Facebook
Twitter
RSS

第171回

423〜425話

2021.11.30更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら

31‐1 言うべきでないのに言うのは人の気を引こうとするものである

【現代語訳】
孟子は言った。「人には皆、人が害されるのを見ているのが忍びないという、惻隠の心がある。この心を、推し及ぼして広げていくのが仁である。人には皆、不義・不正を欲しないという羞悪の心がある。この心を、推し及ぼし広げていくのが義である。人を害することを欲しない心を拡充していけば、仁は十分に具わることになり、その仁の用い方は無限極まりないことになる。人の物を盗まないという心を拡充していけば、義は十分に備わることになり、その義の用い方は、無限極まりないことになる。また、人から、『貴様』や『このやろう』などのひどい言葉や態度を受けることがないような行いを拡充していけば、どこに行って何をしても義でないものはなくなる。士たる者が言うべきでないのに言うのは、言うことによって人の心をさぐり、心に取り入ろうとするものである。言うべきなのに言わないのは、言わぬことによって人の気を引き心に取り入ろうとするものである。これらは、皆盗人と同じようなことをしていることになるのだ」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)皆忍(みなしの)びざる所(ところ)(※)有(あ)り。之(これ)を其(そ)の忍(しの)ぶ所(ところ)に達(たっ)するは、仁(じん)なり。人(ひと)皆(みな)為(な)さざる所(ところ)有(あ)り。之(これ)を其(そ)の為(な)す所(ところ)に達(たっ)するは、義(ぎ)なり。人(ひと)能(よ)く人(ひと)を害(がい)するを欲(ほっ)すること無(な)きの心(こころ)を充(み)た(※)さば、仁(じん)勝(あ)げて(※)用(もち)うべからざるなり。人(ひと)能(よ)く穿(せん)踰(ゆ)(※)すること無(な)きの心(こころ)を充(み)たさば、義(ぎ)勝(あ)げて用(もち)うべからざるなり。人(ひと)能(よ)く爾汝(じじょ)(※)を受(う)くること無(な)きの実(じつ)を充(み)たさば、往(ゆ)く所(ところ)として義(ぎ)たらざるは無(な)きなり。士(し)未(いま)だ以(もっ)て言(い)う可(べ)からずして言(い)う、是(こ)れ言(い)うを以(もっ)て之(これ)を餂(と)る(※)なり。以(もっ)て言(い)うべくして言(い)わざる、是(こ)れ言(い)わざるを以(もっ)て之(これ)を餂(と)るなり。是(こ)れ皆(みな)穿踰(せんゆ)の類(るい)なり。

(※)忍びざる所……公孫丑(上)第六章参照。
(※)充たす……拡充する。
(※)勝げて……無限極まりない。用い切れない。
(※)穿踰……盗む。「穿」は穴をうがつこと。「踰」は、かきを越えること。なお、『論語』では「窬」の字が使われている。すなわち次のようにある。「子(し)曰(いわ)く、色(いろ)厲(はげ)しくて、内(うち)荏(やわ)らかなるは、諸(これ)を小人(しょうじん)に譬(たと)うれば、其(そ)れ猶(な)お穿窬(せんゆ)の盗(とう)のごときか」(陽貨第十七)。
(※)爾汝……「貴様」や「この野郎」などのひどい言葉や態度。
(※)餂る……取る。心をさぐる。気を引こうとする。

【原文】
孟子曰、人皆有所不忍、逹之於其所忍、仁也、人皆有所不爲、逹之於其所爲、義也、人能充無欲害人之心、而仁不可勝用也、人能充無穿踰之心、而義不可勝用也、人能充無受爾汝之實、無所往而不爲義也、士未可以言而言、是以言餂之也、可以言而不言、是以不言餂之也、是皆穿踰之類也。

32‐1 人のことを気にするより自分の身を修めることを考える

【現代語訳】
孟子は言った。「言葉は、卑近でありふれたものであっても、意味が深いものがあるのは良い言葉である。実践することは簡単であるが、効果が広いのは良い道である。君子の言葉は、帯より下までいかないすぐ近くにあるものだが、そこに深い道理がある。君子が実践することは、自分の身を修めるというだけのものだが、その効果は広がり天下を太平にしていくものである。しかし、人はとかく自分の田の手入れはないがしろにして、人の田の草を取ることばかりを気にするものである。それは、他人に要求することが重くて、自分のやるべきことを軽んじるからである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、言(げん)近(ちか)くして指(むね)遠(とお)き(※)者(もの)は、善言(ぜんげん)なり。守(まも)ること約(やく)(※)にして施(ほどこ)すこと博(ひろ)き者(もの)は、善道(ぜんどう)なり。君子(くんし)の言(げん)や、帯(おび)を下(くだ)らず(※)して道(みち)存(そん)す。君子(くんし)の守(まも)りは、其(そ)の身(み)を修(おさ)めて天下(てんか)平(たい)らかなり。人(ひと)、其(そ)の田(でん)を舎(す)てて人の田(でん)を芸(くさぎ)るを病(うれ)う。人(ひと)に求(もと)むる所(ところ)の者(もの)重(おも)くして、自(みずか)ら任(にん)ずる所以(ゆえん)の者(もの)軽(かる)ければなり。

(※)指遠き……意味が深い。「指」は「旨」と同じ。なお、本章の趣旨に近いことを離婁(上)第十一章でも述べている。
(※)約……簡単。
(※)帯を下らず……帯より下までいかないすぐ近くにある。なお、これは胸のことを意味すると解する説がある。これによると例えば、「我が胸中の本心を口に出す」などと訳すことになる。

【原文】
孟子曰、言近而指遠者、善言也、守約而施博者、善道也、君子之言也、不下帶而道存焉、君子之守、修其身而天下平、人、病舎其田而芸人之田、所求於人者重、而所以自任者輕。

33‐1 人事を尽くして天命を待つのみ

【現代語訳】
孟子は言った。「堯・舜は本性のままに行っても、自ずから道にかなった人たちであった。殷の湯王や周の武王は、修養努力して、本性に立ち返ることができた人たちであった。しかし、ともに動作態度の細かなところまで礼にかなっていたのは、盛徳の至極であった。すなわち、死者に対して声を上げて悲しむのは、生きている遺族に聞かせるためではない。常に徳を行っても、少しもよこしまがないのは、それをもって禄を求めるためではない。口に出す言葉が必ず信実であるのは、それでもって行いを正し、人に認められようとするためではない。君子はひたすら正しい法則を行って、あとは天命に任せて待つのみなのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、堯(ぎょう)・舜(しゅん)は性(せい)のまま(※)なる者(もの)なり。湯(とう)・武(ぶ)は之(これ)に反(かえ)るなり。動容(どうよう)・(※)周旋(しゅうせん)(※)、礼(れい)に中(あた)る(※)者(もの)は、盛徳(せいとく)の至(いた)りなり。死(し)を哭(こく)して哀(かな)しむは、生者(せいしゃ)(※)の為(ため)に非(あら)ざるなり。経(けい)徳(とく)回(よこしま)(※)ならざるは、以(もっ)て禄(ろく)を干(もと)むるに非(あら)ざるなり。言語(げんご)必(かなら)ず信(しん)なるは、以(もっ)て行(おこな)いを正(ただ)すに非(あら)ざるなり。君子(くんし)は法(ほう)(※)を行(おこな)いて、以(もっ)て命(めい)を俟(ま)つのみ。

(※)性のまま……本性のまま行っても、自ずから道にかなう。尽心(上)第三十章、滕文公(上)第四章七参照。
(※)動容……動作態度。動作容儀。
(※)周旋……(起居ふるまいなどの)細かなところ。
(※)礼に中る……礼にかなう。
(※)生者……ここでは、遺族のこと。
(※)回……よこしま。
(※)法……正しい法則。正しい理法。法度。

【原文】
孟子曰、堯・舜性者也、湯・武反之也、動容・周旋、中禮者、盛德之至也、哭死而哀、非爲生者也、經德不回、非以干祿也、言語必信、非以正行也、君子行法、以俟命而已矣。


【単行本好評発売中!】 
この本を購入する

「目次」はこちら

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

矢印