第5回
虛用第五
2018.12.10更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
「もくじ」はこちら
虛用第五
5 無心のすすめ(空っぽの心を守る)
【現代語訳】
天地には、仁など(人の考え出した徳)はない。万物をわらでつくった犬のように扱うのである。また聖人も仁などの徳はない。やはり人々をわらの犬のように扱い用が済めばそれを放任している。
天と地の間のこの世界は、いわば風を送り出す吹子(ふいご)(※)のようなものであろうか。空っぽだが、その中から万物は尽き果てることなく生まれ、動けば動くほどますます生まれてくる。
言葉が多いと、しばしば行きづまる。だまって空っぽの心を守っていくに限る。
- (※)吹子……かじ屋や鋳物師(いもじ)が火力を上げるときに使う送風器。槖籥。
【読み下し文】
天地(てんち)は仁(じん)(※)ならず、万物(ばんぶつ)を以(もっ)て芻狗(すうく)(※)と為(な)す。聖人(せいじん)は仁(じん)ならず、百姓(ひゃくせい)を以(もっ)て芻狗(すうく)と為(な)す。
天(てん)と地(ち)との間(あいだ)は、其(そ)れ猶(な)お橐籥(たくやく)のごときか。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動(うご)きて愈〻(いよいよ)出(い)ず。多言(たげん)は数〻(しばしば)窮(きゅう)す、中(ちゅう)を守(まも)るに如(し)かず。
- (※)仁……孔子が論語の中で、人間の最高の人格者、目指すべき徳としているもの。その内容は多岐にわたり、論語をすべて内包しているともいえる。簡単にいうと他人に一番適切な思いやりをすることのできる人格とでもいえようか。老子はここで、いわゆる儒家の仁を否定し、儒家批判ととれることを述べている。天地のはたらきは、仁などにしばられない「無心」のはたらきなのだという。聖人もそうであるとする。
- (※)芻狗……わらの犬。祭礼に用いられ、用が済むとわらくずとして捨てられる。
【原文】
虛用第五
天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。
天地之閒、其猶橐籥乎。虛而不屈、動而愈出。多言數窮、不如守中。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く