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ユマニチュードへの道 イヴ・ジネストのユマニチュード集中講義 イヴ・ジネスト 本田美和子 装丁画:坂口恭平「小島の田んぼ道」(『Pastel』左右社刊より)

第12回

人間の尊厳は、どうすれば大切にできますか?

2023.01.24更新

読了時間

フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
「目次」はこちら

人の尊厳における「他者」という存在の大きさ

 私たちはどんなときに自分の尊厳を感じるでしょうか? 少しわかりにくければ、質問を変えてみましょう。
 みなさんは、どんなときに自分が大切にされていると感じますか?

―相手に優しくされたとき……でしょうか?

 そうですよね。相手に優しくされ、愛を受けとったとき、私たちは大切にされていると感じます。相手に認められて、自分はここにいていい存在なのだと思えたとき、私たちは尊厳を感じることができます。
 つまり人は、他者なくしては自分の尊厳を感じられない存在なのです。
 あなたが私に対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しかけてくれることによって、私は人間になります。私がここにいるのは、あなたがここにいてくれるからです。そしてあなたがここにいるのも、私がここにいるからです。他者に認められ、他者を認めてこそ、人間の尊厳が成り立ちます。そこには必ず自分以外の誰かとの「関係性」があります。
 人間のあかちゃんは、自分で身の回りのことができるまでに何年もの歳月を要します。それまでのあいだは、周囲から見つめられたり、触れられたり、言葉をかけられて育ちます。いわば、他者に依存して生きている存在です。
 あかちゃんのケアをする人も、あかちゃんに依存されることで自分とあかちゃんとのあいだに愛情をはぐくみ、尊厳を感じながら信頼関係を築いていきます。
 他者との関係に着目すると、ケアを必要としている弱い立場にある人も、あかちゃんと同じ脆弱な状況にあると言えます。ユマニチュードは、この「人と人との関係性」に着目したケアの技法です。

人を診る獣医になってはいけない

 愛や優しさという言葉を使うと、誤解を受けることがあります。ユマニチュードは単なる精神論なのではないかという誤解です。しかしユマニチュードは具体的な哲学と技術からなる技法であり、精神論ではありません。
 ただし、ユマニチュードの技法の実践はつねに、「人間とは何か」という問いとともにあります。
「人間とは何か」、つまり人としての特性とは、何でしょうか?

― ごはんを食べたり、立って歩いたり、家族や友人とお喋りすること……などでしょうか?

 素晴らしい答えですね。私がお伝えしたいこともそこにあります。
 まず人間は動物ですね。みなさんも私も99 %はチンパンジーと同じ遺伝子を持っています。動物は生きるために呼吸し、食べて飲み、排泄して動きます。じゃあ、この基本的な欲求が満たされていれば、人間らしいと言えるでしょうか?

―うーん、人間らしくはないですね。

 そう。基本的な欲求が満たされただけでは、人間としての尊厳は見出せないからです。
 人間は直立歩行し、言葉を使い、笑い、歌い、それぞれに好みの服を着て、ときに化粧をし、習慣や文化を有します。また、その知性はものごとに関する概念をいだき、精神性を持っています。家族やコミュニティに属し、社会性を備えています。そして誰もが唯一無二の存在です。
 人は動物であると同時に、他の動物にはない多様な特性を備えています。ですから、ケアをする際に立ち返るべきは、「自分は人としての特性を考慮したケアをしているか?」ということです。つねにこう問いながら、解決法を探っていく必要があります。これまでお話ししてきたように、人は他者から人として扱われることによって、尊厳を感じられるからです。
 私はイヴ・ジネストであり、人間である、と感じさせてくれるもの― それが尊厳なのです。もし、ケアをするときに人間の動物としての基本的欲求のみに関心を示すのなら、私たちは獣医になってしまいます。
 ケアする側の私たちは当然、自分を人間だと思っていますよね。同じように、患者さんの病室に入ったとき、病床で寝ている方に対して「この人は人間だ」と感じなければなりません。人間の特性に対してケアをおこなうことによってはじめて、私たちは獣医でなく、「人間のケアをする人」になれるのです。
 ユマニチュードは、目の前の他者=相手が、「人間という種に属している存在である」と認識し、「あなたと私は同じ人間である」という特性を互いに認め合うための技法なのです。

最期まで人間でありつづけるために

 想像してみてください。
 宇宙人から私たちに「会いたい」というメッセージが来ました。地球からは「どうぞいらしてください」と返事をします。
 宇宙人は人間を見たことがありません。そこで先ほどお話しした「人としての特性」をリストアップして知らせておきます。「宇宙人の方々、人間を見分けるのは簡単ですよ。私たちは服も着ていますし、表情も豊かですし、立っています」「話もしますし、知能も発達しています」という「人間らしさ」のリストです。
 宇宙人がやってきて、みなさんを見ます。リストどおりの特性が備わっているので人間だとわかります。次に宇宙人は病院の病室を訪ねました。そこには寝たきりの女性がいました。宇宙人はリストに照らし合わせて人間かどうかを識別しようとします。
「笑っているか?」
「いや全然。一日中、動物のように叫んでいます」
「立っているか?」
「いや立っていません。拘縮が進んで、もう3年もベッドに寝たきりです」
「美しいと思えるような服を着ているか? お化粧はしているか?」
「冗談でしょう。ここは病院ですよ」
「家族と一緒に過ごしているか?」
「いいえ。誰も会いに来ていません」
「ごはんぐらいは食べているだろう? 箸を持って、あるいはフォークとナイフを持って食べているか?」
「いいえ。栄養は胃ろうからです」
 病室の患者さんはリストアップされた「人としての特性」を持ち合わせていません。そのため、人間であるにもかかわらず、宇宙人は彼女を「人間だ」と認識できません。
 ケアの現場で、「この患者さんはどんな人ですか?」と看護師さんに聞くと、どんな答えが返ってくると思いますか?

―ええと、その患者さんの普段の様子などを話してくれるのでしょうか?

 そうだったらいいのですが、多くの場合、みんな患者さんの‟過去”の話をします。「この方のご職業は学校の先生でした」「昔はいつも笑顔で優しい雰囲気の方だったんですよ」「入院された頃は、まだお庭の散歩もできていました」
 つまり、この患者さんがかつては「人としての特性」にあふれた人間だったことは知っているのです。でも、今はどうでしょう?
 私たちは、いま目の前にいる人を人間であると証明するために、何をすべきでしょうか。私たちがどう接すれば、患者さんたちは「自分が人間である」と認識できるでしょうか。
「あなたは人間です」「私にとって、あなたは大切な存在です」と人生の最期の瞬間まで伝えつづけることで、人は人間でありつづけることができます。それを実現させる手段がユマニチュードです。

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著者

イヴ・ジネスト/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネストーマレスコッティ研究所長。フランスのトゥールーズ大学卒業(体育学)。1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】日本ユマニチュード学会代表理事。独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年、筑波大学医学専門学群卒業。亀田総合病院、米国コーネル大学老年医学科などを経て、2011年より日本でのユマニチュードの導入、実践、教育、研究に携わり、普及活動を牽引する。

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