかの説明にもなると思います。
 私が日本でユマニチュードのケアをしていると、相手のご高齢の方がご本人から私に手を差し伸べ、私をギュッと腕に抱いて、私の頬にキスをするという場面に本当によく遭遇します。
 ご家族はその光景を見て、ものすごく驚かれます。なぜならご本人は海外へ行ったこともないし、外国の人と話をした経験もない。それなのに、いきなりやってきた私を抱きしめてキスをするのですから、それはそれはびっくりされるわけです。
 高齢の方々がキスをするようなシーンを日本で日常的に見ることはほぼありません。それなのに、私がケアをしていると多くの方が頬にキスをしてくださいます。ということは、経験には基づかない人間としての本能的な反応として、ハグやキスという反応が自然に出ているのです。
 先ほどお話ししたように、たとえば羊は母親からなめられることで愛を受けとるよう生まれついています。私たち人間は、古生物学者のミシェル・ブリュネがチャドで発見した、700万年前に存在した人類最古の祖先をその起源とし、愛を受けとる本能を先天的に誰もが持って育ちます。
 それと同時に、後天的に身につけた社会性がその人の行動を制御します。これは脳の認知機能によってコントロールされていますが、認知機能が徐々に低下すると、後天的に身につけた言葉や振る舞い、文化や社会性が次第に失われていきます。認知症になって「ハグやキスをしない」という日本人が後天的に身につけた文化から解き放たれたとき、その人は700万年前から連綿と人間が持っている本能に基づいた行動をとるようになるのです。

動物行動学に倣った、優しさと愛の届け方

 あるとき、入居して1年以上ものあいだ言葉を発さず、誰ともコミュニケーションをとらない女性に会ってほしいと、ケアに呼ばれました。
 私はどんな状況である人に対しても、必ず「見る」「話す」「触れる」というユマニチュードの基本の柱を用いて、コミュニケーションを試みます。
 数秒の時間を要しましたが、私が顔を近づけ視線をつかみにいくと目が合って、アイコンタクトが成立しました。彼女の脳にスイッチが入った瞬間です。優しくゆっくり触れ、近距離で目を合わせながら話しかけると、彼女が声を発しました。1年以上、誰も聞けていなかった声です。
 そこで私は彼女の手をとり、私の顔に触れてもらいました。すると彼女は話しはじめました。そして、彼女は私の頬にふわりとキスをしたのです。
 この女性に別れを告げて部屋を出ると、驚く光景が目の前にありました。車椅子に乗ったたくさんの方々が私を待っていました。みなさんが私に向かって手を伸ばし、「ハグをしたい」「触れたい」と並んでいたのです。
 確かに、触れられるのが得意でないという方もいらっしゃるでしょう。ただ、正しい触れ方をされれば、人は心地よさを感じます。なぜだと思いますか?

―人間だから……でしょうか?

 そのとおり。人間として、そう生まれついているからです。
 欧米だけでなく、これまでに訪れた中国や韓国、タイ、シンガポールなどアジアの国々も含め、どの国の患者さんたちも、みなさんまったく同じ反応をします。人間として誰もが、「触れる」喜びと、それによって伝わる愛と優しさを、本能的に知っているのです。そのことをぜひ、みなさんにも知っていただきたいと思います。
 相手に自分の顔を触れてもらう行為は、動物行動学的には「私はあなたにとって敵ではないですよ」というメッセージを意味します。サルの世界では、喧嘩で負けたサルは、相手の手をとって自分の顔に触れさせます。サルの手の爪は鋭いので、相手は自分の目を潰すこともできる状態にするのです。そうすることで負けた側は降伏を伝え、自分に敵意がないことを示します。
 相手に私の顔を触ってもらうことは、「私はあなたのもとにいますよ」「攻撃していませんよ」と、優しさと愛を届ける霊長類としてのテクニックなのです。

プロとして、どうコミュニケーションするか

 みなさんは身体的にも元気で、まだ若く、知的で聡明です。これから医師や看護師、介護士になって、患者さんの前に立つことになるでしょう。そのときに大事なことは何だと思いますか?

―患者さんの反応をよく見ること?

 それも大切ですね。でも、もっと基本的な意識の問題です。私がみなさんにお願いしたいのは、「相手は自分とは違う状況にある」と自覚することです。
 私たちは他者と容易に関係を結ぶことができます。しかし、脆弱な状況にある人にとって、それはなかなか難しいのです。とりわけそのような人に対してみなさんがどうコミュケーションするかによって、相手の受けとるものは大きく変わります。優しさをうまく届けられれば、相手は身体的にも精神的にも「人間として扱われている」「自分らしくあることを尊重されている」という感覚に基づく、人としての十全性が満たされ、より人間らしい暮らしを取り戻すことができます。
 相手を回復へと導くカギは、みなさん自身が相手とどう絆をつくるかにかかっているのです。
 私は、「優しさと愛を届けるプロフェッショナル」として働いています。みなさんも同じようにプロとして、自分の職務として、相手に「自分は大切にされているな」「自分の尊厳はこの人によって保たれているな」と感じてもらうための技術を身につけてください。
 これまでの人生で充分な愛情を受けとれてこなかった方に対しても、プロフェッショナルとして「あなたは人間です」「あなたは大切な存在ですよ」と伝えることで、彼ら彼女らに「自分はいま大事にされている」という気持ちを持ってもらうことは可能です。

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著者

イヴ・ジネスト/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネストーマレスコッティ研究所長。フランスのトゥールーズ大学卒業(体育学)。1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】日本ユマニチュード学会代表理事。独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年、筑波大学医学専門学群卒業。亀田総合病院、米国コーネル大学老年医学科などを経て、2011年より日本でのユマニチュードの導入、実践、教育、研究に携わり、普及活動を牽引する。

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