第92回
49〜51話
2020.05.13更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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49 流れに任せ、運命にさからわない生き方
【現代語訳】
この身は、つながれていない舟が流れるも止まるも任せきりにしているように、何事にもとらわれない。また、私の心も、生気がなくなった枯れた木のようであるから、刀で切られようが香を塗られようが、何の妨げもない(気にならない)。
【読み下し文】
身(み)は不繫(ふけい)の舟(ふね)の如(ごと)く、一(いつ)に流行坎止(りゅうこうかんし)(※)に任(まか)す。心こころは既灰(きかい)の木(き)に似(に)て、何(なん)ぞ刀割香塗(とうかつこうと)(※)を妨さまたげん。
(※)坎止……止まる。
(※)刀割香塗……刀で切られ、香を塗る。本項を読んですぐに思い浮かべたのが、紀伊國屋書店の創業者で自由な文人でもあった田辺茂一の言葉である。「自分しか歩めない道を、自分で探しながらマイペースで歩け」というものだ。『菜根譚』も前集90条において、「吾(われ)は吾(わ)が道(みち)を亨(とお)らしめて以(もっ)て之(これ)を通(つう)ぜん」と述べており、何物にも、自分の心と人生を左右されない強い意志がそこに窺われる。なお、本項の解釈については、本書の後集95条も参照。
【原文】
身如不繫之舟、一任流行坎止。心似旣灰之木、何妨刀割香塗。
50 人情による見方の他に、天性からの見方もあることを知る
【現代語訳】
人情からすると、鶯が美しく鳴くのを聞くと喜び、蛙の騒がしい鳴き声を聞くと嫌に思うものだ。また、美しい花を見ると植え育てたいと思い、雑草を見ると抜きたくなる。だが、これは物事の表面的な部分にとらわれた見方である。もし、これらを本来の天性という面から見ると、皆すべて天のはたらきによって鳴いているのである(鶯も蛙も差異はない)。また、皆すべて天のはたらきで生育しているのである(花も草も差異はない)。
【読み下し文】
人情(にんじょう)、鶯(うぐいす)の啼(な)くを聴(き)けば則(すなわ)ち喜(よろこ)び、蛙(かわず)の鳴(な)くを聞(き)けば則(すなわ)ち厭(いと)う。花(はな)を見(み)れば則(すなわ)ち之(これ)を培(つちか)わんことを思(おも)い、草(くさ)に遇(あ)えば則(すなわ)ち之(これ)を去(さ)らんことを欲(ほっ)す。但(た)だ是(こ)れ形(けい)気(き)(※)を以(もっ)て事(こと)を用(もち)うるのみ。若(も)し性天(せいてん)(※)を以(もっ)て之(これ)を視(み)れば、何者(なにもの)か、自(おの)ずから其(そ)の天機(てんき)(※)を鳴(な)らすに非(あら)ざらん。自(おの)ずから其(そ)の生意(せいい)を暢(の)ぶるに非(あら)ざらん。
(※)形気……表面的な物。
(※)性天……天性。本性。物の真実。後集66条参照。
(※)天機……天のはたらき。
【原文】
人情、聽鶯啼則喜、聞蛙鳴則厭、見芲則思培之、遇草則欲去之。但是以形氣用事。若以性天視之、何者非自鳴其天機、非自暢其生意也。
51 偉大な自然に比べてちっぽけすぎる自分だが、精一杯に生きる
【現代語訳】
人は年を取ると次第に髪は抜けて薄くなっていき、歯も欠けてまばらになっていく。そしてこの幻のような肉体はしぼみ消え去っていく。このことは自然の成り行きであり、それに任せるしかない。一方で、鳥がさえずり、花が咲くのを見て、この世の不変の真実が生き続けていることを知る(こんなちっぽけな自分でも、こうした当たり前の仕組み、自然の流れに我が身を任せながら、精一杯生きていこうと思う)。
【読み下し文】
髪(かみ)落(お)ち歯(は)疎(まばら)にして、幻形(げんけい)(※)の彫謝(ちょうしゃ)(※)に任(まか)せ、鳥(とり)吟(ぎん)じ花(はな)咲(さ)いて、自性(じせい)の真如(しんにょ)(※)を識(し)る。
(※)幻形……幻のような肉体。
(※)彫謝……しぼみ消える。「彫」は凋と同義。
(※)自性の真如……この世の不変の真実。「自性」も「真如」も仏教語であるが、私には本項全体に『老子』の思想を感じられる。特に次の歸根第十六と象元第二十五である。「万物(ばんぶつ)は並(なら)び作(おこ)り、吾(わ)れ以(もっ)て其(そ)の復(かえ)るを観(み)る」(歸根第十六)。「人(ひと)は地(ち)に法(のっと)り、地(ち)は天(てん)に法(のっと)り、天(てん)は道(みち)に法(のっと)り、道(みち)は自然(しぜん)に法(のっと)る」( 象元第二十五)。
【原文】
髮落齒疎、任幻形之彫謝、鳥吟芲咲、識自性之眞如。
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