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第1回

まえがき

2019.12.23更新

読了時間

 「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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『菜根譚』は不思議な書である。
それはまず、中国古典でありながら、本国の中国ではほとんど読まれずに、日本で絶大な支持を得てきた点にある。
中国でほとんど読まれなかったこともあってか、著者の洪自誠のことは詳しくわかっていない。
ただ、明代末期の万暦年間(1573~1620)ごろの人であったようである。
明は、衰退し始めたモンゴル人の元朝に代わって、盗賊、乞食坊主あがりの朱元璋(明の太祖洪武帝)が、1368年に建てた約300年続いた漢人の王朝である。その版図は中国史上最も拡大したかのようだったが、モンゴル人(オイライト人含む)の北元とは争いが続いた。また、末期には明を征服しようと考えていた豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の対応に苦慮し、その後、女真人(女直人・満州人)の清朝に取って代わられた。
このように洪自誠は、我が国では、ちょうど豊臣秀吉(1537~1598)や徳川家康(1543~1616)たちと、同時代を生きたことになる。
日本では、家康の言葉などがいくつか残されているが、それは十分な古典で、読むのにも苦労する。また徳川家とその家臣団のことを書いた『三河物語』(大久保彦左衛門著)も、面白いものの、内容は時代を感じるものである。つまり古さ、時代感覚の違いを感じさせられる。
ところが、『菜根譚』は、まるで現代に生きて、私たちの人生を見ているかのように対処すべき問題を適確に指摘し、その指針を与えてくれるのである。その内容は決して古いものと感じられず、古典とは思えないほどである。
これは私の想像にすぎないが、著者の洪自誠は明の高級官僚であったこと、後に政争に敗れ、追いやられるか辞職して、隠者の暮らしを楽しんだ人のようである。日本の豊臣秀吉による朝鮮出兵があり、それに対応した明は国力が低下していくはめになり、崩壊の道が早くなった。若き官僚の洪自誠は、政権上層部にいて、「野蛮な問題児・日本」と頭を抱えていたのではないだろうか。
洪自誠は、正しいと思った「道」を守り、身後の身を思い、一時の自分の利益より、死後をも続く、長い利益、あるいは社会のために役立つ人という名誉を重視した(前集1条)。『菜根譚』もそのために書いたところがある。まさか、自分の死後、あの日本で強い支持を得続けることになるとは、とあの世で驚いているに違いない。

日本が明治以降も世界のトップグループに入って発展し続ける理由について、さまざまな理由が論じられている。ここでは二つだけ争いのない理由を挙げてみる。一つは、『論語』や『老子』、仏教をはじめ、西洋の考えなどから良いと思われるものを取り入れる柔軟性に富んでいることである。
もう一つは、「誠実」「勤勉」という美徳を身につけていること、である。世界的には数少ないマックス・ウェーバーの言う資本主義の精神(プロテスタントの国以外では日本に例外的に見られる)も、日本人の美徳がそのまま結びついているのである。こう考えると、『論語』、『老子』、仏教、武士道、西洋の教え(自由民主主義、契約の尊重など)を学び続ける人たちであることがその源泉となる。『菜根譚』を多くの人が読み続けていくことも、こうした理由の一つになることは、間違いないのである。
さて、その『菜根譚』は、明代に中国で刊行され、それが日本にも伝えられていたようである。それが広まったのは加賀前田藩の儒者・林蓀坡(そんぱ) が、江戸の昌平黌(しょうへいこう)に学んでいる時に読み、感激したことによる。蓀坡は、これはすばらしい内容であると、文政5年(1822)に復刻版を出した。
これがきっかけで『菜根譚』は日本中に広まっていくことになる。内容の良さと日本人の考えとよく合うことで、日本人の共感を得ること強く、その広まりは明治以降も衰えることはなかった。明治の初めの二大ベストセラー『西國立志篇』(サミュエル・スマイルズの『自助論』を中村正直が翻訳したもの)と『学問のすゝめ』(福沢諭吉著)が日本人(特に当時の若者たち)に与えた影響は大であったとされる。私はこの二冊の他にも『菜根譚』が大きな役割を担ったのではないかと考えている。
最初に『菜根譚』は不思議な書であると言った。これもその一つに入ると思うのだが、熱心な読者のなかには、「えっ」と思われる人がいるということだ。この世をまるで自分のためにあるかのように考えて、ふてぶてしく生きてきたと見える人たちのなかにも、この『菜根譚』を人生の指針としていたという。そのことがいかにも不思議である。
そのなかには、『菜根譚』をテーマにした本を出している人もいる。例えば、五島慶太である。東急グループの創業者である五島は、“強盗慶太”とか“ピストル慶太”とも呼ばれたほどの強引で荒っぽい事業家だった。
『菜根譚』に大きな影響を受けた人物として、その他にも“今太閤”と言われた田中角栄もいる。おそらく、晩年に政治疑獄の罠(わな)に陥ったとき、もっと若いころからまじめに読んでおくべきだと思ったのではなかろうか。さらにプロ野球で「我が道を行く」とばかりに自分を強く貫き、その上で“ノムさん”と呼ばれ人気もあった野村克也氏もそうだ。野村氏も『菜根譚』の本を出している。
他にも国民的大作家・吉川英治、経営の神様・松下幸之助、プロ野球で打撃の神様といわれ、Ⅴ9の名監督・川上哲治氏も『菜根譚』を愛読したという。これらの人は、多くの書籍を読んで参考にしていたはずである。そのなかでも『菜根譚』に魅力を感じた吉川英治は、モットーとする〝希望の文学〟と『菜根譚』が合致していると感じたのだろう。また、この三人はともに逆境のなかに克己心をもって突き進むことで、社会に役立つ自分ができるという信条を持っていて、まさに『菜根譚』的人生を歩んだ人たちであった。
こうしてみると感じるのは不敵に見える強者(つわもの)たちにおいても、人生航路についての悩みは尽きなかったということである。
『菜根譚』には、一見、人生に悩まないような人たちも学んでおきたい、世のなかの仕組みや人情のあり方について、見事に教えてくれるのである。
本文を読んでいただくとわかるが、『菜根譚』の内容は、『論語』に始まる儒教をベースにして、『老子』の教えを中心とする道教、さらにインドから中国に入った仏教(特に禅宗)を加味して、世渡りに大切なことは何かを読者にわかりやすく教えてくれている。
『論語』、『老子』、仏教を柔軟に織り交ぜて、人生の実践において役立つ知恵とは何かを自分の体験を通して導き出すというこの姿勢は、まさに日本人の特質そのものに見事に合致するものである。現代においては、この日本人の特質はさらに西洋の思想、考え方、仕組みの良いところを吸収していくところにも表れている。
そういう意味で、本シリーズで『論語』、『老子』を上梓させてもらったからには、ぜひとも『菜根譚』をやりたいものだと思っていた。だから誠文堂新光社の青木耕太郎氏に、本書の企画・提案をもらって、本当にうれしかった。氏のチームの協力により、今までにないコンプリートな『菜根譚』ができあがったと自負している。

本書の主な特徴は次の通りである。
第一に、漢字原文、読み下し文、現代訳を載せ、難しい語句には詳しい解説を用意した。現代訳については、原文に忠実に、できるだけその香りを活かすよう心がけた。同時に『菜根譚』が、読者を強く励ますという最大特徴も出すこととし、一行超訳のわかりやすい見出しもつけた。
第二に、著者の洪自誠は、『論語』などの儒学を身につけた上に、『老子』を深く学び、かなり共鳴しているところがある。そういう面を考慮して『論語』、『孟子』などの儒教の背景と『老子』、『荘子』などの老荘思想の影響についても注釈でも詳しく解説した。これは今までの『菜根譚』の類書にないほど充実させた。
第三に、著者の洪自誠の関心の強いテーマについては、手を替え、品を替えて、繰り返し論じるところがある(まさに〝菜根〟のようによく噛んで、よく考えている)。だから当該条文の解釈においては他の条文も参考にする必要があるため、参照すべき条文を示した(不思議とこれまでの類書にはあまり見られない)。
第四に、これは新しい試みではあるが、『論語』、『老子』などの中国古典のみならず、日本や西洋の古今東西を問うことなく、参考にしたい著名な名言や言葉を詳しく紹介した。これにより、読者の人生を励ます書としての『菜根譚』の凄みが、なお一層強化されることになったと思う。特に『菜根譚』と並んで、明治以降の日本人に多く読まれ、影響を与えてきた佐藤一斎の『言志四録』、吉田松陰の各著作、西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』、福沢諭吉の『学問のすゝめ』、サミュエル・スマイルズの『自助論』、ベンジャミン・フランクリンの各著作、新渡戸稲造の『武士道』、『修養』などは多く示した。
以上の特徴を持たせるために本書は、これまでの「コンプリート」シリーズよりも、詳しい注釈を書かせてもらった。ただ、本文の解釈、解説は読者によるものが第一であるというコンセプトからはずれないようにも気をつけた。
本書により、読者それぞれの人生が、さらに実り多きものになっていくことを願う次第である。『菜根譚』が言うように、「人の心には、一日も欠かすことなく喜びと楽しい気持ちがなければならない」(前集第6条)。そのために、知っておくべき世のなかの仕組みと人生に対する工夫を、本書『菜根譚』によって身につけていってもらいたいと願っている。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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