第101回
76〜78話
2020.05.26更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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76 詩作や自然にも親しみたい。そのためには静かな場所を選びたい
【現代語訳】
詩をつくろうとする心が湧いてくるのは、例えば灞橋(はきょう)のような、田舎のひなびたところが良いとされている。かすかに詩を口ずさんでいると、あたりの林や谷も広々として我が心のなかに入ってくるようだ。また、自然に親しみそれを詩にしてみたいと思うならば、鏡湖曲に出てくるような、静かな湖のほとりが良い。そこを一人さまよえば、山も川も自然と美しく映え合っている。
【読み下し文】
詩思(しし)は灞陵橋(はりょうきょう)(※)の上(ほとり)に在(あ)り。微吟(びぎん)就(な)るとき、林岫(りんしゅう)(※)便(すなわ)ち已(すで)に浩然(こうぜん)(※)たり。野興(やきょう)(※)は鏡湖曲(きょうこきょく)(※)の辺(ほとり)に在(あ)り。独(ひと)り往(ゆ)く時(とき)、山川(さんせん)自(おの)ずから相(あい)映(えい)発(はっ)す。
(※)灞陵橋……灞橋のこと。灞陵は長安の東にあった場所で、漢の文帝が葬られている。『全唐詩話』で詩人鄭綮(ていけい)が「詩思(しし)は灞橋(はきょう)風雪(ふうせつ)の中(なか)、驢子(ろし)の背上(はいじょう)に在(あ)り」と述べたとある。これを前提にしている文章であろう。山のなかのひなびた橋ということで思い出されるのは『論語』の次の一説である。「色(いろ)みて斯(ここ)に挙(あ)がり、翔(かけ)りて後(のち)に集(あつ)まる」(郷党第十)。これは雌きじの動きを文章にしたものだが、幕末一の秀才といわれ『西国立志編』を邦訳したことで知られる中村正直が、「絶世の妙文」と述べている(拙著『論語コンプリート』郷党第十参照)。
(※)林岫……林や山あい。後の山、川と併せて自然を意味する。
(※)浩然……広々としている。孟子のいわゆる「浩然の気」は有名。なお、本書の前集37条の「正気」参照。文天祥によると「天地には正気(せいき)があり」、「人に於いて浩然の気と言う」(正気歌(せいきのうた))とする。
(※)野興……野や山の自然に親しむ。
(※)鏡湖曲……鏡湖は浙江省紹興の南にある湖。唐の名士であった賀知章(がちしょう)が帰郷に際し玄宗(げんそう)皇帝より「鏡湖剡川(せんせん)の曲」を賜わった(『唐書』隠逸伝)という故事による。
【原文】
詩思在灞陵橋上、微吟就、林岫便已浩然。野興在鏡湖曲邊、獨徃時、山川自相映發。
77 功を焦ると大きな目的が達成しにくい
【現代語訳】
長く地上で力を蓄えていた鳥は、飛び立つと他の鳥よりも必ず高く飛べる。早く咲いた花は、散るのが他の花よりも早くなる。こうした道理を知っていると、人生の途中で疲れて勢いが落ちることがあっても、それは力を蓄えるためであるから焦らずに済む。また、功を焦ってしまい、小さな目の前の利益を収めるために大きな目的を忘れてしまうこともなくなる。
【読み下し文】
伏(ふ)すこと久(ひさ)しき者(もの)は、飛(と)ぶこと必(かなら)ず高(たか)く、開(ひら)くこと先(さき)なる者(もの)は、謝(しゃ)(※)すること独(ひと)り早(はや)し。此(これ)を知(し)らば、以(もっ)て蹭蹬(そうとう)(※)の憂(うれ)いを免(まぬが)るべく、以(もっ)て躁急(そうきゅう)(※)の念(ねん)を消(け)すべし。
(※)謝……花が散る。おとろえしぼむ。落ちる。
(※)蹭蹬……勢いが落ちる。よろめく。
(※)躁急……焦る。なお、本項は『老子』のいわゆる大器晩成の思想に近いところがある。この点については、本書の前集221条も参照。また『論語』も「小(しょう)を忍(しの)ばざれば、則(すなわ)ち大謀(たいぼう)を乱(みだ)る」(衛霊公第十五)と言って、功を焦ってはいけないとしている。なお、我が国で「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助(パナソニック創業者)も時を待つ心について、「悪い時が過ぎれば、良い時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ」と言っている。本項の言うように、勢いが落ちる時は力を蓄えるためであるとともに、良い時(チャンス)を待っている時期であるともいえる。ちょうど『孫子』が「善(よ)く戦(たたか)う者(もの)は、其(そ)の勢(せい)は険(けん)にして、其(そ)の節(せつ)は短(みじか)し」(勢篇)と説いていることにも通じる。上記の「勢」は勢いのことであり、「節」は時を得た力の込められた強さのことである。勝つ者は、こうした勢いと力を蓄えることが大切なことをよく知っているのである。
【原文】
伏久者、飛必高、開先者、謝獨早。知此、可以免蹭蹬之憂、可以消躁急之念。
78 墓場にまで持っていけないものに、すべてをかけるのは馬鹿げている
【現代語訳】
樹木は枯れてしまって最後に根だけが残ると初めて、美しかった花も枝葉も、はかない栄華だったのがわかる。同じように、人間も棺に納まるときになって初めて、あんなに大事に思った子どもや財産が、墓場まで持っていけるものではないことを知るのだ。
【読み下し文】
樹木(じゅもく)は根(ね)に帰(き)するに至(いた)って(※)、而(しか)る後(のち)に華萼(かがく)(※)枝葉(しよう)の徒(と)栄(えい)なるを知(し)る。人事(じんじ)は棺(かん)を蓋(おお)うに至(いた)って、而(しか)る後(のち)に子女(しじょ)玉帛(ぎょくはく)(※)の無益(むえき)なるを知(し)る。
(※)樹木は根に帰するに至って……本文のように訳してみたが、『菜根譚』に関する多くの文献は次のように訳している。「樹木は、秋になると落葉して根だけになる」。しかし、語句を素直に読むのと、後半の文章の趣旨との関係から本書のように解したい。
(※)華萼……花。花とがく。
(※)玉帛……財産。財宝や爵位。本項にぴったりの言葉が西郷隆盛の漢詩の有名な部分である。「一家(いっか)の遺事(いじ)人(ひと)知(し)るや否(いな)や児孫(じそん)の為(ため)に美田(びでん)を買(か)わず」(『西郷南洲遺訓』)というものである。西郷は事実自分の財産には目もくれず、大久保利通などの他の明治の英勲たちと違って何も遺さなかったようである。生きているときから「玉帛」の無益を知っていたようだ。
【原文】
樹木至歸根、而後知華蕚枝葉之徒榮。人事至蓋棺、而後知子女玉帛之無益。
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