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もっと文豪の死に様

第16回

三島由紀夫――「しらっこ」の歯ぎしり(第3回)

2023.05.19更新

読了時間

『文豪の死に様』がパワーアップして帰ってきました。よりディープに、より生々しく。死に方を考えることは生き方を考えること。文豪たちの生き方と作品を、その「死」から遠近法的に見ていきます。
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 三島の死を俯瞰しようとする時、視界を遮るふたつの問題があった。
 ひとつはなぜ楯の会が必要だったのか。
 もうひとつはなぜ一人で死ななかったか、である。
 念のため改めて説明しておくと、楯の会とは三島が1968年、つまり死の二年前に設立した組織で、祖国防衛を目的としていた。民族派右翼の学生たち約100人が所属し、軍事訓練や勉強会などを行っていた。

 私が組織した「楯の会」は、会員が百名に満たない、そして武器も持たない、世界で一等小さな軍隊である。毎年補充しながら、百名でとどめておくつもりであるから、私はまづ(ママ)百人隊長以上に出世することはあるまい。(「楯の会のこと」より)

 揃いの制服を着たり隊歌があったりで本格的といえば本格的だが、結成当時すでに軍隊ごっこと揶揄され、文人貴公子の奇行として嘲笑の的になっていた。三島だって、馬鹿にされることはもとより承知だった。それでも、莫大な私費を投じてまで「ごっご」せねばならぬ衝動があった。
 それはどこからきたのか。
 なかなかの謎だ。
 だが、それ以上にわからなかったのが、なぜ森田必勝(まさかつ、自称読み:ひっしょう)を道連れにしたのか、だった。
 森田必勝は割腹する三島の介錯役を命じられた青年だ。事件当時、たったの25歳。
 これがわからないと彼の死はわからないな、と思った。ここでの“わからない”とは「客観的分析ができない」ではなく、私の腑に落ちてこないという意味だ。
 もし彼の自死がこじれまくった自意識の末路だったら、前途ある若者を巻き込んであたら死なせたことは許しがたい。どんな理由があったって年寄り(年長者)は自分のために若い人を死なせるようなことをしてはならんのだ。
 ダメ。ゼッタイ。
 だが、この問題はわりとあっさり解決した。森田の死は、彼自身の青年的ロマンティシズムの発露だったようなのだ。自分のロマンをより強い形にするために、師と仰ぐ人のナラティブに相乗りしたといっていいだろう。彼の殉死志望を三島や仲間たちは何度も止めていたという。

 倅は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許さない、ましてや森田必勝君に意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。(平岡梓『倅・三島由紀夫』より)

 森田が諫止を聞き入れなかったとする証言は他にも多々ある。よって、その死の責任を三島ばかりに帰すのは酷だろう。
 それでもやはり、師として、そして団体の責任者として止めなければならなかった、とは思う。ここで制止できないところに三島の“気弱さ”が透けて見える。
 そして、この気弱こそ、彼を奇態な死に追いやった原因のひとつだったと今の私は感じている。

“普通の子”になりたかった少年

 病弱なまま小学校に入学した三島は、病弱ゆえにできないことが多かった。体育の授業、遠足、男の子同士の乱暴な遊び。誰もが当たり前に参加しているそれらの「普通」とは縁がないまま育った。
 思春期前の子供にとって、集団生活の中で一番大切なのはなにか。
 それは「みんなといっしょ」であることだ。
 普通、であることだ。
 持ち物一つ、着るもの一つにしてもみんなといっしょでなければ気がすまない。それが子供というものである。
「私だけあれ持ってない! ~ちゃんも持ってる!」「よそはよそ! うちはうち!」ってな会話、親御さんとした記憶はないだろうか? 持ち物や衣服、行動、いずれも上下のどちらに突出してもいけない。三島の小学校と中学校は戦前の学習院、つまり庶民とはまったくかけ離れた世界で過ごしたわけだが、学習院には学習院なりのスタンダードというか、平均値があるだろう。
 三島の小中時代に関しては、同級生のこんな証言がある。座談形式の記述から抜き出してみよう。出典は三島由紀夫研究会が出版した『同時代の証言 三島由紀夫』の「同級生・三島由紀夫」、文中「松本」と「佐藤」は聞き手の人物、「本野」と「六條」は同級生のお名前である。各発言者のプロフィールは注欄に後述、敬称は書籍の記述に従って略とする。

松本 三島さんは、どんな印象でしたか。
本野 非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶものがいない。
六條 それは、誰もが認めていましたね。

 けれども、クラスのリーダー的存在、いわゆるスクールカースト上位の人間ではなかった。むしろ“変人”と思われていた。

六條 わたくしはね、初等科六年生になるときに京都の学校から転校したんです。そうしたら一ヶ月くらいして修学旅行があって京都に行くんですよ。何だかつまらなくてね。それで、どういうわけだか平岡にウチに来るかいって言ったら、彼来たんですよ。それがおかしいのは、ウチに来て貝合せだとか京人形だとかにひどく興味があるらしくて、それで遊ぶんです。じっと見たりして、何だか女の子みたいだなあって、変な人だなあって思いましたよ(笑)。

 何だか女の子みたい、という評は、戦前軍国主義社会で育った少年にとっては致命的だ。いくら成績優秀でも「女の子みたい」ではスクールカースト最底辺に甘んずるしかない。六條氏いわく、中等科時代の三島は色が真っ白だったせいで気持ち悪く見え、同級生からは「しらっこ」とあだ名されていたそうだ。

松本 昼休みに一人で校庭を散歩するとか、そういうことも書いていますが。
六條 そうですよ。みんなの中に入って和気藹々と話をするとか、そういう人ではなかったですよ。第一、彼のことが話題になるってことがなかったですよ。どっちかと言うと、みんながあまり相手にしていなかったという印象ですよ。

(中略 高等科では総務部総務幹事をしていたことから目立つ生徒だったのではと聞くインタビュアーの言葉に反論して)

本野 いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。

(中略)

六條 それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。それだけはみんなが一目置いていた。
本野 成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては次元が違う。

(中略)

本野 昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたも、そうでしょ。
六條 うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく知っているとかは。

 小中のスクールカーストが頭より体、つまりお勉強ができる、より、男の子として“強め寄りの普通”であることに重きを置くのは華族学校でも同じであったらしい。
 その上、庶民の目から見れば十分上流といえる高級官僚の父も、同レベル以上がデフォルトのエリアでは箔にすらならなかった。これが普通の小学校なら教師ですら一目置いただろうが、そこは学習院。日本のもっとも貴き方々が通う学校だ。傍流の農林官僚なんて、むしろうだつが上がらない方にカウントされるらしい。その点、大学卒業後の三島が入局した大蔵省なんかは花形だが、それでも主計局でなければ駄目のようだ。

六條 いや、あの頃は逓信省とか厚生省とか文部省とかは、ちょっと低いんですよ。入るのがやさしいの。優秀な人から順番に大蔵、商工、農林へと入ると聞いていましたよ。
佐藤 三島由紀夫の場合ですと、昭和二十二年十一月に高文(注1)に合格してから、大学に大蔵省、商工省、農林省宛に履歴書を提出しています。いま六條さんがおっしゃった難しい三省ですね。(中略)しかし、成績がよくなかったから主計局のようなところには行けなかった。
本野 あれほど頭のいい男だったから、屈辱感があったんじゃないだろうか。

 屈辱感があったかどうかはわからないが、ある種の空気をひしひしと感じていただろうことは間違いない。たとえば、こういう空気だ。

(三島が働きながらの執筆で疲労困憊し、大蔵省を一年足らずで退職することになった経緯について話す流れから)
松本 親父さんは息子の体を心配したのでしょうが、別の面では、大蔵省に入ったものの主計局ではなく銀行局なので、もういい、大蔵省に入っただけでいいという気になったのかもしれませんね。
本野 うん、そういう気持ちはあったでしょうね。役所というところは、外から見ると分かりませんが、中に入ればトップに行く者のポジションとそうでない人のポジションというが(ママ)ありますからね。平岡の親父さんは?
六條 水産局長、農林省の。農商務省に入った。
本野 親父さんは、自分がトップに行くっていう気持ちがあったのかしら。水産局長というのは、そういうポジションじゃないでしょ。
六條 そうですね。

 この手の官僚内カーストは、縁なき衆生にはまったくわからない。正直、くだらない、という気持ちしかわかない。だが、その世界に住む人々にとっては一大事なのだろう。他にも平岡家が華族ではなかったことも、三島が特別視されなかった理由のひとつに数えられている。
 だが気弱一方でもなかった。早くから自己顕示欲を示していた部分があったことなどが、赤裸々に語られている。
 要約すると、頭は抜群にいいのに、それが価値にならない学校という環境、さらには親の職業や身分が子の言動を意識下で縛る状況において、三島はごく影の薄い、周囲にまったく認めてもらえない少年として過ごすしかなかった。
 僕は体が弱いから、目立つこともできないし、友だちもいない。
 体さえ強ければクラスの中心になれたのに。
 傑出した能力を持ちながらも、同級生に認められない自分。ボーイズクラブのマイノリティとしていつまで経っても日陰者扱いされる日々。鋭敏な感性と観察眼を持った子供には針のむしろだ。こじれた自己認識を養うには十分すぎる。

一方ではおもねり、一方では峻拒

 子供にとって、居心地の悪い教室は地獄だ。それをサヴァイヴするには強くなるか、己の世界にこもるしかない。そして、ひ弱な男児が取りうるのは後者の道だけだった。

 綴方(注2)の教師は、私の空想的な綴方に眉をひそめていたが、そこには何ら現実に見合うべき言葉が使われていなかった。(『太陽と鉄』)

 では、三島はどんな世界で空想を鍛えていたのだろうか。
 中学に入るまでの彼の世界は、学校を除くと、祖母の居室および祖母や親が鑑賞を認める本や芝居だけだった。つまり「言葉」が世界を覗く窓のほぼすべてだった。空想の材料は、その窓から見える景色に限られていた。
 小学生も高学年になるぐらいまでは、ごく普通の児童文学を読むだけだった。大人の本は禁止されていた。これは戦前の家庭ではよくあることで、特別視するような話ではない。
 むしろ、特筆すべきは、数少ない例外が泉鏡花作品だった、という事実だろう。
 なぜ鏡花だったのか。
 それは単に、祖母の枕頭にあったから、らしい。
 三島というと、フランス文学や森鴎外を好んだことが指摘されがちだが、もっとも親しみを感じたのは案外鏡花だったのではないか、という気がする。というのも、三島による鏡花評の中に、こんな一文があるからだ。

 しかし世間の常凡な感受性に、一方ではおもねりながら、一方ではこれを峻拒するような、ふしぎな矛盾した性格を持った鏡花の文学は、なお多くの誤解と偏見をくぐり抜いて生きてゆかねばなるまい。(『日本の文学4』解説より)

 これを読んだ時、「鏡花の文学」を「三島の文学」に置き換えたらそのまんまじゃないか、と思ったものだった。
 そして、今はこう思う。
「三島の人生」に置き換えたらそのまんまじゃないか、と。
 彼の文学は、高尚と通俗を行きつ戻りつした。
 三島には、“下々の生活文化”への憧れがあった。下町の祭り然り、肥汲み男然り。『仮面の告白』で、そのあたりをなんだか得意げに開陳している。昔は、ここでのドヤ顔がどうにも不可解だったのだが、今ならわかる。
 高尚と卑俗、両方理解できる自分が特権的に感じられたのだろう。
 華族学校の限られたメンツの中でいくら無双したって、そんなの無意味。俺こそ、より広い世界を知っているのだ、と。同級生の眼中にない世界の価値を理解できる僕は神の目を持っている。そう思ったのかもしれない。
 三島の歌舞伎好きだって、これが理由かもしれない。歌舞伎は今でこそ伝統芸能として高尚視されがちだが、筋立てはかなり俗だし、流れる感情だってなかなか下衆い。元々が庶民の娯楽だったのだから当然だろう。能楽も舞踊劇としての抽象性、詞書の文学性は高いが、語られる感情はそこそこ俗である。
 高尚と低俗の混交は、早い時期から三島の「嗜好」となり、やがて人生の「指向」になっていった。この嗜好/指向と、「ボーイズクラブで中心になりたかった少年」の夢が魔合体した結果が「楯の会」ではなかったか。
 つまり、少年のアンビバレントなコンプレックスの暴発が「楯の会」の正体だと思うのだ。そして、楯の会を作ったことで三島の魂は「しらっこ時代の歯ぎしり」に固定され、変死が不可避となった。次回はそこを見ていきたい。

注1 高文(こうぶん) 高等文官試験。1894年から1948年まで実施されていた国家公務員高級官僚の採用試験のこと。
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注2 綴方(つづりかた) 旧制小学校における作文教育のこと
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対談部分 発言人物プロフィール(なお職業および肩書きは書籍発刊当時のもの)

松本 松本徹(まつもと・とおる)
昭和8年(1933)、北海道生まれ。三島由紀夫文学館館長、文芸評論家。

佐藤 佐藤秀明(さとう・ひであき)
昭和30年(1955)、神奈川県生まれ。近畿大学文芸学部教授。

六條有康(ろくじょう・ありやす)
大正12年(1937)、京都生まれ。文部省で長年勤め、退官後は南九州学園理事、同短期大学学長などを歴任。六條家は京都の古い家柄の華族。

本野盛幸(もとの・もりゆき)
大正13年(1938)、東京生まれ。外務省で外交官として勤務し、ニューヨーク総領事、フランス大使などを歴任。佐藤栄作首相の秘書官も務めた。本野家は明治時代の官僚出身の華族、曽祖父の時代は半士半農。

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