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第12回

理想のケアを形に

2019.12.23更新

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 科学ジャーナリストが見た、注目のケア技法「ユマニチュード」の今、そして未来。『「絆」を築くケア技法 ユマニチュード』刊行を記念して、本文の第1章と、日本における第一人者・本田美和子氏インタビューを特別公開! 全18回、毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)に更新します。
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 テルトルをつくったのは、理想のケアを形にしたいとフランス各地で介護施設を運営している資産家の兄弟だという。兄弟はユマニチュードに共感し、各施設では建設する段階からユマニチュードの考え方を取り入れてきた。入居者が払うのは月額およそ2700ユーロ(同32万円)。「私の父も施設に入ったとき同じくらいの金額を払っていたが、ひどいところだった。同じ費用負担でこれが実現できるのは素晴らしい」とジネスト氏。
 スタッフに話を聞く。連携医師のドミニクさんは、地元で病院に勤務していたが、定年後に連携医師となった。ドミニクさんが感じるテルトルの特徴はスタッフが「同じ言語」で話していること。つまり、スタッフが同じ価値観を共有しているところが他との違いだという。「ユマニチュードを導入していない施設にも行っていますが、かなりの差があります。ここには入居者の尊重がある。例えば、朝ご飯を食べたくなければ食べなくていい。部屋にいたければいることができる。それぞれの生活リズムを尊重しています。ここには自由があるんです」。
 心理カウンセラーのサンドリーヌさんは学生時代にインターンでテルトルに来て魅せられ、卒業後すぐに就職した。働き始めて3年目。「ユマニチュードの認証施設で仕事をするのはすべての人にとって気持ちがいいんです。自分が人間として大事だと思っている価値観ときちんと合った仕事ができる」。
 看護部長のシャルレーヌさんはテルトルに来て5年目だ。働き始めてユマニチュードがすぐに好きになった。「生活リズム、尊重、強制しないこと。他では見たことがないことばかりでした」。現在はユマニチュードのリーダーとして、指導とともに入居者の希望に合ったケアの調整をしている。
 ジャン-シャルルさんがユマニチュードに出会ったのは15年以上前。「ユマニチュードは絶対的な価値観。出会ったときからこのように仕事をしたいと強く思いました」。現在は、テルトルを含め、法人が所有する複数の施設の管理をまかされているという。
 施設の廊下の壁には、あちこちに笑顔の高齢者の写真が大きく掲載されたポスターが貼られている。ユマニチュードの技術や理念を表現したものだという。大きく書かれていたのは「話しましょう」の文字。笑顔で手を振る高齢者の写真は、テルトルの入居者をプロの写真家が撮影したものだ。写真の下には次のように書かれていた。「視線とともにすぐに言葉を発しましょう。優しく、歌うように、落ち着いて温かみのある声で。愛情、優しさ、誇りというポジティブなメッセージを伝えるためです」。さまざまなテーマのポスターを作り、月ごとに貼り替えている。
 ポスターをまとめた小冊子を見せてくれた。冊子には「見る」「話す」「立つ」「ノック」「笑顔」などのテーマについて、ユマニチュードの観点から説明した文章もついている。プライバシーを尊重する、強制ケアをしない、同意を必ず得る、睡眠を尊重する、唯一性を大切にするなど、ケアをする上で守るべき態度や価値観もテーマとして取り上げている。
 ジャン-シャルルさんが身体拘束をテーマにしたページを開いて見せた。写真に写っているのは、青い椅子に座り腰をベルトで縛られた女性。その隣に高齢の男性が立っている。笑顔で見つめ合う2人。椅子に座っているのは施設の看護師、立っているのは入居者だという。「この方は入居したときには縛られた状態でした。最も要介護度が高く、すぐ亡くなってもおかしくない状態でした。しかしここに来て6ヶ月後には立てるようになりました。この写真はそれを表しています」。写真の上には「自由に過ごしましょう」の言葉。縛る縛られる関係の立場を逆転した写真に参加者から「おお」の声。微妙な話題もテーマとして取り上げることで、施設の姿勢を示すとともに、入居者や来訪する家族と対話をする狙いがあるという。
 小冊子の表紙には女性が高齢者の頬にキスをしている写真が掲載されていた。フランス風のしっかりした「チュー」のキスだ。「私は子どもにどんな仕事をしているのかと聞かれ、チューを配る仕事をしていると話しているんです」とジャン−シャルルさん。テルトルでは新しくスタッフを採用するとこの小冊子を渡し、教育に活用している。最初のページには入居者の写真と「彼らを喜ばせる準備はできていますか?」のメッセージ。施設長の挨拶文にはこう書かれている。「ヴィラ・デュ・テルトルは、ユマニチュードのケアの哲学と方法論を通じて、野心的な研修を実施しています」。最後のページには、「ユマニチュードの技術のルール」と題してスタッフが守るべき行動規範が示されている。「アイデンティティ、自律性、居室、個人のペース、睡眠を尊重します」「ケアを延期する方法を知っています」「その人の人生の物語を理解します」。ジネスト氏が言った。「誇りに思います」。
 すべてのスタッフがユマニチュードの研修を受講し、ユマニチュードのケアをどの程度実行できているか、管理職から定期的に評価を受ける。「学んだ動作は経験を積めば積むほど良くなる。学んでいない動作は欠点がもっとひどくなる。学んでいないと自分のやり方になるが、学んでいればできるようになり、改善ができる」とジネスト氏は言う。評価は4段階で、「見る」「話す」「触れる」の技術、ノックをしているか、ケアの前に同意を得ているか、希望を聞いて洋服を選んでいるかなどの入居者の自律性の尊重、ケアに応じてベッドの高さを変えているか、立位歩助機を適切に使っているかなどの機材の使い方まで幅広い分野に及ぶ。1人のケアを4人の管理職で評価する。スタッフは当初、「警察に見張られているようだ」と警戒した。しかし、現在は自分がどのレベルかを把握するため、評価を自ら希望するようになったという。「ここまで統計を取っているところは他にない。素晴らしい」とジネスト氏は絶賛した。
 アルザスの施設と同様、ここでも朝のケアの現場を見学した。見学した区画では入居者14人に対してスタッフ2人で必要な人、希望する人に身支度を援助する。自分でできる人は自分で、寝ていたい人は寝ていることができる。心配な人がいるときはノックをして静かに扉を開け、そっと様子を見る。スタッフが着ているのは白地に紫のラインの入った制服。これもホテル仕様だ。胸には細い横長の名札をつけているが、これもホテルのスタッフと同じような形をしている。
 スタッフのフランソワさんが廊下でケアの内容を確認し、ノックをして部屋に入る。挨拶をして、私たちを紹介する。ベッドの中の女性はすでに起きていた。短いブロンドヘアの白人女性。日本からの参加者が「いい顔をしていますね。お元気そうです」と伝えると、「私の年齢にしてはそうかもしれませんね」と笑顔の返事。フランソワさんと話をしながらケアが始まった。服について相談しているようだ。「これでいいですか」「はい」「用意しておきますね」。
 保清が始まる。「足下を開けますね」。フランソワさんが掛け布団を下から少しめくって脚を出し、脚の下にバスタオルを敷いてベッド上で脚の清拭をする。滑らかな手の動きはエステティックサロンのよう。「脚を上げてください。朝の体操です」。ストッキングをつけ、ベッドの背もたれを上げる。「まず座る体勢になりますね」。女性が脚を横に動かし、自分でゆっくりとベッドの端に座った。フランソワさんが立位補助機をベッド脇に移動させ、女性の腰にベルトをつけ、スイッチを入れる。フランソワさんは途切れなく話をしている。1つ1つの動作をすべて説明している。女性が言った。「私ができるか見張っているの?」。フランソワさんが返事をする。「いえいえ、素晴らしい様子を見せていただいているんですよ」。立位補助機のハンドルが上がった。女性はゆっくりと立った姿勢へ。この状態で洗面所に移動する。フランソワさんがトイレで立位補助機のハンドルを下げると、女性が便座に座った。洗面所の扉を閉め、フランソワさんが私たちに説明する。「この時間はプライバシーの時間です。こうしてコミュニケーションを取りながら自然に接します。強制はしません。気持ちよくなっていただくと、私も気持ちよく1日を過ごすことができるんです」。
 話しながらも手際よくベッドのシーツや布団を直す。タオルと服を手に、洗面所の扉をノックして話をしながら入っていく。洗面所で立位補助機を使い、立った状態で下半身の清拭と着替え。ズボンをはいたら一度部屋に移動し、立位補助機から車椅子に移乗。「素敵なお洋服に着替えましょう」。車椅子で洗面所へ移動し、上半身の清拭と着替えへ。「腕を少し上げてください。拭いたらクリームをつけますね。少し前屈みでお願いします」「洗面台があるのでこれ以上はできないわ」「これで大丈夫です」。女性が自分でブラジャーと制汗剤をつけ、介助を受けながらシャツを着た。髪の毛を整えて朝のケアが終了。「終わりましたので食堂にどうぞ。おいしい朝食を召し上がってくださいね」。
 部屋を出て、実施したケアをファイルに記録する。ケアの内容ごとに紙にバーコードが印刷されており、手のひらサイズの読み取り機でスキャンするしくみだ。部屋に入って出るまでで35分弱。フランソワさんは別の部屋でケアをしていたもう1人のスタッフと段取りを話し合い、次の部屋へと向かった。

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著者

大島寿美子/イヴ・ジネスト/本田美和子

【大島寿美子(おおしま・すみこ)】 北星学園大学文学部心理・応用コミュニケーション学科教授。千葉大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程修了(M.Sc.)、北海道大学大学院医学研究科博士課程修了(Ph.D)。共同通信社記者、マサチューセッツ工科大学Knight Science Journalism Felloswhipsフェロー、ジャパンタイムズ記者を経て、2002年から大学教員。NPO法人キャンサーサポート北海道理事長。 【イヴ・ジネスト】 ジネスト・マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。 【本田美和子(ほんだ・みわこ)】 国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職。

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