第22回
益謙第二十二
2019.01.04更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
「もくじ」はこちら
益謙第二十二
22 少なければ得られ、多ければ迷う
【現代語訳】
曲がっているからこそ、目立たずに身をまっとうできるし、身をかがめるからこそ(失敗し、傷つくことがあるからこそ)、その後まっすぐに伸びていくことができる。くぼんでいるからこそ、満ちることができる。破れるからこそ、新しいものに変えることができる。少なければこそ、得ることができ、多ければ迷ってしまう(万事ひかえめで欲をかかないでいると得ることができ、多くを求めると迷ってしまい大変なことになる)。
それゆえ聖人は、一なる「道」を守り、一体となるから世の中の模範となるのだ。自ら自分を見せびらかそうとしないから、逆にそのすばらしさが見える。自ら自分が正しいとしたりしないから、その正しさが明らかとなる。自らその功績を誇らないから、成功する。自ら才能を自慢しないから、長続きする。
そもそも人と争うことをしないから、世の中の人は誰も彼と争わない。古人が言った「曲がっているからこそ、目立たずに身をまっとうできる」というのは、いかにもでたらめではない。そうやって身をまっとうしてから、これを万物の始源たる「道」に帰すのである。
【読み下し文】
曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し(※)、枉(ま)がれば則(すなわ)ち直(なお)し、窪(くぼ)めば則(すなわ)ち盈(み)ち、敝(やぶ)るれば則(すなわ)ち新(あら)たなり、少(すく)なければ則(すなわ)ち得(え)られ、多(おお)ければ則(すなわ)ち惑(まど)う。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は一(いつ)を抱(いだ)きて天下(てんか)の式(しき)(※)と為(な)る。自(みずか)ら見(あら)わさず、故(ゆえ)に明(あき)らか、自(みずか)ら是(ぜ)とせず、故(ゆえ)に彰(あら)わる。自(みずか)ら伐(ほこ)らず(※)、故(ゆえ)に功(こう)有(あ)り、自(みずか)ら矜(ほこ)らず、故(ゆえ)に長(ひさ)し(※)。
夫(そ)れ惟(た)だ争(あらそ)わず、故(ゆえ)に天下(てんか)も能(よ)くこれと争(あらそ)う莫(な)し(※)。古(いにしえ)の所謂(いわゆる)曲(ま)がれば則(すなわ)ち全(まった)しとは、豈(あ)に虚言(きょげん)ならん哉(や)。誠(まこと)に全(まった)くしてこれを帰(かえ)す。
- (※)曲なれば則ち全し……この言葉を木にたとえるとよくわかる(『荘子』人間世篇参照)。自然のままに曲がった木は役に立ちそうにないため、伐採されずにかえって寿命をまっとうできる。これを人間にたとえると、余計な手を加えてまっすぐに伸ばしていくと目立ってしまい、かえって人からちょっかいを出されて途中で倒されてしまう、ということを意味している。
- (※)式……手本。法則。
- (※)自ら伐らず……「伐」は功績を誇ること。なお、次にある「矜」は才能を自慢し誇ること。
- (※)長し……続く。なお、「長」を「おさ」や「ちょう」と読み、組織のトップと解する説もある。
- (※)天下も能くこれと争う莫し……世の中の人は誰もこれ(彼)と争わない。老子の不争の思想をよく表している。後己第六十六にも同じ表現がある。なお、易性第八にも「夫れ唯争わず」とある。
【原文】
益謙第二十二
曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新、少則得、多則惑。
是以聖人抱一爲天下式。不自見、故明。不自是、故彰。不自伐、故有功。不自矜、故長。夫惟不爭、故天下莫能與之爭。古之所謂曲則全者、豈虛言哉。誠全而歸之。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く