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ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストのユマニチュード集中講義 イヴ・ジネスト 本田美和子 装丁画:坂口恭平「小島の田んぼ道」(『Pastel』左右社刊より)

第2回

なぜ、ケアに哲学が必要なんですか?

2022.11.08更新

読了時間

フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら

世界人権宣言という明確な目標

 哲学の起源は、2500年ほど前に遡ります。私たち人間はずっと昔から、自らの生にまつわるさまざまな問いを抱き、思索を巡らし、討論を重ねてきました。たとえば、愛とは何か、権力とは何か、抱き平和とは何か、自由とは何か、教育とは何か、人間とは何か、ケアとは何か― 。自分たちにとって大切なもの、価値あるものを選択するために思考する。これが哲学です。
 ユマニチュードの哲学には、大切にしている価値があります。「尊厳」「人権」「自由」です。さらに、「自律」「愛」「優しさ」、そして「プロフェッショナリズム」「誠実さ」「謙虚さ」も大切にしています。
 私たちの目の前には脆弱な人たちがいます。ケアの世界で言えば、医師や看護師、介護者より弱い立場にいるのは誰でしょう?

―患者さんだと思います。

 そうですね。だから彼ら彼女らに対して「自分は相手に対する権力を持っていない」と自覚することの大切さを、つまり、相手に対してつねに謙虚でありつづけることをユマニチュードではもっとも重要だと考えています。
 まず、人間とは何か、人間がもつ権利とは何かということについて考えてみましょう。ヨーロッパではギリシア時代以降、2500年にわたって哲学的な考察がおこなわれ、その結果「人権」という概念が誕生しました。これは1789年のフランス革命において「人間と市民の権利の宣言」、すなわち「人権宣言」として記述され、その後1948年に「世界人権宣言」として国連総会で採択されました。

 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。(世界人権宣言 第1条)

 日本もこの世界人権宣言を批准していますね。ですから、私たち市民はこの宣言を守る義務があります。もちろんケアをする側も受ける側も、みんな市民です。となると、私とみなさんの関係性はどうなるでしょうか?

―先生と生徒ですが……。

 確かにそうですが、世界人権宣言の第1条が示しているのは、私がみなさんに技術を教授する側で、みなさんが受けとる側であるという役割はあっても、そこには何も力関係はなく、平等であるということです。そして同じように誰もが自由であり、人類としてその自由を尊重し合う同胞だと述べています。
 ユマニチュードにおいて、この世界人権宣言は絵空事の理想ではなく、実現されるべき目標です。実際のケアの現場でこの目標をどのように叶えていくことができるのか。ユマニチュードは、私たちが大切に思っている価値と、それを実現するための技術で構成される技法です。

ケアを受ける人の選択と自律を尊重する

 もうひとつ、ユマニチュードで大切にしているのが「自律」という価値です。これは心理的にも哲学的にも大切な価値ですが、もしかしたらピンとこない方もいるかもしれません。そもそも「自律」とは何でしょうか?

―自分のことは自分でやるということ?

 それも間違いではありませんが、厳密に言えば、それは「自立」です。「自律」とは、より正確には「やりたいことを自分で選ぶ」ことです。
 患者さんは身体的な援助を必要としていますね。自分のことをすべて自分でやること(=自立)はできなくなっているわけです。となると、この方に自律はないのでしょうか?

―そんなことはないと思います。

 そうですね。そこでケアする人に求められるのは、ケアを受ける人の自律を尊重することです。認知機能が正しく働いている状態であれば、その人に自分自身で選択する能力があるのは自明ですから、その自律性を妨害すれば、その人の権利をないがしろにしているのだとすぐにわかります。
 では、認知機能が低下している人の場合はどうでしょうか?
 私はケアをする者として、ケアを受ける人の選択を尊重します。相手をよく観察していくと、患者さんのほとんどが何らかのサインを送っていることに気づきます。あるときは叫びによって、あるときは笑顔によって、あるときは筋肉のトーヌス(筋緊張)によって、自分が何をしたいか、どう感じているかを表明しています。
 身体的に他者に頼らなければならない状況にあっても、自律性を保つことはできます。自律とは身体的なものではなく、精神的なものだからです。
 たとえば、自分の手でテレビのリモコンを扱えなくなった状態は、身体的には「自立していない」とみなされるかもしれません。しかし、そこにはしっかり自律があります。自ら「テレビを見たい」と思い、自分で番組を選ぶ。これは立派な自律です。
 では、このときケアする人は、どんな存在になればいいでしょうか?

―手伝ってあげる人でしょうか? 

 そう。具体的には患者さんの動かない手の代わりに、リモコンを操作する人です。みなさんの手が、患者さんの手になります。ケアする人の役割は、「患者本人の代わりに何かを決める」ことではありません。身体的に他者に頼らなくてはならない状態にある人の精神的な自律を助けることなのです。
 もし、今ここで「ユマニチュードの大切にしている価値をどう思いますか? 賛同しますか?」と質問すれば、みなさんは「はい」と答えてくださることでしょう。
「目の前にいるケアを受ける人の自由を大切にしたいですか?」
「優しくしたいですか?」
「尊厳を尊重したいですか?」
 みなさんが「もちろん、そうだ」と答えると思います。それは素晴らしいことです。けれども、大切にしている価値を語るのは容易でも、実践するのはそう簡単ではありません。

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著者

イヴ・ジネスト/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネストーマレスコッティ研究所長。フランスのトゥールーズ大学卒業(体育学)。1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】日本ユマニチュード学会代表理事。独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年、筑波大学医学専門学群卒業。亀田総合病院、米国コーネル大学老年医学科などを経て、2011年より日本でのユマニチュードの導入、実践、教育、研究に携わり、普及活動を牽引する。

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