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ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストのユマニチュード集中講義 イヴ・ジネスト 本田美和子 装丁画:坂口恭平「小島の田んぼ道」(『Pastel』左右社刊より)

第10回

どうしてコミュニケーションがそんなに大事なのでしょうか?

2023.01.10更新

読了時間

フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら

人間らしい世界に迎え入れられなかった子どもたちは―

 生まれてから愛情を受けられずに成長した子どもたちが、ルーマニアにいました。1989年の共産党政権崩壊後に見つかった、ある孤児院で育った子どもたちの例を紹介しましょう。
 その孤児院は、60 人の子どもに対し、ケアをするスタッフがひとりだけという人員配置のもとに運営されていました。生物学的にはみな正常に生まれてきた子どもたちでしたが、圧倒的な人手不足のなかで、誰かに見つめられることも、話しかけられることも、触れられることもないまま、食べ物だけが与えられる状況で子どもたちはすごしていました。
 誰からも「あなたは人間ですよ」「あなたは大切な存在ですよ」と伝えることがなかった結果、子どもたちは「人間らしい」特性を失ってしまい、まるで自閉症のようにつねに身体を前後に揺らす常同運動を繰り返す子どもたちや、身体が拘縮してしまった子どもたちで、施設はあふれていました。
 フランスの医師が孤児院を訪れたとき、彼らはルーマニア側から「子どもたちは全員が先天的な障害者である」との説明を受けました。子どもたちの何人かをフランスに連れていって脳のCTを撮ると、確かに前頭葉が非常に萎縮していました。
 しかし担当した精神科医のボリス・シルルニック氏は、「この子どもたちは、周囲から与えられる情報が極端に不足した、いわば感覚遮断状態で生育されている」「この環境がこの子たちの脳の発達を阻害してしまっている」と主張し、子どもたちをフランスの里親に出しました。
 養子に迎えられた子どもたちが愛情に満ちた里親との家庭生活を送りはじめて6か月後、もう一度脳のCTを撮ると、大きな変化が起きていました。脳の成長が進んで萎縮は改善しており、自閉症に似た症状も消えていました。シルルニック医師の主張が証明されたのです。

人間存在にとってのコミュニケーション 

 このルーマニアの子どもたちの例からわかるのは、自分ではない他者こそが、その人の脳を発達させるための重要な役割を担っているということです。
 脳を発達させる薬剤というものは存在しません。けれども人によるコミュニケーションが、脳に絶大な変化をもたらします。つまり、私たちひとりひとりに、相手の脳を育てるという素晴らしい機能が備わっているのです。
 たとえば、私があなたに面と向かって「愛しています」と言ったら、あなたは顔を真っ赤にするかもしれませんね。でもどうして、顔が赤くなったりするのでしょう?

―言葉に反応しているから?

 そのとおり。私からの情報が、あなたに生理学的な変化を起こしているという証です。逆に私が暴言をあびせたら、あなたはカッと怒るでしょう。私が出す情報によってあなたが怒るとき、体内でアドレナリンが分泌されます。もし、やさしく触れられれば、あなたの体内ではオキシトシンが分泌されます。
 コミュニケーションが相手に生理学的な反応をひきおこすという事実は、人間にとってコミュニケーションがいかに大きな意味をもつかを物語っています。コミュニケーションは、相手に生理学的な変化を呼び起こし、失われてしまった「人間らしさ」を取り戻すための重要なツールなのです。
 なかでも、いちばん大切なのは、コミュニケーションの始め方です。
 たとえば、何か病気の治療を控えているときに、第一声で「大丈夫ですよ、安心してください」と言ってもらえたら、緊張していた気分がほぐれ「ああ、よかった。この人といれば安心だ」と思えるものです。これは礼儀のためのコミュニケーションではなく、相手に生理学的な反応を呼び起こす医学的介入なのです。
 となると、ケアをする人としてのみなさんの役割は何でしょうか?

―優しさと愛を伝えるコミュニケーションをすること?

 そうですね。もっと具体的に言えば、「あなたのことを大切に思っています」「あなたには尊厳があります」そして「あなたは素晴らしい人です」と伝えつづけることです。そして重要なのは、この役割は私たち人間にしか担えないということです。
 この先、人工知能を搭載した高機能のロボットなどが登場する時代もやってくるでしょう。けれども、人工知能が人間存在にすべて取って代わることはありません。
 なぜなら、人間であることの「十全性」は、人間同士でなければわかり得ないからです。

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著者

イヴ・ジネスト/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネストーマレスコッティ研究所長。フランスのトゥールーズ大学卒業(体育学)。1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】日本ユマニチュード学会代表理事。独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年、筑波大学医学専門学群卒業。亀田総合病院、米国コーネル大学老年医学科などを経て、2011年より日本でのユマニチュードの導入、実践、教育、研究に携わり、普及活動を牽引する。

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