第31回
偃武第三十一
2019.01.18更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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偃武第三十一
31 戦争はやむをえない場合に限り、しかも最小限で行い、決して賛美するものではない
【現代語訳】
だいたい軍隊や兵器というのは、不吉な道具である。不吉な道具であるから、人々はこれを嫌う。したがって「道」と一体の人は、軍事の現場には直接たずさわらない。君子は普段の生活では左を上席としているが、軍事のときは反対に右を上席とするのである。
軍隊、兵器は不吉な道具であるから君子は直接かかわらない。やむをえないときにこれを使うにしても、熱くならずに冷めて用いるようにするべきだ。勝っても舞い上がって喜んではいけない。それなのに立派なこととほめちぎるのは、人を殺すことを楽しみとしているということだ。このように人を殺すことを楽しみとするような者は、天下において志を得ることなどできはしない。
一般に吉事の場合は左を上席とし、凶事の場合は右を上席とする。軍隊において副将軍は左の座席につき、大将軍は右の座席につく。これは葬儀の礼式にのっとっている。戦いで人をたくさん殺したときは、悲哀の心をもって泣き、もし戦いに勝ったときも、葬儀の礼式にのっとって対処するのである。
【読み下し文】
夫(そ)れ兵(へい)は不詳(ふしょう)の器(き)(※)なり。物(もの)或(ある)いはこれを悪(にく)む、故(ゆえ)に有道者(ゆうどうしゃ)は処(お)らず。君子(くんし)居(お)れば則(すなわ)ち左(ひだり)を貴(たっと)び(※)、兵(へい)を用(もち)うれば則(すなわ)ち右(みぎ)を貴(たっと)ぶ。
兵(へい)は不詳(ふしょう)の器(き)にして、君子(くんし)の器(き)に非(あら)ず。已(や)むを得(え)ずしてこれを用(もち)うれば、恬澹(てんたん)(※)なるを上(じょう)と為(な)す。勝(か)ちて而(しか)も美(び)ならず。而(しか)るにこれを美(び)とする者(もの)は、是(こ)れ人(ひと)を殺(ころ)すを楽(たの)しむなり。夫(そ)れ人(ひと)を殺(ころ)すを楽(たの)しむ者(もの)は、則(すなわ)ち以(もっ)て志(こころざし)を天下(てんか)に得(う)べからず。
吉事(きちじ)は左(ひだり)を尚(たっと)び、凶事(きょうじ)は右(みぎ)を尚(たっと)ぶ。偏将軍(へんしょうぐん)は左(ひだり)に居(お)り、上将軍(じょうしょうぐん)は右(みぎ)に居(お)る。喪礼(そうれい)を以(もっ)てこれに処(お)るを言(い)うなり。人(ひと)を殺(ころ)すことの衆(おお)ければ、悲哀(ひあい)を以(もっ)てこれを泣(な)き、戦(たたか)い勝(か)てば、喪礼(そうれい)を以(もっ)てこれに処(お)る。
- (※)夫れ兵は不詳の器……本書では「兵」を軍隊や兵器と訳したが、一般には武器と訳されている。下に器の文字があることからであろう。ただ、軍隊も装置と解されているし、広い意味では器に入る。しかもよりわかりやすくなると解する。なお、本章については後の時代の兵法家の文章がまぎれ込んだものではないかとの説もある。しかし、『帛書』にも含まれていた。本書の書き出しの原文に「佳」の字が入り、「夫佳兵者」となるとの説もあったが、『帛書』にも入っていない。
- (※)左を貴び……古代中国で左右どちらを上席としたのかについては、意見が分かれている。ただ、この老子の平時は左を上席とするという立場が日本にも影響を与え、左大臣、右大臣では左大臣のほうが上となったのではないか。
- (※)恬澹……熱くならず冷めていること。執着のないあっさりとした態度。
【原文】
偃武第三十一
夫兵者不祥之器。物或惡之、故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右。
兵者不祥之器、非君子之器。不得已而用之、恬澹爲上。勝而不美、而美之者、是樂殺人。夫樂殺人者、則不可以得志於天下矣。
吉事尙左、凶事尚右。偏將軍居左、上將軍居右。言以喪禮處之。殺人之衆、以悲哀泣之、戰勝、以喪禮處之。
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