第7回
ユマニチュードはなぜケアのマニュアルではなく、哲学なのでしょうか?
2022.12.13更新
フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
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「人間らしさ」を考えるよりどころ
ユマニチュードというのは、いわばコンセプトです。「人間らしさ」とは何かをつねに問いながら、それを実現させるための手段として技術を使います。その技術は実際、「ジネスト・マレスコッティのケア技法」と呼ばれるマニュアルとして存在し、基本的な哲学とともに400ほどの技術で構成されています。
とはいえ、いくら技術だけを学んでも、ケアはうまくいきません。
どの技術をどんなときに、どのように選び、どんなふうに組み合わせるかを決める際、「なぜ自分はそのケアをおこなうのだろうか」「ここで大切なことは何だろうか」「いま優先すべきことは何だろうか」と考える、そのよりどころとなるのがユマニチュードの哲学です。
哲学があるからこそ、技術が生きます。この2つを切り離すことはできません。ケアの現場における点滴や清拭、与薬、食事介助などは、ともすると単なる「業務」のように済ませてしまいがちです。しかし、ユマニチュードではケアの現場でおこなわれるすべての行動やその環境に関して、つねに「人とは何か」という哲学に立ち返ります。
ケア技法・ユマニチュードは、「自分が大切にしている価値」つまり哲学と「自分が実際におこなっていること」つまり行動を一致させるための手段なのです。
互いに人間だと認め合う― 人と人との絆の哲学
ユマニチュードの理念は「絆」です。相手も私も人であること、そして私たちが互いに関係性を築いていること、絆を結んでいることを確認しつづけるのがユマニチュードの哲学です。
みなさんと私は同じ人間です。互いに自由であり平等であると認め合ったとき、そこに力関係はありませんね。ケアする人とケアを受ける人の関係も同じです。どちらか一方だけが力を持った状況で、相手の自由と自律が叶うことはありません。
けれども今、多くのケアの現場では、ケアする人とケアを受ける人とのあいだに力関係が生じてしまっています。ケアをする人は、「これがあなたのためですよ」という力を無意識的に行使し、ときに本人の意思に反する強制的なケアをしてしまっていることに無自覚です。強制的なケアとはすなわち、相手の自由と自律の否定であることに、ケアをする人は気づかなければなりません。
相手の自由と自律を尊重するのであれば、「強制する立場」と「従う立場」という関係にはなり得ません。では、強制する立場に立たずに、どうケアをおこなえばいいのでしょうか?
力関係に頼らずに、人を動かす方法がひとつだけあります。何だと思いますか?
―コミュニケーションをとること?
大事ですね。ではコミュニケーションによって生まれるものは何でしょう?
―関係性でしょうか?
そう。その関係性は「絆」であると、私は考えます。
私のお願いをあなたに聞き入れてもらうために必要なのは、あなたと私とのあいだのよい関係です。だから、ケアを受ける人とケアをする人のあいだにもよい関係が必要です。
患者さんとのあいだによい関係の絆ができていれば、「この人の頼みなら聞いてあげよう」と、患者さんは私のお願いを聞き入れます。私を好ましく思ってくれているからこそ、一緒に浴室まで来てくれるわけです。
私がケアをするとき、その中心にあるのは「ケアを必要とする人」ではありません。ましてや、その人の病気や障害でもありません。
中心にあるのはいつも、私とその人との「絆」です。この絆によって、ケアする人とケアを受ける人とのあいだに、ポジティブな関係を確立させることができるのです。
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