第18回
49〜51話
2020.01.21更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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49 平穏無事な日常が一番の幸せである
【現代語訳】
人生において何が幸せかというと、平穏無事な日常である。何が不幸かというと、欲が多いということである。ただ、あれこれと苦労してきた者だけが、平穏無事な日常が幸せであるということがわかるようになる。そして、心を平静にできる者だけが、欲が多いことが不幸であることがわかるのである。
【読み下し文】
福(さいわい)は事(こと)少(すく)なき(※)より福(さいわい)なるは莫(な)く、禍(わざわい)は心(こころ)多(おお)き(※)より禍(わざわい)なるは莫(な)し。唯(た)だ、事(こと)に苦(くる)しむ者(もの)のみ、方(はじ)めて(※)事(こと)少(すく)なきの福(さいわい)為(た)るを知(し)り、唯(た)だ、心(こころ)を平(たい)らかにする者(もの)のみ、始(はじ)めて心(こころ)多(おお)きの禍(わざわ)い為(た)るを知(し)る。
(※)事少なき……平穏無事なこと。事件や問題が少ないこと。本項は「あれこれと苦労してきた」著者だから言える、真実の言葉である。なお、『孟子』の尽心上篇でも、君子の楽しみの第一として、両親がそろって健在で兄弟にも事故がないこと、すなわち家庭が平穏無事であることを挙げている。本書の前集66条参照。
(※)心多き……欲が多い。気が多い。あれもこれもと考える。
(※)方めて……初めて。やっと。
【原文】
福莫福於少事、禍莫禍於多心。唯苦事者、方知少事之爲福、唯平心者、始知多心之爲禍。
50 自分の考える正しい道は守りつつ、他と協調することも忘れない
【現代語訳】
よく治まった良い時代なら、正義を通して生きるのが良い。逆によくない乱れた時代なら、角ばらずに柔軟な態度で生きるのが良い。世も末の現在においては、自分の考える正しい道は守りながらも、他と協調することを忘れずに臨機応変に対応していくべきだ。人に対しても、善人には寛大に、悪人には厳しく対応し、普通の人に対しては寛大さと厳しさをうまく使い分けるようにしたい。
【読み下し文】
治世(ちせい)に処(しょ)しては宜(よろ)しく方(ほう)(※)なるべく、乱世(らんせい)に処(しょ)しては宜(よろ)しく円(えん)(※)なるべく、叔季(しゅくき)(※)の世(よ)に処(しょ)しては当(まさ)に方円(ほうえん)並(なら)び用(もち)うべし。善人(ぜんにん)を待(ま)つには宜(よろ)しく寛(かん)なるべく、悪人(あくにん)を待(ま)つには宜(よろ)しく厳(げん)なるべく、庸衆(ようしゅう)(※)の人(ひと)を待(ま)つには当(まさ)に寛厳(かんげん)互(たが)いに存(そん)すべし。
(※)方……正義通りに生きる。なお、『論語』の「邦(くに)に道(みち)有(あ)らば、言(げん)を危(たか)くして行(おこな)いを危たかくす」(憲問第十四)が参考になる。先に紹介した小島祐馬氏が指摘するように、「儒家においては、個人が天下国家のために活動することは、その奨励するところであるが、一朝、その活動に故障を生じた場合、個人主義に立ち帰ることもまた容認するところであり、むしろそれを高尚な賞賛すべき態度とするようである」(『中国思想史』KKベストセラーズ)。このあたりが日本の「武士道」との違いであり、儒教に対して日本人が少々の不満とするところであった。しかし、洪自誠は本項で臨機応変に対応しようと述べる。ここにも日本人が『菜根譚』を支持してきた理由を見ることができるのではないか。
(※)円……角ばらず、柔軟な態度で生きる。
(※)叔季……兄弟の順序を示す伯、仲、叔、季の叔季で、末世のこと。世も末の現在。まえがきでも触れたが、著者の洪自誠の生きた時代は、明の末期の時代で国が乱れ、外敵にも攻められそうなまさに「世紀末」のときであった。
(※)庸衆……普通の人。一般民衆。
【原文】
處治世宜方、處亂世宜圓、處叔季之世處方圓竝用。待善人宜寛、待惡人宜嚴、待庸衆之人當寛嚴互存。
51 人から受けた恩は忘れてはならない
【現代語訳】
自分が人に対して何かしてやったとしても、その見返りなどを期待するものではない(与えた恩恵は忘れるべきだ)。しかし、人にかけた迷惑があれば、忘れてはならない。また、人から恩を受けたならば、そのことを忘れてはならない(感謝し、いつか恩返しすることを考えておきたい)。しかし、人に対してうらみがあるならば、早く忘れ去るべきである。
【読み下し文】
我(われ)、人(ひと)に功(こう)(※) 有(あ)らば念(おも)うべからず、而(しか)して過(あやま)ち(※)は則(すなわ)ち念(おも)わざるべからず。人(ひと)、我(われ)に恩(おん)(※) 有(あ)らば忘(わす)るべからず、而(しか)して怨(うら)みは則(すなわ)ち忘(わす)れざるべからず。
(※)功……功労。骨おり。なお、感謝の見返りを求めないことについては、本項の解釈については、本書の前集28条および52条も参照。
(※)過ち……迷惑。
(※)恩……ここでは他人から受けた恩、恩恵、徳。なお、『論語』では「直(なお)きを以(もっ)て怨(うら)みに報(むく)い、徳(とく)を以(もっ)て徳(とく)に報(むく)いん」(憲問第十四)とする。ただし、『老子』は、「怨(うら)みに報(むく)ゆるに徳(とく)を以(もっ)てす」(恩始第六十三)としている。老子は、本項の立場をさらに超えているところが面白い。本項の立場は『論語』に近いといえる。
【原文】
我有功於人不可念。而過則不可不念。人有恩於我不可忘。而怨則不可不忘。
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