第4回
無源第四
2018.12.07更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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無源第四
4 和光同塵(わこうどうじん)
【現代語訳】
道は空っぽのようであるが、そのはたらきは限りなく、たとえ満たそうとしても満たせるものではない。それは深遠で底知れず、万物の根源のようである。
それはすべての鋭さをくじき、すべてのもつれを解きほぐし、すべての光を和らげ、すべての塵ちりと一つになる。
満々とたたえた水のように静かで、何か存在しているようだ。私は、それが誰の子なのかを知らないが、万物を生み出した天帝の祖先のようである。
【読み下し文】
道(みち)は沖(ちゅう)(※)にしてこれを用(もち)うれば或(ある)いは盈(み)たず。淵(えん)として万物(ばんぶつ)の宗(そう)に似(に)たり。
其(そ)の鋭(えい)を挫(くじ)いて、其(そ)の紛(ふん)を解(と)き、其(そ)の光(ひかり)を和(やわ)らげて、其(そ)の塵(じん)に同(どう)ず(※)。
湛(たん)として存(そん)する或(あ)るに似(に)たり。吾(わ)れ、誰(たれ)の子(こ)なるかを知(し)らず、帝(てい)の先(せん)に象(に)たり。
- (※)沖……「沖(ちゅう)」は「盅(ちゅう)」の借字。空っぽの意味。
- (※)其の光を和らげて、その塵に同ず……「和光同塵」ということわざとなり有名である。玄德第五十六にも重出している。「和光同塵」は「仏、菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)を救うため、自分の本来の知徳の光を隠し、けがれた俗世に身を現すこと」(『岩波 国語辞典』岩波書店)などとされ、今は仏教用語のように見られる向きもあるが、もともとは老子の教えである。一般的な故事成語の意味は「自分の知徳の光をやわらげて目立たないようにし、世間の者と同じように暮らしてゆくこと」などとされる(『故事・俗信ことわざ大辞典』小学館)。
【原文】
無源第四
道沖而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。
挫其銳、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。吾不知誰之子、象帝之先
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