第29回
無爲第二十九
2019.01.16更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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無爲第二十九
29 過度なこと、ぜいたく、驕(おご)ったことはしない
【現代語訳】
天下を取ろうと欲していろいろな工作を図る人もいるが、私から見れば、それは達成できることではないのがわかる。天下というものは神聖な器(うつわ)であり、どうのこうのできるものではない。何かを成そうと動く者は天下を壊し、つかまえようとするとかえって失ってしまう。
だから物事というのはさまざまで、自分から進んで行くものがあれば、他人について行くものもあるし、穏やかなものがあれば、激しいものもあるし、強いものがあれば、弱いものもあるし、相手を砕くものがあれば、自らだめになるものもある。
それゆえ「道」と一体となっている聖人は、過度なことをやめ、ぜいたくなことをやめ、驕ったことはしないのである。
【読み下し文】
将(まさ)に天下(てんか)を取(と)らんと欲(ほっ)してこれを為(な)すは、吾(わ)れ其(そ)の得(え)ざるを見(み)る已(のみ)。天下(てんか)は神器(しんき)なり、為(な)すべからざるなり(※)。為(な)す者(もの)はこれを敗(やぶ)り、執(と)る者(もの)はこれを失(うしな)う。
故(ゆえ)に物(もの)は或(ある)いは行(ゆ)き或(ある)いは随(したが)い、或(ある)いは歔(きょ)(※)し或(ある)いは吹(ふ)(※)き、或(ある)いは強(つよ)く或(ある)いは羸(よわ)く、或(ある)いは挫(ざ)し(※)或(ある)いは隳(お)つ。
是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)は、甚(じん)(※)を去(さ)り、奢(しゃ)を去(さ)り、泰(たい)(※)を去(さ)る。
- (※)為すべからざるなり……どうのこうのできるものではない。日本でも徳川家康などの武将の言葉に「天下は天下の人の天下にして、我一人の天下とは思うべからず」とあるが、老子の影響かもしれない。なお、この言葉の後に「不可執也」(執るべからず)を入れる説もある。次の文章とのつり合い、守微第六十四にも同じような文があることを根拠としている。
- (※)歔……穏やかに息を吹くこと。
- (※)吹……強く息を吹きかけること。
- (※)或いは挫し……相手をくじくこと。砕くこと。なお、原文の「挫」は、誤字であるとし、「載」や「培」であるとする説もある。前者だと「相手をのせる」、後者だと「成長する」などと訳することになる。
- (※)甚……過度なこと。度を越えていること。ひどいこと。
- (※)泰……驕ること。
【原文】
無爲第二十九
將欲取天下而爲之、吾見其不得已。天下神器、不可爲也。爲者敗之、執者失之。
故物或行或隨、或歔或吹、或強或羸、或挫或隳。
是以聖人去甚、去奢、去泰。
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