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叢のものさし 小田康平

第23回

叢の畑

2019.12.12更新

読了時間

【 この連載は… 】 植物選びの基準は「いい顔」をしているかどうか……。植物屋「Qusamura(叢)」の小田康平さんが、サボテンや多肉植物を例に、独自の目線で植物の美しさを紹介します。植物の「いい顔」ってどういうことなのか、考えてみませんか?
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小人の帽子

接ぎ木の台である竜神木の株元からは新しい脇枝が出ている。
寄り添うように、ささやくように、そんな愛着が湧いてくる個体。

「植物の実直さ」に価値を定めそれを伝える

叢には500㎡ほどの畑がある。そこには3000本ほどのサボテンや多肉植物が所狭しと並んでいる。大きいものでは数百kgの重さのものや高さ5mを超えるようなものまである。一見、いわゆる植物屋の管理する、ごく普通のハウスに見えるが、叢のハウスは少し違う。ここで僕らがやろうとしているのは、植物を思うままに生長させ、その生長過程を知ること。通常、観葉植物やサボテンのハウスで育てるものは、当然ながら植物だ。新しい枝葉や根を出させて、形を整えて出荷する。思い通りの植物になるよう人の枠のなかで管理していく。一方、叢の畑では植物と同じようにストーリーも育つ。
畑での植物は地植えしたり鉢植えにしたりさまざま。最低限の水やりの管理は行えど、そのほかは基本的に放置状態で剪定などはあまり行わない。植物は自由に育ち、やりたい放題の野放し状態。接ぎ木の台木などからも本来はあってはよくないとされる脇枝がよく出る。しかし、見方を変えれば、植物は枝を出したいから出すのであって、至極自然な行為。植物にとってそれは無意味なことではないのだ。その過程を見ながらどのように育ったのか、どのような経緯があったのか、いいことも悪いことも含めてストーリーとして植物の価値付けをするのだ。
園芸とは、植物をどれだけコントロールできたかが芸となり価値となる。思い通りに操れば操るほど評価される、植物を使った人による芸なのだ。それは人の技術や目利きがあってこそ行うことのできる術でありたやすいことではない。長年培われた価値観や尺度は園芸としてこれからも受け継がれることだろう。だから僕らが畑で行っていることは、もしかしたら園芸ではないのかもしれない。そこにはできる限り芸は存在しない。植物が植物の意思で動き育つ様を素直に受け止め、その「植物の実直さ」に価値を定めそれを伝える。純粋で一直線な植物にできるだけ手をかけず、俯瞰して捉えることで、植物の生きようとするたくましい動きが現れてくる。そのことを芸とは全く異なる一つの植物の価値として見ることで植物の魅力をシンプルに味わうことができるはずなのだ。

叢の畑。柱サボテンや群生球などを地植えしている。根付いたサボテンたちは純粋にたくましく、ありのままに生きていく。

 

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この連載は、「月刊フローリスト」からの転載です。
最新話は、「月刊フローリスト」をご覧ください。

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著者

小田康平

1976年、広島生まれ。2012年、〝いい顔してる植物〟をコンセプトに、独自の美しさを提案する植物屋「叢-Qusamura」をオープン。国内外でインスタレーション作品の発表や展示会を行う。最新作は、銀座メゾンエルメス Window Display(2016)。http://qusamura.com

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