第2回
養身第二
2018.12.05更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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養身第二
2 世俗の価値にとらわれてはいけない
(価値は相対的なもの)
【現代語訳】
世の中の人は、皆、美は常に美であると考えているようだ。しかし、美は同時に醜(みにく)いものでもある。皆、善いものは善いと思っているが、善は同時に悪でもある。
有ると無いとはそれぞれ相手があってこそ生まれており、難(むずか)しいと易やさしいも相手があってこそ成り立ち、長いと短いとも、相手があることによってこそはっきりとわかり、高いと低いとも、相手があってこそわかり、楽器の音と人の肉声とは、相手があることで調和し、前と後とは、相手があることで決まる。
だから「道」と一体となっている聖人は、無為の立場に身を置き、言葉によらないで(世俗の価値観にとらわれないで)教訓を実践するのである。万物を自生にまかせて手を加えることをせず、それを自分のものとはせず、大きな仕事を成しても見返りを求めず、成功するもそれに安住することをしない。そもそも安住しないから、その功績はなくならないのだ。
【読み下し文】
天下(てんか)皆(みな)美(び)の美(び)たるを知(し)るも、斯(こ)れ悪(あく)なる已(のみ)。
皆(みな)善(ぜん)の善(ぜん)たるを知(し)るも、斯(こ)れ不善(ふぜん)なる已(のみ)。故(ゆえ)に有(ゆう)と無(む)と相(あ)い生(しょう)じ、難(なん)と易(い)と相(あ)い成(な)り、長(ちょう)と短(たん)と相(あ)い形(かたち)し、高(こう)と下(げ)と相(あ)い傾(かたむ)き、音(おん)と声(せい)と相(あ)い和(わ)し、前(ぜん)と後(ご)と相(あ)い随(したが)う。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)(※)は、無為(むい)(※)の事(こと)に処(お)り、不言(ふげん)の教(おし)えを行(おこな)う。万物(ばんぶつ)焉(ここ)に作(おこ)るも而(しか)も辞(じ)せず(※)、生(しょう)ずるも而(しか)も有(ゆう)とせず、為(な)すも而(しか)も恃(たの)まず、功(こう)成(な)るも而(しか)も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居(お)らず、是(ここ)を以(もっ)て去(さ)らず。
- (※)聖人……理想的な人。ここでは(老子では)儒家のいう堯(ぎょう)、舜(しゅん)あるいは孔子などの特定の人物を指さない。老子のいう「道」に合一した最高の境地にある人をいう。
- (※)無為……「無為」は老子の理想的な行動様式。直訳すると「何もしないこと」ではあるが、ただ何もしないというよりいわゆる宇宙根源の「道」にまかせ、余計なことをしないことを意味している。
- (※)辞せず……やめる。手を加えない。「辞」を「始」の借字と見る立場の説も、自然に対して干渉しないという意味に解している。なお、「辞(じ)せず」を「辞(ことば)せず」と読み、説明を加えないと解する説もある。
【原文】
養身第二
天下皆知美之爲美、斯惡已。皆知善之爲善、斯不善已。
故有無相生、難易相成、長短相形(※)、高下相傾、音聲相和、歬後相隨。
是以聖人處無爲之事、行不言之敎。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
- (※)長短相形……「形」を「較」とする説もある。『帛書』では「較」が「刑」となっている。「刑」は「形」と同じ意味。
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