第102回
79〜81話
2020.05.27更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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79 世俗を超越するには修養しかない
【現代語訳】
真の空とは、何もないということではない。現象に執着することは真実ではなく、かといって現象を否定しまうことも真実ではない。釈尊に聞いてみると、どう答えるだろうか。釈尊は「世俗に身を置きながらも世俗を超越しなさい。欲望に従うのも苦であり、欲望を断つのも苦である。我々は修養していくしかないのである」と言うだろう。
【読み下し文】
真空(しんくう)は空(くう)ならず、執相(しゅうそう)(※)は真(しん)に非(あら)ず、破相(はそう)も亦(ま)た真(しん)に非(あら)ず。問(と)う、世尊(せそん)(※)は如何(いかが)に発付(はっぷ)(※)するや。在世(ざいせ)出世(しゅっせ)(※)。欲(よく)に狥(したが)うも是(こ)れ苦(く)、欲(よ)くを絶(た)つも亦(ま)た是(こ)れ苦(く)なり。吾(わ)が儕(せい)(※)の善(よ)く自(みずか)ら修持(しゅうじ)(※)するに聴(まか)す。
(※)執相……現象に執着する。「般若心経(はんにゃしんぎょう)」は「色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」という。色即是空の説明は難しいが、現象に見えるもの、つまり色は実体がない「空」であるという意味がある。また、空即是色は、実体がない「空」が現象に見える「色」なのである、という意味がある。
(※)世尊……釈尊。
(※)発付……意見を言う。
(※)在世出世……身は世俗にあって、心は世俗を超越する。
(※)吾が儕………我々。我ら。
(※)修持……修養。
【原文】
眞空不空、執相非眞、破相亦非眞。問、世尊如何發付。在世出世。狥欲是苦、絕欲亦是苦。聽吾儕善自修持。
80 人はどんな立場であろうと欲と悩みはついてまわる
【現代語訳】
義に徹していてこれを厳しく貫く人は、大国を譲ろうと言われても辞退するが、欲張りな男は、わずかなお金でもこれを得ようと必死になる。二人の人品には天と地ほどの違いがある。しかし、名誉を好むことと利を好むことは、欲にとらわれている点においては同じである。また、天子は国家を治めるが、もの乞いは食べ物をねだって叫ぶ。両者の差には、天と地ほどの差がある。しかし、前者は国政をいかに行うかについて悩み、後者は自分一人の食べ物のことについて悩んでいる。両者はどちらも悩むという点においては同じである。
【読み下し文】
烈士(れっし)は千乗(せんじょう)(※)を譲(ゆず)り、貪夫(たんぷ)は一文(いちもん)を争(あらそ)う。人品(じんぴん)は星淵(せいえん)(※)なり、而(しか)れども名(な)を好(この)むは、利(り)を好(この)むに殊(こと)ならず。天子(てんし)は家国(かこく)を営(いとな)み、乞人(きつじん)は饔飧(ようそん)(※)を号(さけ)ぶ。位分(いぶん)は霄壌(しょうじょう)(※)なり、而(しか)れども思(おも)いを焦(こ)がすは、何(なん)ぞ声(こえ)を焦(こ)がすに異(こと)ならん。
(※)千乗……大国。兵車千乗を出すことのできる大諸侯の国。なお、この語句については、本書の前集64条参照。『菜根譚』は名誉を好むことと利を好むことは欲にとらわれている点で同じという見解である。確かにこれも一理ある。しかし、これは私見であるが、名誉を好むなかにおいても勲章を欲するというのと、財欲を持たないことで得る人望という名誉を得るのは、違うものがあるのではないかと考える。前に述べた西郷隆盛が財欲のないことなどで人望が高かったのを見て、「西郷どんの声望好き」と批判的な言い方をする人たちもいた。これは自分の財欲の大きさをごまかすこともあったためにそう言ったのであろう。このように、私は欲を一概に否定するものではなく、どのような欲かを見極める必要があるのではないかと思う。
(※)星淵……天地。
(※)饔飧……食べ物。「饔」は朝食、「飧」は夕食。
(※)霄壌……天地。「霄」は空、「壌」は地。
【原文】
烈士讓千乘、貪夫爭一文。人品星淵也、而好名、不殊好利。天子營家國、乞人號饔飧。位分霄壤也、而焦思、何異焦聲。
81 まわりの人の言うことなど気にしない
【現代語訳】
世間の甘さ辛さがよくわかってくると、人の心が天気のように変わっても気にならない。目を開けて見るのも面倒なくらいだ。また、人情というものをわかりきってしまえば、牛といわれ、馬といわれても、放っておいて「はい、そうですか」とうなずくだけである。
【読み下し文】
世味(せみ)を飽(あ)き諳(そら)んずれば、覆雨(ふくう)翻雲(ほんうん)に一任(いちにん)(※)して、総(すべ)て眼(め)を開(ひら)くに慵(ものう)し。人情(にんじょう)を会(え)し尽(つ)くせば、牛(うし)と呼(よ)び馬(うま)と喚(よ)ぶ(※)に随教(ずいきょう)(※)して、只(た)だ是(こ)れ点頭(てんとう)(※)するのみ。
(※)覆雨翻雲に一任……人の心が天気のように変わっても気にならないこと。杜甫の詩からの言葉。
(※)牛と呼び馬と喚ぶ……『荘子』の「我(われ)を牛(うし)と呼(よ)ぶや、而(すなわ)ち之(これ)を牛(うし)と謂(い)い、我(われ)を馬(うま)と呼(よ)ぶや、之(これ)を馬(うま)と謂(い)う」(天道篇)からの引用。
(※)随教……勝手に○○させておく。
(※)点頭……うなずく。本項の解釈については、本書の前集169条、後集63条、68条、70条参照。
【原文】
飽諳世味、一任覆雨飜雲、總慵開眼。會盡人情、隨敎呼牛喚馬、只是點頭。
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