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第81回

16〜18話

2020.04.22更新

読了時間

 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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16 熱狂していたときの自分をふり返り反省すると、人生の大事なものが見えてくる


【現代語訳】
熱がさめた後で冷静になってみると、あのときの自分の熱狂は益もなく、一体何だったんだろうと思うものである。また、とても忙しく騒がしい境遇から、静かな境地に入ると、この落ちついた味わいが格別に良いものだということがわかるものである。

【読み下し文】
冷(れい)より熱(ねつ)を視(み)て、然(しか)る後(のち)に熱処(ねつしょ)の奔馳(ほんち)(※)の益(えき)無(な)きを知(し)る。冗(じょう)(※)より間(かん)に入(い)りて、然(しか)る後(のち)に間中(かんちゅう)の滋味(じみ)最(もっと)も長(なが)き(※)を覚(おぼ)ゆ。

(※)奔馳……奔走。
(※)冗……とても忙しく、騒がしい。煩雑。わずらわしい。
(※)長き……格別に良い。長所。なお、事後のことを考えてみることのすすめについては、本書の前集26条参照。

【原文】
從冷視熱、然後知熱處之奔馳無益。從冗入閒、然後覺閒中之滋味最長。

 

17 立派すぎない。入れ込みすぎない


【現代語訳】
この世での地位や財産というのは、浮き雲のようにはかないものにすぎない、と思って生きていれば、それで十分である。それ以上に自分の立派さを追い求め、これに酔い、人里離れた山中に住んで、仙人のような生活をする必要はない。常に酒を愛し、酒に酔って良い気分になり、詩作にふけるといった風流があれば十分である。

【読み下し文】
富貴(ふうき)を浮雲(ふうん)にする(※)の風(ふう)有(あ)りて、而(しか)も必(かなら)ずしも岩棲(がんせい)穴処(けつしょ)せず。泉石(せんせき)に膏肓(こうこう)する(※)の癖(へき)無(な)くして、而(しか)も常(つね)に自(みずか)ら酒(さけ)に酔(よ)い(※) 詩(し)に耽(ふけ)る。

(※)富貴を浮雲にする……『論語』(述而第七)による。本書の前集169条参照。なお、富貴については、本書の前集59条、100条、103条も参照。
(※)泉石に膏肓する……山水を愛しすぎて、不治の病のようになる。
(※)常に自ら酒に酔い……常に酒を愛し、酒に酔って良い気分になる。次に「詩に耽る」とあるから、ほろ酔い、ちょうど良いくらいの酔い、良い気分になるくらいの酔いだろう。後集123条でも、「酒(さけ)は微酔(びすい)に飲(の)む」とある。なお、佐藤一斎は、基本的に酒は飲むな(式礼以外)という。「百弊(ひゃくへい)皆(みな)此(こ)れより興(おこ)る」(『言志四録』)と厳しい。貝原益軒の「養生訓」は、「酒(さけ)は天(てん)の美禄(びろく)」だが、「多(おお)く飲(の)めば、又(また)よく人(ひと)を害(がい)する事(こと)、酒(さけ)に過(す)ぎたる物(もの)なし」という。孔子は「酒(さけ)の為(ため)に困(くるし)められず」(『論語』子罕第九)と、酒を飲むことは禁じないが、本人は酒で乱れることはなかったようだ。なお、「劇飲」については、本書の後集10条参照。やはり良い気分、ほろ酔いぐらいまでが理想だろう。本項の解釈については、本書の後集123条も参照。

【原文】
有浮雲富貴之風、而不必岩棲穴處。無膏肓泉石之癖、而常自醉酒耽詩。

 

18 心身ともに自由で何事にもとらわれずに生きる


【現代語訳】
名誉や利益を追い求めて競い合うのは、他人に任せていい。しかし、そうすることに夢中な世の人たちを見て、かっこつけて嫌う必要はない。また、自分に欲がないことは、自分に忠実な生き方であるが、自分だけが名誉欲、財産欲がないことを、ことさら自慢することはない。こういう生き方こそが、仏教でいう、法(あらゆる現象)にもとらわれず、かといって一切は空(あらゆる現象は実体がない)という考え方にもとらわれない、身心ともに自由でとらわれない人の境地である。

【読み下し文】
競逐(きょうちく)(※)は人(ひと)に聴(まか)せて、而(しか)も尽(ことごと)く酔(よ)うを嫌(きら)わず。恬淡(てんたん)は己(おのれ)に適(てき)して、而(しか)も独(ひと)り醒(さ)むるを誇(ほこ)らず。此(こ)れ釈(しゃく)(※) 氏(し)の所謂(いわゆる)、法(ほう)の為(ため)に纏(てん)せられず、空(くう)の為(ため)に纏(てん)せられず、身心(しんしん)両(ふた)つながら自在(じざい)なる者(もの)なり。

(※)競逐……名誉や利益を追い求めて競い合う。
(※)釈……仏教、仏門。「釈迦牟尼の釈の字をとっていう語。仏語。出家が釈迦の弟子であることを表すために姓として用いた語で、「釈家」「釈氏」などと熟字する。また転じて、僧侶。または仏教、仏門」(『日本国語大辞典』小学館)。

【原文】
競逐聽人、而不謙盡醉。恬淡適己、而不誇獨醒。此釋氏所謂、不爲法纏、不爲空纏、身心兩自在者。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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