第55回
玄符第五十五
2019.02.22更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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玄符第五十五
55 赤ちゃんのように柔軟であれば「道」に近くなる
【現代語訳】
内に徳をたくさん秘めた人は、ちょうど赤ちゃんのようなものである。赤ちゃんは、蜂やさそりや蝮(まむし)などのたぐいも嚙(か)みつかず、猛獣もつかみかからず、猛禽(もうきん)も飛びかからない。骨も弱く、筋肉も柔らかいのに、握りこぶしは固い。男女の交合など知らないのに、性器が立つのは、精気が十分だからである。一日中泣き叫んでも声がかれないのは、調和がよくなされているからである。
調和をわきまえていることを常といい、その常をわきまえていることを明(明智)という。無理に寿命を伸ばそうと執着するのを祥(不吉)といい、心で無理に気力を煽(あお)ることを強(無理強(じ)い)という。物事は勢いが盛んになれば、必ず衰えに向かうことになる。これを不道という。不道は早く衰える(だめになる)。
【読み下し文】
含徳(がんとく)(※)の厚(あつ)きは、赤子(せきし)(※)に比(ひ)す。蜂(ほう)蠆(たい)虺(き)蛇(だ)も螫(さ)(※)さず、猛獣(もうじゅう)も拠(よ)(※)らず、攫鳥(かくちょう)(※)も搏(う)たず。骨(ほね)弱(よわ)く筋(きん)柔(やわ)らかくして握(にぎ)ること固(かた)し。未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合(ごう)を知(し)らずして而(しか)も全(ぜん)(※)の作(た)つは、精(せい)の至(いた)りなり。終日(しゅうじつ)号(さけ)びて而(しか)も嗄(か)れざるは、和(わ)の至(いた)りなり。
和(わ)を知(し)るを常(じょう)(※)と曰(い)い、常(じょう)を知(し)るを明(めい)と曰(い)う。生(せい)を益(ま)すを祥(しょう)(※)と曰(い)い、心気(こころき)を使(つか)うを強(きょう)と曰(い)う。物(もの)は壮(さかん)なれば(※)則(すなわ)ち老(お)ゆ、これを不道(ふどう)(※)と謂(い)う。不道(ふどう)は早(はや)く已(や)む。
- (※)含徳……内に徳を秘めること。
- (※)赤子……赤ちゃん。赤ん坊。老子は、赤子を「道」に近い存在として、水とともに取り上げる。能爲第十、異俗第二十、反朴第二十八参照。
- (※)螫……毒虫が刺したり、嚙んだりすること。
- (※)拠……獣が前足でつかみかかること。
- (※)攫鳥……爪で獲物をつかみ取る猛禽。鷲(わし)や鷹。
- (※)全……「峻(さい)」または「脧(さい)」の借字とされる。赤ちゃんの性器のこと。
- (※)常……永遠に変わらない常道。
- (※)祥……ここでは妖祥の意味で、災禍のこと。一般には神の下した吉福の意味に用いられるが、災禍の意味に用いられることもある。
- (※)物は壮なれば……物が盛んになればの意。儉武第三十にも同じ文章がある。
- (※)不道……「道」に従っていないこと。
【原文】
玄符第五十五
含德之厚、比於赤子。蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固、未知牝牡之合而全作、精之至也。終日號而不嗄、和之至也。
知和曰常、知常曰明。益生曰祥。心使氣曰強。物壯則老、謂之不道、不道早已。
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