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第175回

解説(1)

2021.12.06更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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解説

一、「孟子」とは何か、今なぜ「孟子」なのか

『孟子』は、言わずと知れた孟子の著書である。ただ、孟子本人がすべて書いたというより、弟子と一緒に整理した言行録と、死後に弟子たちによって手が加えられたものとで成り立っているようである(これについては争いがある)。
『孟子』は『論語』よりも大部のもので、私の感覚では倍はあると思う。一説によると『論語』は一五、九一七字から成り、『孟子』は三五、三七四字から成っているとされる。しかし、章立てからは、逆で『論語』が約五〇〇章であり、『孟子』は約二六〇章である。これからもわかるように『孟子』の論述は、丁寧で詳しい。問答も多く、そのやりとりの面白さと見事さには舌を巻いてしまうものがある。

 孟子は、孔子の約百数十年後に生まれた。生年と没年については確かな証拠があるわけではないが、紀元前三七二年に生まれ、紀元前二八九年に八四歳で亡くなったとされる説が有力である。
 孟子は、孔子の生地である魯(ろ)の近くにあった小国の鄒(すう)に生まれている。『論語』にも出てくる魯のいわゆる三桓の一つで権力者でもあった孟孫子の子孫ではないかという説もあるが、確かな証拠はないようである。
 孔子の生地の近くに生まれたためもあったのだろう、魯に行って孔子の孫の子思の弟子について学んだとされている。子思を教えた曾子も、尊敬していたようなので(『孟子』の中身でよくわかる)、このことは確かだと思われる。また、孟子の仁義論、誠についての記述、王道政治論などを見ると、孔子―曾子―子思につながる忠信論の考え方、仁愛の考え方の強い影響も見ることができるのではないかと考える。

 ところで孔子が活躍した時代は春秋時代と呼ばれるのに対し、孟子が登場してきた時代は戦国時代と呼ばれている。
 春秋時代は、まがりなりにも微弱でありながら周の王朝があり、その下で覇者である諸侯のなかの旗頭によって社会の秩序が保たれた。しかし、戦国時代になると、周王朝をいただくという秩序がなくなり、地方的な分裂も強まり、郡雄割拠となった。各諸侯、各国は、富国強兵政策を用い、それに役立つ人材や教えを求めた。この要請に応えんとして、いわゆる「諸子百家」と呼ばれる思想家たちが活躍した。孟子もそのなかの一人として登場してきた。
 孟子がほかの思想家と違うのは、孔子を理想としその教えを学び、社会に広めていくことで世の中の平和と秩序を安定させ、人々の幸せを実現していこうという点であった。
 そのため、孔子に始まる儒教が、長く中国の歴代王朝の中心思想になると、孟子はそのなかで聖人・孔子に次ぐ亜聖の人と見られた。それは、約一二〇〇年前に確立した朱子学によって強固なものとなったのである(朱子は『孟子』を『論語』、『大学』、『中庸』とともに「四書」の一つとして重んじた)。その影響のためか私自身も、『孟子』は、『論語』を補助、理解するための書として考えていたところがある。
 しかし今回、素直な心がまえで『孟子』を何度も読んでみて、この見方はかなり違ったものとなった。確かに『論語』の理解を深めていくには『孟子』は不可欠の書であるのは間違いない。ただ、私が思うのは、『孟子』には、それ固有の『孟子』の世界というか、凄みがあるということである。吉田松陰が、あれほどまでに『孟子』を愛した理由がよくわかってきたのである。

 ここで古典というものの見方について私見を述べさせてもらいたい。古典というのは、ギリシャ、中国、日本とたくさんあるが、それは、それを生んだ国の宝物であるとともに、世界の人が共有していくべき財産であるということである。
 それは現代におけるインターネットなどの情報技術や料理が国境を越えて人々に歓迎され、利用、活用され、味わい楽しまれるのと似ている。特に日本では、西欧の古典、考え方も東洋の古典、考え方も自分たちにふさわしいものを広く取り入れてきている。そうやって現代の日本人もできている。
 だから現実の中国や朝鮮半島を見て、儒教は正しくないとするのはどうか。そういう論者も少なくないが、見方があまりにも狭い。また、孔子、孟子などは中国のものであり、他国の人はよけいなことを言ってはならない、というのもおかしい。あまりにも独善的な考え方である。
 現代の中国語も日本語からの移入されたものがないとその表現は深まらないし、現代社会ではうまく生きられないだろう。日本語においても『孟子』の言葉を使ってはならないとなると、その表現の仕方はとても淋しいものとなる。このように文化、文明というのはそれぞれに影響し合っている。特に日本人は、世界中の古典や世界中の教え、技術の中からいいものを選んで取り入れていく。もちろん母国には尊敬を払いながらである。
 別の言い方をするなら、たとえ、この先中国が、どうなっていこうと、儒教をどう捉えていくことになろうと、『孟子』には『孟子』の価値があり、学んで身につけていくことになろうということだ。
 以上の古典、そして『孟子』の見方をしながら、今回、何度も『孟子』を読んでよくわかった点がある。それは、『孟子』の使う言葉の少なくないものが、日本語にもなっていることである。また、『孟子』の考え方、教えが、私たち日本人にかなり影響を与えている点である。
 本文のなかでも紹介したが、例えば会津藩の藩校である日新館の「什(じゅう)の教え」で「ならぬことはならぬものです」というのがある。これなども私は『孟子』の影響を見る(尽心上篇第十七章参照)。このことは、まえがきでも触れたが吉田松陰を見ればわかるように、日本の武士の行動規範や人格形成にも多大な影響を与えてきたことからも理解できる。となると、明治維新も孟子の教えがかなりの後押しをしたのがわかる(「維新」という言葉も『大学』とともに『孟子』で使われているものである)。
 このように、これからも私たち日本人にとって『孟子』という書は、読み続けなければならないものであることがわかってもらえると思う。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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