第82回
19〜21話
2020.04.23更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、菜根譚の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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19 気持ちと心の持ちようで人は大きく変わる
【現代語訳】
時間の長い短いは、気持ちの持ちようによる。場所の広い狭いも、心のありようで変わる。だから、気持ちのゆったりとした人は、一日を千年よりもはるかに長いように感じ、気持ちの広い人は、狭い部屋でも天地の間のように広く感じる。
【読み下し文】
延促(えんそく)(※)は一念(いちねん)に由(よ)り、寛窄(かんさく)(※)は之(これ)を寸心(すんしん)に係(か)く。故(ゆえ)に機間(きかん)なる(※)者(もの)は、一日(いちにち)も千古(せんこ)より遥(はるか)に、意(い)広(ひろ)き者(もの)は、斗室(としつ)(※)も寛(ひろ)くして両間(りょうかん)(※)の若(ごと)し。
(※)延促……時間の長い短い。
(※)寛窄……場所の広い狭い。
(※)機間なる……気持ちのゆったりとした。
(※)斗室……狭い部屋。一斗ますほどの部屋。
(※)両間……天地の間。
【原文】
延促由於一念、寛窄係之寸心。故機閒者、一日遙於千古、意廣者、斗室寛若兩閒。
20 無の境地も面白い
【現代語訳】
欲望を減らした上にまた減らして、ただ花を植えたり竹を植えたりしながら、すっかり烏有先生すなわち無に近づいていく。忘れてはならないことさえ忘れてしまい、ただ香をたいて、お茶をいれる生活をする。酒を届けてくれる白衣の童子が来なくても、まったく気にしない。
【読み下し文】
之(これ)を損(そん)して又(また)損(そん)し(※)、花(はな)を栽(う)え竹(たけ)を種(う)えて、儘(ことごと)く烏有先生(うゆうせんせい)(※)に交還(こうかん)す。忘(わす)るべき無(な)きを忘(わす)れ、香(こう)を焚(た)き茗(めい)を煮(に)て、総(すべ)て白衣(はくい)の童子(どうじ)(※)に問(と)わず。
(※)之を損して又損し……『老子』にある(忘知第四十八)の言葉。なお、本項の解釈は、本書の後集2条および31条参照。
(※)烏有先生……「烏(いずく)んぞ有(あ)らんや」。どうしてそんなことがあろうか、いやまったくない。無のこと。以上に先生をつけて擬人化したのは前漢の司馬相如。
(※)白衣の童子……詩人陶淵明の故事にちなんでいる。9月9日、重陽の節句に酒がなかったが、ある人が白衣の使者をつかわして酒を届けてくれて、ともに飲んだという。
【原文】
損之又損、栽芲種竹、儘交還烏有先生。忘無可忘、焚香煮茗、總不問白衣童子。
21 足るを知り、現実を愛していけば、すべては良くなっていく
【現代語訳】
すべて目の前で起きる現実の事柄は、足るを知る者にとっては、仙人が住むという理想郷のようなものである。他方、足るを知らない者にとっては、つまらない俗な世界である。すべて世のなかに現れてくる物事のはたらきは、それを善く用いる人にとっては、ものを活かすはたらきとなる。他方、善く用いようとしない人にとっては、ものをだめにしていくはたらきとなる。
【読み下し文】
都(すべ)て眼前(がんぜん)に来(き)たるの事(こと)は、足(た)るを知(し)る(※)者(もの)には仙境(せんきょう)にして、足(た)るを知(し)らざる者(もの)には凡境(ぼんきょう)なり。総(すべ)て世上(せじょう)に出(い)づるの因(いん)は、善(よ)く用(もち)うる者(もの)には生機(せいき)(※)にして、善(よ)く用(もち)いざる者(もの)には殺機(さっき)なり。
(※)足るを知る……『老子』にある「足(た)るを知(し)る者(もの)は富(と)む」(辯德第三十三)、「足(た)るを知(し)るの足(た)るは、常(つね)に足(た)る」( 儉欲第四十六)からのものである。なお、「足るを知る者は富む」については、本書の前集55条参照。
(※)生機………物を活かすはたらき。これに対するのが「殺機」であり、物をだめにしていくはたらきのことをいう。現代でいう「プラス思考・マイナス思考」に似ている。またいわゆるアメリカ成功法則の元祖であるベンジャミン・フランクリンも同じ趣旨のことを述べている。「その幸福になる人間は、物事の都合の良い点、会話の楽しい部分、おいしい料理、ワインの味の良さ、良い天候などに着目し、すべてを陽気に楽しむのである。その不幸になる人間は、反対のことばかり考えたり、話したりするのである」(『アメリカ古典文庫1 ベンジャミン・フランクリン』 池田孝一訳 研究社)。
【原文】
都來眼歬事、知足者仙境、不知足者凡境。總出世上因、善用者生機、不善用者殺機。
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