第8回
「ユマニチュードに迎え入れる」とはどういうことですか?
2022.12.20更新
フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら
人間の「第2の誕生」に欠かせないもの
人と人が絆を結ぶためには、まず互いに「人間ですね」と認め合う必要があります。では、人はどのように相手を認め、互いに認め合う関係を築いていくのでしょうか。これは、「人はどうやって‟自分”を確立していくのか?」という問いにも置き換えられます。
人間について考える前に、動物の哺乳類の絆について考えてみましょう。
羊のあかちゃんが生まれました。お母さん羊は、あかちゃん羊を懸命になめています。なぜ、なめるのかわかりますか?
―きれいにしてあげるためでしょうか?
それもひとつですが、もっと重要な理由があります。なめる目的は単にきれいにするためではありません。生まれてすぐにお母さん羊があかちゃん羊をなめることで、「あなたは羊ですよ」「あなたは私の仲間ですよ」と仔羊に伝えています。羊の種に迎え入れる、つまり「羊チュード」をおこなっているのです。
哺乳類には必ず、2つの誕生があります。第1の誕生は、生物学的な誕生。母親の胎内から外界に出た状態です。
第2の誕生は社会的な誕生、つまり同じ種に属する仲間として迎え入れられた状態です。この行為はとても重要で、母親になめてもらえなかった哺乳類のあかちゃんは、哺乳できずに死んでしまいます。
他の哺乳類と同じように、人間も二度、誕生します。一度目は生物学的な誕生で、これは哺乳類のヒト科としての誕生です。そして二度目の誕生は、自分が哺乳類のヒト科に属する存在だと‟認識する”社会的な誕生であり、羊ではない、猫ではない、犬でもない、自分は人間であると認める段階です。
これを私は「ユマニチュードに迎え入れられる」と表現します。
ユマニチュードが導く「第3の誕生」
人間は他の哺乳類のようにあかちゃんをなめることはありません。あかちゃんはなめられる代わりに、母親や周囲の人からのまなざしを受け、声をかけられ、優しく触れられることで「あなたは人間ですよ」とメッセージを受けとり、ユマニチュードに迎え入れられます。自分が人間であることをこうして自覚するのです。
そして人生を通じて、周囲から多くの視線や言葉、接触を受け、立位によって人としての尊厳や深部知覚、空間の概念などを獲得することで、自分が人間であり、社会的な存在であることを認識しつづけます。
では逆に、長いあいだ誰からも見つめられず、話しかけられることも、触れられることもなくなった人は、どうなってしまうと思いますか?
―孤独になってしまう?
そうですね。では孤独になった人が失ってしまうものは何でしょう?
―周囲とのつながりや社会性でしょうか。
そのとおりです。第2の誕生で得た社会性を失って他者との絆も弱まり、人間として扱われているという感覚が薄れてしまうのです。さらに立つことができなくなって、寝たきりになってしまうと、人はその尊厳を保つことも困難になります。
これが今、病院や施設で寝たきりを強いられている多くの患者さんたちが経験していることです。
だからこそ、私たちがその状況を理解し、稀薄になってしまった絆を積極的に結び直していく必要があります。長らく人間扱いされずに社会性を失ってしまっている人たちが再び人間の世界に戻ってこれるように、みなさんが絆を結び直すのです。
その絆を再度結ぶための具体的な技術として、ユマニチュードでは「見る」「話す」「触れる」という人間関係を構築する柱を使います。そして、ご本人のアイデンティの柱として4つめの柱「立つ」が実現できるよう援助します。
人間の脳には、他者に出会い、関係を構築する仕組みが生物学的に備わっています。たとえ言葉による通常のコミュニケーションが不可能になっても、この4つの柱を使うことで、相手を再び私たちの世界へと迎え入れることができる、すなわち「第3の誕生」を迎えることができるのです。
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