第13回
2013年秋―身体の異変
2018.07.12更新
【 この連載は… 】 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という難病をご存知ですか? 意識や五感は正常のまま身体が動かなくなり、やがて呼吸困難を引き起こす指定難病です。2014年の「アイスバケツ・チャレンジ」というパフォーマンスで目にした方も多いでしょう。あれから約4年経過した現在、まだ具体的な解決法はありません。本連載では、27歳でALSを発症した武藤将胤さんの「限界を作らない生き方」を紹介します。日々、身体が動かなくなる制約を受け入れ、前に進み続ける武藤さん。この困難とどう向き合っていくのか、こうご期待!
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2013年秋―身体の異変
ALSの症状の出方は、大きく分けて4つに分類されるといわれている。
・上肢、手の動きから支障が出る
・下肢、脚の動きから支障が出る
・ものの飲み込みや発語から支障が出る
・手足の筋力よりも先に呼吸困難が起きる
僕の場合、初期症状は上肢から、まずは左手のしびれから始まった。
異変に気づいた最初は、2013年9月頃。
僕は左利きだ。しびれが続くうちに、字が書きづらくなる、箸を使う細かい動きがしにくくなる、グラスを持つと手が震える、といった症状が出てきた。
当時は、広告マン生活4年目、博報堂で外資系クライアントを担当し、さまざまな広告コミュニケーション設計の仕事をしていた。忙しくてハードだったが、仕事はやりがいがありとても面白く、毎日が充実していた。
27歳、エネルギーがあふれていたから、深夜まで仕事をして、それからクラブに行って4時頃まで遊び、家に帰ってちょっと仮眠して朝7時からテレビ局での仕事、というような日常だった。
手のしびれも、当初は、「寝不足で疲れているせいかな」とか「ちょっと飲みすぎかも、気をつけよう」と思う程度だった。だが、日を追うごとに少しずつ症状が重くなっていく。「これはちょっとまずい」と感じつつも、日々の忙しさにかまけている間に年を越していた。
病院で診てもらうことにしたのは、おかしいと感じはじめてから3カ月以上経った2014年1月のことだ。
3週間の検査入院
何科を受診したらいいのかわからず、まず整形外科に行った。
そこから神経内科にまわされた。
その病院ではよくわからないということで、大学病院に行くことを勧められる。それが3月のことだった。
大学病院の初診の際、医師が唐突に言った。
「検査のため、3週間ほど入院しましょう」
意味がわからなかった。
検査になぜ入院が必要なのか? しかも3週間って何なんだ?
「3週間の入院? 冗談じゃない、そんなヒマ人じゃないんだよ」という心境だった。
自分が何の病気なのかは確かに気がかりではある。だが、3週間も戦線を離脱しなければならないなんて、まともに働いているビジネスマンだったらまず考えられない話だろう。
そのとき力を注いでいたプロジェクトのことを考えた。あれを今ここで放り出すなんて論外だ。
「入院なんて無理です。仕事の現場を離れられません」
僕は憮然としながら言った。
しかし、医師はもっと憮然としながら言うのだった。
「いや、少しでも早いほうがいいと思うんですがね……」
その眼は「あなたの身体の問題ですからね」と語っていた。
僕の身体を心配する両親からも説得され、結局、医師の言う通りに検査入院することになった。
大事な仕事のなりゆきを見届けることができなくなった僕は、悔しくてたまらなかった。その晩は、激しく泣きじゃくった。あんなに泣いたのはいつ以来だろう。
病名が判明しない苛立ち
そんな思いで入院し、3週間以上にわたって次から次へと検査を受けたにもかかわらず、病名ははっきりわからなかった。
今思えば、その「はっきりわからない」ことが、ALSである可能性の高さを示していたのだが、当時はそういうことだとは気づいていなかった。
ALSという病気はまだ原因がわかっていないため、ALSだと特定するための検査というものがないらしい。いろいろな検査をして、考えられうる神経系統の病気について一つひとつ「この病気ではない」「この病気でもない」と、消去法で潰していくという手法が行われているようなのだ。そのため、いろいろな検査をするが、診断はなかなかつかない。
確かにその頃から、
「ALSの疑いもあります」
と言われてはいた。
言われてはいたけれど、医師の言葉のニュアンスがいつも曖昧だったので、たぶん自分はそうではないのだろう、と思っていた。
では何なのか。
病院での診断がつかないまま、不安が増していく。
ネットで検索してみると、ALSの症状に当てはまる部分が多い。
それまで、ALSのことはなんとなく知っている程度で、詳しいことはよくわかっていなかった。だがALSに関する情報を知れば知るほど、暗い内容にぶち当たる。胸苦しくなるような不安が拡がっていく。
経過観察のため、検査入院した大学病院に月に1回通院していたが、はっきりと診断がくだされない状態が続いていた。そうするうちにも、症状はだんだん重くなっていく気がする。不安と焦燥は増すばかりだった。
後から知ったことだが、いまだ治療法のないALSであることを患者に告げることは、暗い将来を「宣告」することになるため、確実にそうだと言いきれるまでは明言を避けようとする医師が多いのだそうだ。
そのときの僕の担当医もそうだった。
今日こそははっきりしたことを聞きたいと思って、担当医に詰め寄った。
「僕はALSという病気なのではないですか? 先生、はっきり言っていただけませんか?」
医師は静かに言った。
「ALSである可能性は拭えません。けれども、そうだと言うことは人生を大きく左右することになりますから、『疑わしい』というだけで特定することはできません」
その日も空振りに終わった。
慎重を期す先生なのだという見方もできるかもしれない。だが、問題は、病名が特定されないと、治療も始められないことにあった。
ALSは、まだ確実に有効といわれる治療法はないが、病気の進行を多少なりとも遅らせることができるといわれている薬がある。ALSであると診断されないことには、そういった治療を受けることもできないのだ。
ただ経過観察をするのではなく、ほかに医療的にできることはないのか。何か手立てがあるのであれば、それを1日でも早く講じてほしい。
最初は検査のためにすぐに入院をしろと言ったのに、なぜ診断をくだすのにこれほど時間をかけるのか。
僕は、前向きな対応策を探していた。早く何か対策を打ちたかった。
折も折、「アイスバケツ・チャレンジ」が世の中を賑わせ、ALSという言葉が頻繁に飛び交っていた。まだ治療法が見つかっていない難病。そのためのチャリティ。
僕自身、まさにその病気かもしれないのだ。じっとしていられない気分だった。
家族と相談し、「セカンドオピニオンを得よう」ということになった。
そして、かかっていた病院から種々の検査データを提供していただき、東北大学病院神経内科の青木正志教授を訪ねることになる。
それが2014年10月27日のことだった。
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一般社団法人WITH ALS
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