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第5回

人は、他者との関係性によってのみ、自分を規定することができる

2019.03.07更新

読了時間

臆病、意地っ張り、せっかち…。あなたは自分の「性格」に苦労していませんか? 性格は変えられないというのはじつはウソ。性格とは、人が生きていく上で身に付けた「対人戦略」なのです。気鋭の認知科学者である苫米地英人博士が、性格の成り立ちや仕組み、変え方などを詳しく解説します。
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 これまで見てきたように、人の脳の前頭前野には、過去の記憶をもとに作られたブリーフシステムがパターン化されて蓄積されています。

「自分は~な性格である」という自己イメージは、そのブリーフシステムから生まれたものであり、「この人は~な性格だ」という周りの人の評価も、ブリーフシステムによって決定された、相手の選択や行動のごく一部を見て下されたものにすぎません。

 しかも「明るい」「暗い」「真面目」「不真面目」といった評価には絶対的な基準がなく、他者に対する評価には、必ずその人の主観が入ります。

「人がそれぞれ、生まれながらにして持っている、そう簡単に変わらない、絶対的な性質」など存在しないということが、おわかりいただけたでしょうか。

 そしてそれは、ごく当たり前のことです。
 なぜなら、人は常に変化し続ける存在であり、「確固たるもの」「変わらないもの」「絶対的なもの」など、そもそも持ちえないからです。

 また、人は他者(人やもの、出来事)との関わりの中でしか存在できず、自分一人だけでは、自己を規定することができません。

 ためしに、「これが私です」と断言できるように、自分自身を紹介してみてください。
 名前、年齢、出身地、現住所、現在の職業、勤めている会社、家族構成、親の職業、好きなもの、趣味……。

 いずれも、「あなたという存在そのものの情報」ではなく、「あなたと関係のある存在に関する情報」です。
 私たちは、自分以外の人やもの、組織、場所などと絡めなければ、「自分がどんな人間であるか」を表現できません。
「自分」とは、「他者との関係にまつわる情報」が寄り集まったものなのです。

 そんな「個人」を幾何学的に表現すると、「点」にしかなりません。
 輪郭も持たず、特徴もない、ただの「点」。
 その点が、ほかのさまざまな点(人やもの、出来事)たちと線(関係)を結ぶと、ようやく形らしいものができていきます。
 しかしその形はあくまでもぼんやりとしており、常に変化し続けます。

 ちなみに、「自分という『個』は、他者との関係性によって成り立っている」という考えは、仏教でいうところの「縁起(えんぎ) 」「空(くう)」に通じます。

 釈迦(しゃか) (前463~前383年頃)は、「宇宙のすべての存在や出来事(個)は、ほかの存在や出来事と、網の目のように因果関係を結びながら、相互に関わり合っており、一つも欠くことはできない」と説き、そのような個と世の中の関係性を「縁起」としています。

 そして、後に大乗仏教の僧であるインドのナーガールジュナ(2~3世紀)と、チベットの学僧であるツォンカパ(1357~1419年)が、縁起を研究し、「空」の思想を生み出し、大乗仏教の悟りである「中観(ちゅうがん)思想」を確立しました。

「空」の思想は、「すべてのものは、他との関係性の網の中で形作られており、普遍的な実在はない」というものです。

 たとえば、あなたの今までの人生を振り返り、自分自身がどんな人間であったかを考えてみてください。

 子どものころや学生時代のあなたについては、両親や学校の友人、部活などとの関わりや、そこから受けた影響を抜きにしては考えられないでしょう。
 社会に出てからは、会社の同僚など、独身の人が結婚したり子どもが生まれたりすれば、新たに作った家族が、あなたという人間と深く関わり、さまざまな影響を与え、そのたびにあなたの考え方や行動パターンは変化しているはずです。

 あなたという人間は、他者との関係があって初めて成り立っており、しかも他者との関係によって、どんどん変化しています。
 突き詰めて考えれば、「これがあなたという人間である」という確固たるものはどこにもない、ということになります。
 これが「空」の考え方です。

 一方、あなたの考え方や行動パターンが変化し続けるように、あるいはあなたの肉体が、小さな赤ん坊として生まれ、少しずつ成長し、大人になり、やがて年老い、死を迎えて消滅するように、この世のすべてのものは生成、変化、消滅を繰り返しており、一定の状態のまま、未来永劫保たれ続けるものは、何一つありません。
 これを「諸行無常(しょぎょうむじょう)」といいます。

「あらゆるものは、空であるからこそ無常であり、無常であるからこそ空である」。
 仏教では、それこそがこの世のあるがままの姿であり、空であるものに実体を求めたり、無常なものに「変わらないこと」を願ったりすることから、人間の苦悩が生じる、と説いています。

■ ポイント

・人は常に変化し続ける存在。
・人は他者(人やもの、出来事)との関わりの中でしか自分を規定することができない。


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著者

苫米地 英人

1959年、東京都生まれ。認知科学者、計算機科学者、カーネギーメロン大学博士(Ph.D)、カーネギーメロン大学CyLab兼任フェロー。マサチューセッツ大学コミュニケーション学部を経て上智大学外国語学部卒業後、三菱地所にて2年間勤務し、イェール大学大学院計算機科学科並びに人工知能研究所にフルブライト留学。その後、コンピュータ科学の世界最高峰として知られるカーネギーメロン大学大学院に転入。哲学科計算言語学研究所並びに計算機科学部に所属。計算言語学で博士を取得。徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。

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