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よみものどっとこむ

第3回

アーティスト・インタビュー vol.2 Omodaka

2017.02.16更新

読了時間

【この連載は…】ゲーム機の内蔵音源チップから誕生した音楽ジャンル「チップチューン(Chiptune)」。その歴史を紐解く待望の書籍『チップチューンのすべて』(2017年5月発売予定)の一部を、全10回にわたってお届けします。


連載第2回目以降からは、国内のチップチューン・シーンを支えるアーティストの方々へのインタビューを、書籍に先立ち一部公開していきます。チップチューンとの出会いや楽曲の制作秘話などに迫ります。


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▼プロフィール


Omodaka/寺田創一


1965年東京都出身。電気通信大学在学中よりセッションミュージシャンやマニュピレーターをはじめ、89年より作編曲家・リミキサーとしても活動開始。同時に自主レーベル「Far East Recording」を設立。97年頃からはドラマやゲームソフトのサウンドトラック制作を通じて映像的なアプローチも行なう。Omodakaは2001年に「テクノ民謡とモーショングラフィックスの融合実験企画」として始動した別名義のプロジェクト。液晶ディスプレイに映し出された仮想シンガーと共にGBC、PSP、DS liteやタッチパネル式シンセサイザ等のデバイスを使い、巫女装束でくりひろげるパフォーマンスが特徴。現在も国内外で精力的にライブ活動を行うほか、2015年オランダのRush Hourからリリースされたアルバム『Sounds from the Far East』をきっかけに、日本のハウスミュージックシーンのパイオニアとしても再評価を受けている。

http://www.fareastrecording.com/



■ハウスからチップチューンへ


── 寺田さんはOmodakaとしての活動以前から、クラブ・ミュージック界隈で知られた存在でした。80年代末期にハウスの制作を開始し、1990年のヒット作「サンシャワー(Sun Shower)」以降は、国内外で高い評価を獲得しています。


90年代前半くらいまでのリリースは、だいたいハウスです。ファー・イースト・レコーディング(Far East Recording、1989年に設立された寺田氏のセルフレーベル)でいうと、1994年の『ファー・イースト・レコーディング 2(Far East Recording 2)』までが大まかにいってハウスの時代。でも、Charさんの『スモーキー(Smoky)』のリミックスとかハウス以外のことも色々やっていました。


── クラブジャズやエレクトロなど、次第にいろんな要素が入り混じっていきますね。


『スモーキー(Smoky)』の制作時には(Charさんの)江戸屋レコードから音源のマルチテープをお借りしたんですが、作った後に「この音は江戸屋からは出せない」ということになって、じゃあ自分のレーベルから出させてくださいと提案しました。この他にも90年代はいろいろやっていて、レゲエっぽいものもあるし、『スモー・ジャングル(Sumo Jungle)』シリーズの時はドラムンベースでした。


── 当初からOmodakaに至るまで、日本らしさあふれるサンプルをよく用いていますよね。


特に統一感とかを考えていたわけじゃなくて、その時々に興味があるもの取り入れていただけなんです。なんとなく日本ならではのネタが好きなんでしょうね。『スモー・ジャングル』シリーズの頃はよくテレビにDATを繋ぎながら大相撲の試合を見たりしていました。行司の声とか相撲番組が始まる時の太鼓の音とかを狙ったりして(笑)。



■デジタル・シーケンサとの出会い


── そこからチップチューンへと至る過程を理解するには、寺田さんのルーツを掘っていく必要もあるのかなと。幼稚園〜高校生くらいまではエレクトーンをやっておられたそうですね。そこで作曲の基礎トレーニングはできていたと思うのですが、実際にシーケンサを使って音楽を作るようになったのはいつ頃なのでしょうか? 


大学1年生の時に、友達が彼の自作のデジタル・シーケンサに僕の書いた譜面から打ち込んでくれたっていうのが最初かも。自分でやるようになったのは、アムデック(後のローランドDG)のCMU-800を入手してからです。大学に入った頃に雑誌の懸賞で幸運にも当たったんです。たぶん『サウンド&レコーディング・マガジン』だったと思うんだけど、「これを欲しがる人間は他にいないはずだ」と思って応募して(笑)。PC-8001の専用シーケンサソフト(MCU-800)と一緒に使うもので、チープな内蔵音源(6音+ドラム音源)と8系統のCV/GATE(MIDIより古いシンセサイザ接続方式)が使えるっていうPC用のサウンド・インターフェイスでした。


── DTM用音源の先駆といえるものですね。そのときはもうパソコンを持っていたんですか?


父親が好きで買っていたものがあって、僕もそれでゲームくらいはやっていたんだけど、CMU-800を使い始めてからは打ち込みばかりしてました。そのマシンはPC-8001mkIIだったかな。それはもう行方不明だけど、RJB氏にCMU-800をMIDI対応に改造してもらったものは『ホーリー・8ビット・ナイト(Holy 8bit Night)』(2007)に参加したときに使いました。自分一人で盛り上がっていたけど、誰も気がつかなかったと思うなあ(笑)。



■作曲人生の始まりとルーツ・ミュージック


── CMU-800の内蔵音源はアナログシンセ+リズムマシンですが、質感はチップ音源にかなり近いです。寺田さんのチップチューン原体験はそこにあるといえそうですね。


CMU-800を手に入れてからは、伴奏をそれにやらせて、自分はリードを弾くっていう形で、チープな音によるフュージョンっぽい音楽を作るようになりました。中学生の頃からインスト系のフュージョンが好きだったんです。日本のものだとネイティブ・サン、カシオペア、日野皓正、渡辺貞夫、海外のものだとジョージ・デューク、スパイロ・ジャイラ、ウェザー・リポートとか。フュージョン以前はジャズをよく聴いていて、チック・コリアとかすごく好きです。特にリターン・トゥー・フォーエバー解散後にソロになった頃のもの。フュージョンの他にはクラフトワークやYMOがシンセサイザで作る音楽にも衝撃を受けて。そういう要素が自分の中でだんだん混ざっていったんだと思います。


── その頃にはゲーム音楽も耳にしていたのでしょうか?


ゲーム音楽はアーケードのゲームセンターで聴こえてくるものって意識があったんだけど、音楽だけ鑑賞することはほぼなかったと思う。ただ、ビリヤードゲームとか麻雀とかのBGMは、結構ジャズっぽいエッセンスのものが多くて、それはめちゃくちゃ好きで、ゲームセンター内でカセットテープに録音したりしていました。録音ボタンを押して、100円を入れて、ゲームが全部終わるまで待つ、みたいな(笑)。あっ、でもそれを聴いていたんだから鑑賞もしていたことになりますね。


── ジャズ〜フュージョン好きの下地があればこそですね。ロックには興味が行かなかったんですか?


全然。でも、20代前半の時にバンドに参加する機会があって。それから興味がでてきたかも。とあるロック・トリオが、デビュー直前にドラマーが抜けちゃって、そこにプログラミングのドラムで参加しないかって誘われる機会がありました。それまでもギタリストの人と組んだことはあったんだけど、バンドっぽくやったのはそれが初めてだったんですね。

 そこでサンプラーを使ってドラムのパートをやっていたんだけど、なるべく人間っぽくなるようにプログラムするのが当然みたいな雰囲気があって。そこに違和感がありました。逆にダンスミュージックでは人間だったら絶対にやれないようなパターンだとかフレーズ・サンプリングが追求されていたから、だんだんそっちに惹かれていったんだと思う。


── ハウス〜ヒップホップの面白さに開眼した頃のお話ですね。フレーズ・サンプリングとおっしゃいましたが、当時はまだサンプラー用のブレイクビーツ集とかもあまり発売されていなかったはずです。音ネタはどのように?


80年代後半当時の楽器屋さんは店頭デモ用に面白いデータを持っていて、それを自分のデータと交換しようって持ちかけていた時期があったんです。フロッピーディスクを持って行ってコピーさせてもらうんだけど、ほとんどのお店がいいよって気楽に応じてくれて。そんなことやってたのは、自分だけだったかも(笑)。その中に面白いフレーズ・サンプルがあって。ループになっているから鍵盤を押しているとずっと鳴っていて、そこに更に別のパートを足していくのが楽しくて。本当に一日中、猿みたいにその遊びをやっていたんですよ(笑)。



■ロンドン紀行とMIDI時代


88年にロンドンに行った時にも、フロッピーを大量に持って行って交換してきてね。それが丁度ボム・ザ・ベース(Bomb The Bass)とかが流行っているくらいの時期だったと思う。大学卒業記念一人旅だったんだけど、自分は大学にいるときから、薄給だけどバンドで稼ぎがあったから、特に就職の予定もなくて。でも就職せずに音楽でやっていくことにすごく不安もあって、ここで何か思い切ったことをやるのがいいんじゃないかと思ったんです。それでロンドンでふたつやろうと決めて、楽器屋でのアカイS-900のディスク交換と、あともう一つは何を考えたのか「地下鉄でピアニカを吹く」(笑)。クラブ的な場所は情報が上手く収集できなくて、結局ほとんど行けなかった。もちろんいくつかは行ったけど、アンダーグラウンドな店には行き着けなくて。だから、クラブに行った記憶よりも、ピアニカを吹いていたことのほうが印象に残っています。地下鉄の乗客達は意外とチップをくれました。しかも演奏する場所を譲ってくれたストリート・ミュージシャンのおじさんが「あそこでやればもっと稼げるぜ」とか教えてくれるんですよ(笑)。すごく楽しかった。


── この頃の打ち込み環境ってどういう感じだったんですか?


PC-8801で「MCP-PC8」っていうローランドDGのMIDI出入力ソフトを使っていました。これが後にカモンミュージック(「レコンポーザー」)とカミヤスタジオ(「レクリエ」)という二つの系統に分かれて、それぞれに発展していくんだけど、自分は後者を使うようになりました。シェアとしては、前者のほうがダントツに大きかったんですけどね。

 そういう、いわゆるステップ・シーケンサを使っていたから、内蔵音源やゲーム音楽で使われるMMLのような書き方は知らなかった。チップチューンに初めて接した時に、どうやらMMLというもので書かれているらしいということを知って、でも全く理解できなかったんですね。だから、めちゃくちゃ憧れがあったんです。シーケンスソフトとかじゃなくて、まるでプログラミング言語のようにMMLを操るっていうことが、とんでもなくハードコアなことに思えて(笑)。


……この続きは書籍でお楽しみください。


chiptune03_2Omodaka『Bridge Song』Far East Recording


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著者

田中治久 (hally)

ゲーム音楽史/ゲーム史研究家。90年代より国内初のネットレーベル「カミシモレコーズ」を主宰し、自身もチップアーティストとして楽曲制作やライブ活動を行う。2000年代には個人サイト「VORC」を始動、チップチューンやゲーム音楽についての執筆をはじめ、国内における第一人者として知られる。2012年からは新サイト「チップユニオン」の創設に協力するなど、新世代のリスナーにむけてチップチューンや8bitカルチャーの魅力を発信しつづけている。

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