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紙さまの話 紙とヒトをつなぐひそやかな物語 大平一枝

第3回

バレンとダリ画材店とかけだしの画家

牧野伊三夫さん(画家)

2016.08.02更新

読了時間

【 この連載は… 】 各界のクリエイターと紙にまつわる物語を綴り、紙好き、デザイン好きの間で大きな反響を呼んだ『かみさま』(大平一枝著/ポプラ社)。大幅加筆を加え、7月7日に『紙さまの話』として新版化されました。手のぬくもり、痕跡の残るささやかな紙きれと、クリエイター達の知られざる話とは――。
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 牧野さんは美大卒業後、サン・アドに就職した。今さら説明の必要もなかろうが同社は、サントリーの出資で設立された歴史ある広告制作会社である。かつては開高健や山口瞳がコピーを書き、その後現在に至るまで仲畑貴志や西村佳也、野田凪らすぐれた広告人を輩出し続けている。葛西薫は現在同社の顧問である。


 牧野さんは同社で新米デザイナーとして商品の広告制作に携わるが、二十六歳で、画業に専念するため退社をする。

 今でこそ『暮しの手帖』の表紙絵(二〇〇二〜三年)や『かもめ食堂』(群ようこ著)、『バスを待って』(石田千著)の挿絵、その他数多くの装幀や広告で知られるが、退社後の二十代後半は迷いと逡巡、葛藤の連続だったという。

「画家になると決めたのはいいけれど、どうしていいのかは、さっぱりわかりませんでした。絵にどうやって値段を付けるのか。展覧会の開き方。オープニングパーティってなんだ? と。大学もデザイン科だったので、油絵を描くためのいい絵筆、悪い絵筆の見分け方さえわからなかったんです」


 途方に暮れながら、毎日毎日絵を描き続けた。時間だけはありあまるほどあるので、煮詰まると自宅のある東京・武蔵小金井の近所を散歩した。ダリ画材店はその道中にあった。

「十畳くらいの小さなお店でね。覗くとお客さんが途切れた間に、レジ脇の机の上でいつも店の包装紙にバレンでロゴを刷っていました。僕も一時期版画をしていたので興味があってね。へえ、包装紙も手作りなんだなと見ていると、シューッて一回でとても軽々とバレンをあてているのです。あのバレンは気持ちよさそうだなあと思ってそれいくらですか? と聞いたら十二万円だよと。五百円くらいかと思っていた僕は腰が抜けるほど驚きました。冗談かなとね」


 本物のバレンとはどういうものか教えてくれた。店主の名は磯勉さん。かつては画家をしていて、今は自宅の工房で、竹の皮と漆と和紙を使って江戸時代から変わらぬ製法のバレンを手作りしている。バレンについての詳細はここでは触れないが、柿渋を塗って天日干しした和紙を数十枚貼り重ねる、気の遠くなるような工程を経て仕上がる。のちに牧野さんは意を決してそのバレンを購入。二十数年経った今も愛用している。

「バレンもそうですが、僕は磯さんから画家としての心得や大事なことをたくさん教わりました。絵の具の溶き油のレシピ、オイルや顔料など道具の大切さ、ひいては展覧会の期間の画家の立ち居振る舞いまで。展覧会での画家は先生みたいにいばっちゃいけない。ホストであり営業なんだ、絵が売れたら床に頭を付けて感謝しなさい。それくらい絵が売れるってすごいことなんだよと。ただし、“売り絵”は描くな。自分が納得できた作品だけを並べ、それが売れたときは心から感謝しなさいと言われました」


 欧米では、個展開催前に限られた人を招いてオープニングパーティを行うなど、個展のときの画家としての流儀やマナーを手取り足取り教えてくれた。「日本は画家の文化がまだまだ定着していない」が口癖だった。

「それまで僕は、個展は成果発表だと思っていたのです」

 磯さんから、作品を買ってもらう場だと教えられた。ただし、絵は商品でもなければ実用性もない。絵を買う人だって、たくさんのためらいと迷いがある。自信がある人などいない。「これください」と簡単には言い出せないのがふつう。だからこそ押し売りは言語道断であるし、批評はするが買ってはくれない友だちなど最初に呼ぶな、と辛辣だった。


 サラリーマン生活から一転。筆一本で食べていこうとした牧野さんは、当時月に三万円稼ぐのもやっとという日々だった。だがそんな生活のことより、自分が何に向かってどんな絵を描いたらいいのか、長いトンネルの中にいた。

「大学に入ってすぐ、授業で“絵画は死んだ”って聞いたんです。衝撃でした。それじゃ僕がこれからやろうとしていることは墓場の運動会みたいじゃないかと。日本の美術はいつも欧米ばかり見ているし、現代美術の人たちは欧米の潮流に乗っていて日本の独自性はどこへいったんだ? 悶々と悩んでいた。自分の中で絵はとても大事なのに、何をどう描けばいい? 絵描きだなんて名乗っても、実際は何も描けない自分がいる。まさに二十代は自己破綻していましたね。ふらふらとした状態でダリに行く日が何度もありました。ダリの画材を触っていると、ちょっと落ち着くから」


 どうした? と磯さんが聞く。どうもしてませんと牧野さんが答える。でも、きっと何もかもお見通しだったんですね、と牧野さんは述懐する。

「磯さんは、何が描いてあるのかわからなくても、その絵を見た人間には伝わるんだとおっしゃいました」

 余計なことを考えなくてもいい。画家は、ただ自分に正直に描くということが仕事なんだよ。牧野さんの心に磯さんのメッセージが直球でしみわたったに違いない。


 いつも飄々とした笑顔で気持ちいい風に吹かれているふうに見える彼の若き日の煩悶が、痛々しいほど伝わる、なんだか少し切ない話だった。何をどう描いたらいいのか、描きたいことはあるのにどう発表すればいいのか。先の見えないトンネルの中にいる二〜三十代の頃の蒼い気持ちが私にもほんの少し理解できるからだ。それにしても、たった一枚の包装紙に、これほどの物語が詰まっていようとは……。


 ダリ画材店はもうない。牧野さんの元に七〜八年前に閉店の案内状が届き、差し出し元の稲城市の自宅まで訪ねた。磯さんは陶芸の窯を開いていた。

 偏屈で、あまり客の寄りつかなかった不思議な画材店。だが牧野さんの師はたしかにそこにいた。珠玉の言葉は今も心のなかで鮮やかに輝いている。


 牧野さんは師の教えを守り、展覧会となるとホストに徹しきり、一時期は、毎年恒例の個展で閉廊時刻まで客人に酒や肴を振る舞った。最近は近隣の苦情もあり、おとなしくやっているらしいが、少々風変わりで愉快なそれであることは変わらない。


 版画の手作り包装紙は、まるで大切な絵画のように折り目を付けずアトリエの奥にしまわれていた。それを取り出すたびきっと彼は、シューッと気持ちよさげにバレンを押す心の師との邂逅を思い出すんだろう。本当は本書の撮影用にバレンも借りたかったが、「これはちょっと、ごめん」と断られた。そうですね、と私はすぐに諦めた。高価なものということもあるけれど、このバレンは磯さんと牧野さんしか触れてはいけない気がしたからだ。


牧野伊三夫(まきの・いさお)

一九六四年、北九州市生まれ。多摩美術大学卒業後、広告制作会社サン・アドを経て画家に。挿画や装丁も多数手がける。美術同人誌『四月と十月』発行人。北九州市情報誌『雲のうえ』、飛騨産業広報誌『飛騨』編集委員。著書に『僕は、太陽をのむ』(港の人刊)。


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著者

大平 一枝

大平 一枝:作家、エッセイスト。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』『かみさま』(ポプラ社)ほか多数。朝日新聞デジタル&w『東京の台所』連載中。

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