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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第24回

印鑑は必要ない

2018.04.11更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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先日、とある地方都市の公共施設で講演会を行なってきました。大規模ではなかったけれど、そのぶん来てくださった方々との距離感がちょうどよく、とてもいい雰囲気のなかで話せたと思っています。

ああいう講演会なら、いつでもどこでも何度でもお受けしたいところだと感じたなー。ホントに感謝です。ありがとうございました。

が、その一方で気になったことも。

講演をすれば、講演料をいただけることになります。おそらくみなさんがイメージされるほど高額ではないのですが、講演会で儲けようと思っているわけではないし、極端な話、足が出なければ別にいいやと考えていたりもします。

でも問題は講演料のことではなく、「そこに行き着くまでの過程」なのです。

公共施設での講演会ですから、当然のことながら担当はその市のお役所ということになります。ですから、民間のそれよりも手続きが面倒なんだろうなということは充分に予想できていました。

ただ、その手続きの煩雑さが、こちらの予想をはるかに上回っていたわけです。

しかしまぁ、係の方はみなさんいい人でしたし、要はずっとそういうやり方できただけのこと。だとしたら、それを「けしからん!」と非難しても仕方がないわけです。だから黙ってた……というよりは、「おー、やっぱりそういう感じかー!」って楽しんじゃってたんですけどね。

予想どおりだったのは、講演料を入金していただくにあたって、たくさんの書類を提出しなければならないことでした。

そのため講演会には印鑑セット持参で伺い、たくさん署名してたくさん印鑑を押しました。はっきり覚えてないけど、4、5枚は書類があったんじゃないかな? いずれにしても、そんなわけで捺印作業も無事に終了。

たしかに面倒ではあったけど、それだけやったのですからもう安心です。印鑑を持って来いと言われて面倒だと感じる人もいるかもしれませんが、それで済むなら別にいいじゃないですか。

済むなら……ね。

そう、済まなかったんですわ。

週明けに何度か電話がきたようなので、おかしいなと思ってはいたのです。出られなかったのですが、二度ほど留守番電話が入っていました。

僕は受け取っていないけれど、先方には僕の名刺を渡しています。だから、そこに書いてあるアドレスまでメールをいただければなと思ったんですけどね。

しかしそんなこともなく、結局は以後も「電話→留守電」というルーティンが何度か繰り返され、結局はその一週間後くらいに一通の封書が届いたのでした。

もう一枚、必要な書類があったので、捺印したうえで返送してくれとのこと。

えー、まだあるの?

でも仕方がないから捺印して送ったところ、また手紙が届いたのですわ。次のように書かれておりました。

「講演会当日にいただいた印鑑と印影が違います」

\(^o^)/\(^o^)/

仕方がないからまた捺印しなおして再送したんですが、今度は連絡がないから大丈夫だったのかな。

ともあれ、そんなことを経験して、すごく感じたのです。「やっぱり印鑑って、必要ないよな」って。

同じことを感じている人は少なくないと思うのですが、お役所や銀行で当たり前のように使われている印鑑というものは、どう考えても時代錯誤ではないでしょうか?

たとえばいまの時代、クレジットカードで支払いをする人も多いと思いますが、そんなとき必要とされるのは暗証番号もしくはサインです。コンビニで支払いをしようというとき、そこで印鑑を持ち出したりしたら、笑われること間違いなしです(だから、ウケを狙いたいのであればアリかも……いや、ウケないよそれ)。

銀行においても、大口の取引などでは印鑑が必要になります。それどころか、お役所へ行って印鑑証明をとってこいと言われるケースも少なくありません。でも、あの印鑑証明ってやつも、かなりズレてますよね。

そもそも、「運転免許証や保険証があっても、印鑑証明がなければダメ」という考え方はまったく時代に即していないように思えてなりません。

しかも、そうでありながら、日常的なお金の出し入れにはキャッシュカードが主流なのです。明らかにバランスがおかしい。だいたい、いまだに謎の印鑑制度が続いているのは世界的に見ても日本だけではないでしょうか。

ところで今回の騒動があっていろいろ調べてみたのですが、驚いたのは、業者など「印鑑推進派」の主張の説得力のなさです。

たとえば、「夫に代わって妻が銀行にお金を降ろしに行ったとき、生体認証ではどうにもできない」とかね。たしかにキャッシュディペンサーを使う場合はそうかもしれないけれど、「だから印鑑が必要」ということにはならないと思うんですけどね。

むしろ、誰でも簡単に三文判を手に入れることができる印鑑よりも、パスワードを使用するほうがセキュリティ的には安全でしょうし。

ましてや「(印鑑が使われなくなったら)業界が危機に陥る」なんて意見まで目にしてしまうと、的外れもいいとこだと思わずにはいられないわけです。

毎日の暮らしのなかで、僕らはいろんなものを「これ、本当に必要?」と確認をしないまま使いすぎているように思います。つまりはそれがこの連載の趣旨であるわけですが、こうして改めて考えていくと、印鑑などはその最たるものだとしか思えないのではないでしょうか?

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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