第90回
43〜45話
2020.05.11更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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43 今いる日常環境のなかに喜びを見出す
【現代語訳】
竹垣のあたりで、犬が吠え鶏が鳴く声がしている。つい、うっとりとして、まるで仙人が住む理想郷にいるような心地がする。また、書斎にいると、いつも蟬が鳴き、鴉が騒いでいるのが聞こえる。そうすると静かな別天地にいることがわかってくる。
【読み下し文】
竹籬(ちくり)(※)の下(もと)、忽(たちま)ち犬(いぬ)吠(ほ)え鶏(にわとり)鳴(な)く(※)を聞(き)けば、恍(こう)として雲中(うんちゅう)の世界(せかい)に似(に)たり。芸窓(うんそう)(※)の中(うち)、雅(つね)に(※)蟬(せみ)吟(ぎん)じ鴉(からす)噪(さわ)ぐを聴(き)けば、方(まさ)に静裡(せいり)の乾坤(けんこん)を知(し)る。
(※)竹籬……竹垣。
(※)犬吠え鶏鳴く……陶淵明の詩文などでもわかるように、犬と鶏は、仙人の住む理想郷では定番の存在のようである。なお、『老子』にも「自分たちの今いる日常を最高に思うべし」との文章のなかに出てくる。すなわち次の通りである。「其(そ)の食(しょく)を甘(うま)しとし、其(そ)の服(ふく)を美(び)とし、其(そ)の居(きょ)に安(やす)んじ、其(そ)の俗(ぞく)を楽(たの)しとす。隣国(りんごく)相(あ)い望(のぞ)み、鶏犬(けいけん)の声(こえ)相(あ)い聞(き)こゆるも、民(たみ)は老死(ろうし)に至(いた)るまで、相(あ)い往来(おうらい)せず」(獨立第八十)。
(※)芸窓……書斎。なお、「芸」は香草の名。これを書にはさんでおくと紙魚(しみ)を防ぐとされた。幕末ごろ我が国にもヨーロッパ(地中海あたり)から輸入されたハーブのヘンルーダがこれに似ているとされる。
(※)雅に……いつも。私は、「雅」を「つね」と読んだが、『菜根譚』の文章からもそれが良いと思われる。なお、『論語』に「子(し)の雅(つね)に言(い)う所(ところ)は、詩(し)、書(しょ)、執礼(しつれい)、皆(みな)雅(つね)に言(い)うなり」(述而第七)とあるが、「雅(つね)に言(い)う所(ところ)」を「雅言(がげん)する所(ところ)」と読み、意味は「正しい発音で言う所」とする説もある。また「標準語」とする説もある。「雅」を「つね」と読み、「いつも」と解したのは朱子に始まるが、朱子は12世紀の人であり、『菜根譚』の洪自誠は16〜17世紀の人であり、それから考えると、「つね」と読ませるのがよくわかる。
【原文】
竹籬下、忽聞犬吠鷄鳴、恍似雲中世界。芸窓中、雅聽蟬吟鴉噪、方知靜裡乾坤。
44 出世、栄達を望むような生き方はしない
【現代語訳】
私が出世、栄達したいと望まなければ、大きな利益や高禄(こうろく)による甘い誘惑に引っかかることについて心配する必要はない。また、私が人と競ってまで良い地位を得たいと思わなければ、人に足を引っ張られることで職を失う心配もいらない。
【読み下し文】
我(われ)、栄(えい)を希(ねが)わずんば、何(なん)ぞ利禄(りろく)(※)の香餌(こうじ)(※)を憂(うれ)えんや。我(われ)、進(すす)むを競(きそ)わずんば、何(なん)ぞ仕官(しかん)の危機(きき)を畏(おそ)れんや。
(※)利禄……大きな利益や高い禄(報酬)。「禄」について『論語』で孔子は、「言(い)って尤(とが)め寡(すくな)く、行(おこな)って悔(く)い寡(すくな)ければ、禄(ろく)その中(なか)に在(あ)り」(為政第二)と述べる。すなわち、「よく学ぶ人(力ある人)に、仕事と給与は向こうからやってくるものだ」と言いたいようである。本項と同じように「利禄の香餌」による甘い誘惑など無視せよということだろう。なお、西郷隆盛の次のような有名な言葉がある。「命(いのち)もいらず名(な)もいらず、官位(かんい)も金(かね)もいらぬ人(ひと)は、仕末(しまつ)に困(こま)るものなり。この仕末(しまつ)に困(こま)る人(ひと)ならでは艱難(かんなん)を共(とも)にして国家(こっか)の大業(たいぎょう)を成(な)し得(え)られるなり」(『西郷南洲翁遺訓』)。本項の解釈については、本書の後集42条も参照。
(※)香餌……良い香りのえさ。甘いえさ。
【原文】
我不希榮、何憂乎利祿之香餌。我不競進、何畏乎仕官之危機。
45 志を失ってはならないが、ときには心を磨き整えることも必要
【現代語訳】
山深い林や泉石などの自然のなかを気の向くままに散策すると、心が洗われ俗気もなくなる。また、ときには詩書などの読書にふけったり、絵画を鑑賞したりして心をゆったりとして楽しんでいると、身に染みついた俗気も消える。もちろん、君子はこうしたものに逃げてばかりとなって、志を失ってはならないが、反面、常日ごろ、良い環境の力を借りて心を磨き整えることも必要である。
【読み下し文】
山林(さんりん)泉石(せんせき)の間(かん)に徜徉(しょうよう)(※)して、塵心(じんしん)漸(ようや)く息(や)み、詩書(ししょ)(※) 図画(ずが)の内(うち)に夷猶(いゆう)(※)して、俗気(ぞくき)潜(ひそか)に消(き)ゆ。故(ゆえ)に君子(くんし)は、物(もの)を玩(もてあそ)びて志(こころざし)を喪(うしな)わずと雖(いえど)も、亦(ま)た常(つね)に境(きょう(を借(か)りて心(こころ)を調(ととの)う。
(※)徜徉……ぶらぶらと気の向くままに歩く。逍遥。
(※)詩書……『詩経』と『書経』のことだが、ここでは書物一般とみているようだ。
(※)夷猶……ゆっくりと楽しむ、ふける。
【原文】
徜徉於山林泉石之閒、而塵心漸息、夷猶於詩書圖晝之内、而俗氣潛消。故君子、雖不玩物喪志、亦常借境調心。
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