第1回
紙さまがつなげる十年。ある小さな奇跡
2016.07.19更新
【 この連載は… 】 各界のクリエイターと紙にまつわる物語を綴り、紙好き、デザイン好きの間で大きな反響を呼んだ『かみさま』(大平一枝著/ポプラ社)。大幅加筆を加え、7月7日に『紙さまの話』として新版化されました。手のぬくもり、痕跡の残るささやかな紙きれと、クリエイター達の知られざる話とは――。
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二〇〇五年夏、私は初めて江藤公昭さんに会った。拙著『かみさま』(二〇〇六年、ポプラ社)の取材のためだ。中原慎一郎さん率いるランドスケーププロダクツのダイレクトメールのデザイン性の高さがかねてから気になっており、それについての取材を申し込むと、担当した社員デザイナーとして江藤さんが現れた。場所は青山。建築家、山田守さんの旧自邸で一階が蔦珈琲店になっている瀟洒な一軒家だ。この二階でランドスケープの展示会が行われた。その会期中に江藤さんは、会場(といっても畳敷きの和室だ)の片隅で時間をとってくれた。
二年後、江藤さんは、紙にまつわるプロダクトを取り扱う「パピエラボ」を開店した。
取材の一年後くらいだろうか。じつはパピエは『かみさま』がきっかけなんですよ、とあるとき江藤さんが言った。え? 今なんておっしゃいました? 私は目を丸くして聞き返した。
──あれから十一年。彼の店を訪ね、あらめためて聞いてみた。取材後、活版再生展を経てパピエラボ設立、そして独立。紙さまに導かれた、彼の長いような短いような不思議な物語を。そこにほんのちょっぴりであるが、私も関わっている。大変手前味噌ながら、序章にかえて、この紙がつなげた縁(えにし)について、少々長めの話にしばらくお付き合いいただきたい。
真夏の合間、珍しくその日だけ涼しい風が窓から舞い込んでいた。昼下がり、和室の展示会場で、小さなテーブルをはさみ、私は江藤さんにインタビューをした。新しいものより古いものに興味があること、古本や古本のかすれた活字が好きなことなど、嗜好が似ていたので私は取材後、ついこんなお誘いをしてみた。
「世田谷の豪徳寺にある友だちの実家の活版印刷工場を閉業するというので、『かみさま』の取材で行くんです。備品や什器を産業廃棄処分にするので、その前に好きなものを持って行っていいよって言われていて。活字や机やイスもいいよと。良かったら一緒にどうですか?」
「へえ、活版印刷所が世田谷にあるんですか。いいですね、見てみたいな」
「あの、引き換え条件ってわけじゃないんですけど、活版机とかもし引き取ることになったら、車があると嬉しいんですけど」
「いいですよ。友だちの車を借りましょう」
はたして、よく晴れた平日の昼下がり。江藤さんは男性の友人と一緒に、待ち合わせの我が家に車でやってきた。松浦弥太郎さん経営の書店「カウブックス」に勤めるヨシダさんという人で、やっぱり古本が好きだという。しばらく三人で我が家の縁側でお茶をしておしゃべりをした。話は尽きることがない。若い二人は、プロダクトの展示会について夢を語り合っていた。
「展示会って有明とか晴海とか、巨大なサイトに人が集まってわーってやるんですよ。たくさん入場していいんですけど、あれ、出展する側も来場する側もものすごく疲れるんです。なんか熱気と人いきれにやられちゃうっていうか。で、終わった後疲労感だけが残る。僕らは、たとえば紙ものとかクラフトや工芸品に近いプロダクトやインテリアや雑貨などを紹介するのに、ああいう場所は向いていないんじゃないかと思ってるんですよね。もっと雰囲気のある手作りの会場で、ていねいに展示したい。ヨシダくんとそんなのをやろうって今、いろいろ計画しているところなんです」
翌年。彼らの思いは、FOR STOCKISTS EXHIBITIONとして結実する。自由学園明日館で開かれるそれは、開催初年から業界では話題で、現在は新規の業者は受け入れられないほど人気を博している。ああ、あの時二人が話していたのはこれだったかと、眩しい思いであちこちから入ってくる盛況の話を耳にしたものだ。
話を戻そう。夢を語り続ける二人を促し、豪徳寺の印刷所に行った。町なかにある小さな古い工場で、扉を開けると黒光りした活版印刷機が構えていた。壁一面に活字の棚。机には、役割を終えた通称“弁当箱”と言われる活字を並べる小さな箱が無造作に転がっていた。最後の職人さんが体を壊し開店休業状態で、もうすぐ全部捨てるのよと友だちの母は、むしろ清々しい表情で語っていた。「なんでもいいから持って行ってちょうだい」。友だちは漫画家で、家業を継いでいない。ご主人を早くに亡くし、女手一つで子ども二人を養ってきた彼女にとって、活版印刷工場の維持はどれだけ大変だったか、その表情から十二分に伺い知れた。
江藤さんとヨシダさんは目を輝かせ、少年のような表情で夢中で活字の棚にはりついていた。なにやら好きな活字を拾っている。
私は木製の活版机をもらうことにした。活字を並べるための作業台に使っていたそう。あちこちに墨が付き、傷だらけで味わい深い。
三人それぞれ好きなものをもらい、山下印刷を後にした。その後に江藤さんが体験した活版再生展のエピソードは、私が一年後に聞いた話だ。
しばらくしたあと、江藤さんは友だちの武井実子さん(サブレタープレス主宰)から声をかけられた。
「世田谷文化生活情報センターの生活工房というところで、今度活版再生展という展示を一か月間することになって私も手伝うの。江藤くんも良かったら会場構成を一緒にやらない?」
「へえ、そんなことやるんだ。いいよ」
自分が興味を持ちだした活版って、もしかしたらブームなのか?と、のんびりした気持ちで推測しながら二つ返事で、ランドスケープ社員として参加した。
それから数か月の間、サポートスタッフで活版を勉強し、活版印刷所のツアーをした。
「知れば知るほど活版って面白いな、と。面白い印刷物だなあとオフセットや画面では体験できない緊張感と醍醐味と味わいがあって、何もかもが新鮮でした」
再生展では実際に活版印刷の職人を招いて、実演もする。機械は区内の工場から持ち込むという。ところが学芸員が嘆いていた。
「山下印刷という工場が閉まるというので展示の間だけ機械と活字の棚をお借りして実際に動かしてもらうんですけど、一番いい欧文書体の活字だけ抜けちゃってるんですよね」
あれ? どこかで聞いた話だなと江藤さんは思った。そしてようやく気づいたらしい。自分が訪れた工場が山下印刷という名前であることを。
学芸員に聞くと、そもそも拙著『かみさま』で山下印刷が閉業することを知り、再生展という企画が始まったのだという。
「欧文書体を持ち帰ったのは僕とヨシダくんなんです。“それ持っているの、僕です。戻します”って自首しました。学芸員の方が、なぜ江藤さんが? と驚かれていましたが。ヨシダくんと、この活字は元いたこの場所に帰る運命だったんだねと話しました」
一か月の展示を経て、江藤さんはますます活版の面白さにとりつかれていった。
「活版で印刷物を作りたいのだけど、じゃあどこにどう頼めばいいのかがわからなかった。ネットで検索すると嘉瑞工房以外に情報がないのです。嘉瑞は本格的な研究をしているところですから。工房でなく、お店みたいなオープンなスペースで活版を使って表現できる場があったらいいなと思いついたのです」
そこで、中原慎一郎さんに活版印刷にまつわるショップを開いてはどうかと提案した。中原さんは彼らしいいつもの口調でこう答えた。
「難しいんじゃない? でもやってみれば」
活版再生展で一緒だった武井さん(前述)、高田唯さん(オールライトプリンティング)と、三人で、二〇〇七年、東京千駄ヶ谷にパピエラボを開店した。文具や活版印刷をメインとしたオリジナルのペーパープロダクトを販売。名刺など活版印刷のオーダーの窓口の役割も担った。
「最初はお客さんが来るのかなあって自分でも半信半疑だったのです。実際は想定していたよりはるかに反応が高かった。開店直後からどんどん名刺の注文が来ました。主にクリエイターの方々が多かったです。それからとにかく取材がたくさんきました。デザイン誌はもちろんですが、それ以上に建築雑誌やファッション雑誌などにたくさん取り上げていただいて逆に驚きました。そのとき実感しましたね。紙や活版印刷に惹かれる人は、器や洋服の素材にこだわったり、ひいてはライフスタイルにこだわる人とクロスするんだなって」
二〇一〇年、江藤さんはランドスケープを退社し、独立した。現在は、パピエラボの店主としてますます多方面に紙にまつわる活動を展開している。
たまにちょこちょことお会いすることはあったが、今回、十年ぶりにあらためてじっくり話して、彼がしみじみつぶやいた言葉が心に残った。
「ふりかえると、僕がこうしてパピエをやっているのも、紙の神様がいるとしたら導かれたなあ、運命だったなあって思います」
商品のセレクトにおいて、開店当時からぶれないものさしが一つある。
「売れるか売れないかという判断では置きません。全体の相性、パピエラボに隣りあって置いたときにバランスが崩れるようなものは、どんなにいい紙であっても選ばないですね」
社員時代、しばしば海外に家具の買い付けに行った。そこで、ふらりと立ち寄った店がある。
「ニューヨークでちょっと得体のしれないような小さなカード屋さんに入ったんです。当時は活版だなんて知らなかったけど、今思えば活版印刷の店でした。なんなんだ? この風合いや存在感のある印刷物は、と。それが家具よりときめいたんですね。あの、ときめいた気持ちや店の雰囲気は今も忘れられません」
活版がいいから店をやっているわけではない。職人の手仕事の痕跡が残るような紙のプロダクトを広く紹介したい一心でやっている。パピエラボでは、活版以外の楽しいアイテムにもたくさん出会える。
彼は気づいていないようだが、すでにそんな昔にもう出会っていたのだ。自分の中の紙さまに。
紙に人生を変えられた江藤さんの話を聞いて、私はもう一度、それぞれの心の中に生きる紙さまに会いにいこうと決めたのである。
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匿名
2016.08.25
祖父が活版印刷をしていました。亡くなった後も母がしばらく年賀状だけは続けていて、子供の頃、活字を拾うのをよく手伝っていたことを思い出しました。印刷するのも手加減が難しく、インクをつけすぎては駄目になったり、歪んだり。
コンピューターの普及でかなり前に辞めましたが、この記事を読んで、いろんなことを思い出しました。