第15回
40話~42話
2016.08.08更新
40 見て見ぬふりは臆病者のすること
【現代語訳】
孔子先生は言われた。「先祖の仏や神でもないのにこれを祭るのは、ご利益目当てのへつらいにすぎない。やるべきことがわかっているのにやらないのは、勇気がない臆病者である」。
【読み下し文】
子(し)曰(いわ)く、其(そ)の鬼(き)(※)に非(あら)ずして之(これ)を祭(まつ)るは諂(へつらい)なり。義(ぎ)を見(み)て為(な)さざるは勇(ゆう)なきなり。
(※)鬼……人の霊魂。祖先の霊。神。ちなみに「天ありては神といい、地にありては祇といい、人にありては鬼」という。
【原文】
子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、
八佾(はちいつ)第三
41 礼を無視する者を信用するな
【現代語訳】
孔子先生が季(き)氏(し)(※)について言われた。「魯の国の大夫(たいふ)(貴族)にすぎないのに、天子しか催せないはずの八佾(※)を庭で行っている。こんなことを平気でやれる者は、どんな悪事でもやってのけてしまうだろう」。
(※)季氏……魯の大夫李孫氏。権力ある大夫の仲孫(猛孫)氏、叔孫氏とともに、三家ともいわれ、いずれも垣公の子孫ということから三垣ともいわれた。
(※)八佾……佾は舞楽の行列で一佾は八人で成る。天子は八佾で大夫は四佾と決まっていた。
【読み下し文】
孔子(こうし)、季(き)氏(し)を謂(い)う、八佾(はちいつ)を庭(にわ)に舞(ま)す。是(これ)にして忍(しの)ぶ可(べ)くんば、孰(いず)れをか忍(しの)ぶべかざらん。
【原文】
孔子謂季氏、八佾舞於庭、是可忍也、孰不可忍也、
42 礼をわきまえない者にまともな人物はいない
【現代語訳】
魯の大夫(たいふ)(貴族)である三家(季孫(きそん)、叔孫(しゅくそん)、孟孫(もうそん))が、祖先の祭で終わりを雍(よう)の詩(※)でしめくくった。
孔子先生はこれを非難して言われた。「雍の詩には、『祭を助けるのは諸侯であり、天子は威厳を漂わせて上品にひかえておられる』とある。これからわかるように、三家の堂で行う祭りに用いるのは大変おかしなことなのだ(世のしきたりを無視する者はまともな人物ではない)」。
(※)雍の詩……詩経の周頌の篇名。天子が宗廟に祭る時に歌うとされていた。
【読み下し文】
三家者(さんけしゃ)、雍(よう)を以(もっ)て徹(てつ)す。子(し)曰(いわ)く、相(あい)くる者(もの)維(こ)れ辟(へき)公(こう)、天子(てんし)は穆穆(ぼくぼく)たり、とあり、奚(いずく)んぞ三家(さんけ)の堂(どう)に取(と)らん。
【原文】
三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂、
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