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チップチューンのすべて All About Chiptune ゲーム機から生まれた新しい音楽 hally

第2回

アーティスト・インタビュー vol.1 ヒゲドライバー

2017.02.02更新

読了時間

【この連載は…】ゲーム機の内蔵音源チップから誕生した音楽ジャンル「チップチューン(Chiptune)」。その歴史を紐解く待望の書籍『チップチューンのすべて』(2017年5月発売予定)の一部を、全10回にわたってお届けします。
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連載第2回目からは、国内のチップチューン・シーンを支えるアーティストの方々へのインタビューを、書籍に先立ち一部公開していきます。チップチューンとの出会いや楽曲の制作秘話などに迫ります。


chiptune02_1

▼プロフィール


ヒゲドライバー


2005年に無料インディーズ音楽配信サイト・muzieでの楽曲発表を皮切りに、主にインターネット上で活動を行う。2008年にWindowsの効果音だけで作られたオリジナル曲『Hello Windows』をニコニコ動画に投稿して話題になり、同年6月に初のオリジナルCDアルバム『ヒゲドライバー1UP』を発表。スピード感のあるキャッチーなメロディーを得意とし、インストのチップチューンから歌ものロックまで幅広いジャンルの曲を制作している。近年はアーティストやゲーム、アニメへの楽曲提供を数多く担当。2013年に、バンドプロジェクトを始動し、翌2014年にヒゲドライVANを結成。ヒゲドライバーとしては、2016年1月に10周年記念ベスト盤をリリース。バンドは2016年6月にミニアルバム『インターネット・ノイローゼ』を発表した。

http://higedriver.com/


■実はMML&トラッカー使いだった~ヒゲドライバーの意外なルーツ


── 最初はゆず、スピッツ、Mr.Childrenといったギターポップ的なものから音楽に興味を持ったそうですね。


僕は山口県出身で、(あまり賑やかな所ではないので)子供の頃の主な情報源はテレビだったんです。だから、テレビで取り上げられているものを必然的に好きになっていった感じでした。中二くらいの頃に兄が買ってきたギターを遊びで弾き始め、ミスチル(Mr.Children)とかスピッツの曲を、コード本とかを見ながら練習しました。今思えばお遊びのレベルのものではありますけど、オリジナル曲を作ったりとかもしていました。

 音楽と同じくらいゲームにも熱中しましたね。僕はスーファミ~プレステ世代なんですけど、みんながファミコンをやらなくなっていくなかで、誰もプレイしていないファミコン・ソフトを借りまくっていました。FF III(ファイナルファンタジーIII)がめっちゃ好きでしたね。あとは王道ですけど、ドラクエⅢ(ドラゴンクエストⅢ)とかⅣとか。そのあたりはやはり音楽面でも記憶に残っています。


── チップチューンをやりはじめたきっかけはなんだったんでしょうか。


大学に進学して、サークルに入ってバンドを組もうとしたんです。僕は当時から「プロになるぞ」くらいのテンションで臨んでいたんですが、周囲にはあまり熱意のある人がいなかった。だったら一人で何か出来ないかなと思って、パソコンでの音楽制作を始めたんです。大学のレポート作成用にノートパソコンを持っていたんですが、ある時それで曲を作れるってことを知って、どんなもんなのかなって触ってみたのが最初ですね。そのとき手にとったのが、フリーソフトのテキスト音楽エディター「サクラ」だったんです。実は最初の時点では、MML(ミュージックマクロランゲージ)で打ち込んでたわけですね。サクラはユーザーコミュニティが充実していたので、そこに助けられつつ、勉強しつつみたいな感じでやっていました。


──「サクラ」からチップチューンに行くというのは、結構珍しい。


そうですよね。でも、自分としてはわりと自然な流れでした。音源はノートパソコン内蔵のチープなMIDI音源を使ってたんですが、その音色セットの中にピコピコしたシンセ音があって、それにすごくハマって、全部それだけで曲を作ったりとか。「こういう音楽が今、逆にいいんじゃないか」って思ったんです。その時点でチップチューンというジャンルを知っていたわけではなく、音色に対する興味だけで、そこに行った感じです。

 それまでにもバンドっぽい曲を一人で作ったりはしていたわけですが、自分の中にもやもやと溜まっていたものを少しずつ形にできるようになったのは、「サクラ」を使い始めてからですね。作った曲は、当時「サクラ」の掲示板にちょいちょい出したりしていました。その当時からピコピコしたものを発表していたと思います。その次にmuzieに移ったんですが、そのタイミングで他のソフトに移行しました。「サクラ」だと音色に限りがあるという感覚が増してきて。もっと生っぽい音だとか、自分の好きな音色を使いたいって思った時に知ったのがModPlug Trackerだったんですね。


── MMLからトラッカーとは。無意識ながらもチップチューンの王道を歩んでいた(笑)。ということはmuzie時代の音楽データは、MOD形式だったんですね。


音色に関しては、ネットから拾ってきたフリーの音源とかだけでやっていました。だから、今思えばすごくチープな音なんですけど、当時はそれでも楽しくて、じゃんじゃん曲を作ってました。

 トラッカーは未だに好きですよ。今の曲作りは完全にCubaseなんですけど、音符の打ち込みだけで考えたらトラッカーでやったほうが早いんじゃないかというくらい、使い込みました。


── muzieにもユーザーコミュニティがありましたが、チップチューン的なものを発表している人は非常に少なかったと思います。実際のところ、muzieでの反応はどんな感じでしたか。


最初は大してなかったですね。でも、ヒゲドライバー名義でやり始めて何ヶ月かした頃に出した『SAMURAI BEAT』っていう曲がmuzieのランキング上位に入ったんです。ピコピコと和楽器をコラボさせたような曲だったんですけど、いろんな人が聴いてくれるきっかけになりました。


── 当時、何度かVORCで楽曲を紹介させて頂いていたんですが、それは気付いてました?


自分がやっている音楽のジャンルがチップチューンって言うことを知って、そこからVORCのことを知りました。別の世界に急に触れたような気がして、すごい世界があったんだなって。以降はいろいろなチップチューンを聴くようになりました。



■ブレイクまでの道のり


── muzieのあとMyspaceに移行して、その頃からボーカル曲も多く発表するようになりますね。Myspace時代の『マイティボンジャック』はヒゲドライバーの名を知らしめることになった曲だと思いますが、あれはどういうかたちで火がついたんですか。


あの曲はMyspaceを始めた2008年頃から公開していた曲で、ヒゲドライバーを知ってる人のなかでは代表曲みたいな存在になっていました。それから徐々にMyspaceは下火になっていくんですが、2009年にボカロPのcosMoとコラボしてCD『コスモドライバー∞UP』を出したときに、ニコニコ動画にそのPVが出たんです。聴いてくれる人の数が急激に増えたのは、それがきっかけでしたね。


── じゃあ最初のCDアルバム『ヒゲドライバー1UP』を作ったのはMySpace時代の、まだ本格的にブレイクする前だったわけですね。


たまたまレーベルから声をかけていただいて、二つ返事でやらせていただいたんですけど、当時は本当に無知で、マーケットのこととか何もわからない状態で出しちゃったんです。ネットで名前が売れてきたとはいえ、それが売れ行きに結びつくことはほどんどなかったです。


── この当時、チップチューンという単語はまだ普遍的じゃないというか、説明しないと分かってもらえないものでしたが、そんな中で自分の置かれるカテゴリとしてチップチューンというジャンルを意識することはありましたか。


意識はすごくしていたんですけど、自分がチップチューンの人だとは言えなかったんですよね。色んな音楽をまぜこぜにするのが自分のスタイルだったし、それでチップチューンを名乗るのは、本格的にやっている人たちに悪い気がして。だから、自分のことはよく「軟派チップチューナー」って言っていました。今もプロフィールには「ピコピコミュージシャン」という表現を使っています。


── チップチューンを名乗っていいのか不安を抱えたまま、いつの間にかシーンの中心にきてしまうっていうのは、日本のアーティストならではかもしれません。YMCK然り、Omodaka然りですね。


VORCのように、基本的にはネットのコミュニティがベースになっている世界だったので、お互い顔が見えないっていうことは大きかったと思います。僕自身も当時は山口で活動していたので、ほかのアーティストと接する機会もなかったですし。


── ネットのコミュニティそのものも、まだそこまで大きなものではなかったですしね。活動の拠点を山口から東京に移すきっかけは、何だったのでしょうか。


大きなきっかけは無いんですが、アルバムを2枚出させてもらって、多少ですけど音楽でお金を貰えるようになったんです。それだけで生活できるほどではなかったんですけど、そこそこ恵まれた環境の中で、曲を公開し続けていくだけの、だらだらした生活がしばらく続いてしまったんです。それで、このままじゃダメだなって思って、続けるか、辞めるか、東京で一回勝負をしたいなと考えたんです。


……この続きは書籍でお楽しみください。


chiptune02_2ヒゲドライVANのミニアルバム『インターネット・ノイローゼ』

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著者

田中治久 (hally)

ゲーム音楽史/ゲーム史研究家。90年代より国内初のネットレーベル「カミシモレコーズ」を主宰し、自身もチップアーティストとして楽曲制作やライブ活動を行う。2000年代には個人サイト「VORC」を始動、チップチューンやゲーム音楽についての執筆をはじめ、国内における第一人者として知られる。2012年からは新サイト「チップユニオン」の創設に協力するなど、新世代のリスナーにむけてチップチューンや8bitカルチャーの魅力を発信しつづけている。

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