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よみものどっとこむ

第9回

アーティスト・インタビュー vol.8 Quarta330

2017.04.27更新

読了時間

【この連載は…】ゲーム機の内蔵音源チップから誕生した音楽ジャンル「チップチューン(Chiptune)」。その歴史を紐解く待望の書籍『チップチューンのすべて』(2017年5月発売予定)の一部を、全10回にわたってお届けします。


連載第2回目以降からは、国内のチップチューン・シーンを支えるアーティストの方々へのインタビューを、書籍に先立ち一部公開していきます。チップチューンとの出会いや楽曲の制作秘話などに迫ります。


Quarta_photo

▼プロフィール


Quarta330(クォーター330)


メロディックなチップチューン・サウンドとトリッキーなビートを融合させて鳴らす東京の音楽プロデューサー。イギリスのHyperdubから2007年にリリースされた『SunsetDub』をはじめ、10周年記念コンピへの参加を含む数々の作品を発表。また、Flying Lotus へのリミックス提供や、日本で開催されるHyperdub 関連のイベントなど、さまざまな海外アーティストの来日イベントにも出演。今年1月、最新EP『Pixelated』をリリース。日本国内では三浦大知が歌うテレビ朝日系『仮面ライダーエグゼイド』の主題歌『EXCITE』へのリミックス提供を手がけた。

quarta330.com



■チップチューンとダブステップ、それぞれのルーツ


── Quarta330は日本のライブ・チップチューンの立役者であると同時に、日本におけるダブステップの草分け的存在でもある。ルーツにはダブやレゲエがありますよね。


小学生のとき、姉のレコードを聴き漁りながら、そのあたりに興味をもったんです。そこから同時代の音楽をさらに自分で調べていって、アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)とかにも行き当たって。


── 僕がQuarta330という名前を初めて見かけたのは2001年くらいかな。当時はまだチップチューンをやっていなくて、ミュージシャンというよりシンセ・オタクという印象があった。


これも姉の影響で、小学生のときにYMOを聴き始めたんですが、楽曲はもちろんのこと、特にかっこいいなと思ったのは機材だったんです。そこからシンセサイザに興味が傾いていって、インターネットで情報を探すようになった。それが中学生になる前後ぐらいかな。高校時代はChesterfieldさんのところの青い掲示板に入り浸っていました。あそこには、いい意味で人生を狂わされてしまった(笑)。もともとSaitoneさんのところの掲示板に出入りしていたんだけれど、当時Saitoneさんはカシオトーンにハマっていた時期で、それで何だかよくわからないけどすごい曲を作っていたんですね。そういう音楽にチープなものを使うのがカッコよく見えた。そこからチープな機材に興味をもつようになって、やがてゲームボーイへと至るわけです。


── 音楽を作ることに興味が出てきたのは、いつ頃?


YMOを聴いたのとほぼ同時だと思いますね。最初に買ったのはヤマハのMU15というビギナー向けのDTM音源。それで昔の音楽をカバーするところから始めています。DTM音源だから、普通は音色とかあまりいじる必要ないわけですけど、僕はそこばっかりいじってました。アナログシンセのような感覚で基本的な波形をスタート地点にして音を作ってみたり。作曲に関しては何も勉強していなくて、特に努力もせず、好きなようにやってましたね。楽器の演奏もできなかったけど、それでもできる音楽ということでDTMに興味を抱いたところもあります。


── 学生時代から、けっこうなシンセ・コレクターでもありましたよね。


そうですね。環境を揃えて作曲に役立てるというよりも、とにかく集めることが好きだった。高校生くらいの時に、80年代のデジタル・シンセがすごく安く入手できたんですよね。中途半端に壊れたやつを買ってきて、自分で直したりしていました。にわか知識ですが電子工作をやるようになったのも、やはり中高生の頃です。根っこにあったのは貧乏根性みたいなものですね。なんでも既製品は高いので、それこそケーブルを作るところから始めて。



■ゲームボーイに至る道


── ゲームに関しては、かろうじてファミコン世代?


ぎりぎりかな。小学生のときに『ジョイメカファイト』(1993)が出て、それに熱中していました。僕のなかではゲーム音楽といえば『ジョイメカファイト』か『ギミック!』(1992)かという感じ。あとセガ・マークⅢでもよく遊んでいました。


── ゲームボーイを使って音楽を始めるのが2003年かな? 当時最若手のゲームボーイ・ミュージシャンでした。


高校卒業時にSaitoneさんが「LSDj」をくれたんです。大学への通学に1時間半くらいかかったので、その間にゲームボーイで音楽一式全部制作できるというところから、のめり込んでいきました。同じ頃に「nanoloop」も買っていたんですが、あっちはあまり僕のやりたいことができなかった。どうしてもシーケンサに依存する音になってしまう。僕としてはもっと深いところまで自分で手懐けたかったんですね。機材に振り回されている感じになってしまうのは、ダメだと思うんですよ。チップチューンの大切なとこってそこじゃないでしょうか。たとえばhizmiさんがやっている音が大好きなんですけど、あれはMMLとX68000の音源が一体になっているからこそのもので、FM音源があれば誰でもできる音ってわけじゃない。シーケンサと音源と人間がセットになって、初めてできる音。そうなってやっとチップチューンって言える気がするんです。いかに試行を凝らして、工夫して、やり遂げていくのかという、スポーツ的な感覚。僕はそういうところが好きなんですね。なかなか思ったようにいかないからこそ愛おしくて、どうにかして征服したいって欲が出てきます。ただMMLは、僕には敷居が高すぎました。多くの人がゲームボーイを手に取る理由って、やはりその敷居の低さにあると思うんですよ。



■Lo-bit Playground


── 2004年には東京初のレギュラー・チップチューン・パーティ「Lo-bit Playground」をスタートさせています。


まず大阪でジグさん(現スーパーレスキュウ主宰・南貴之)がライブのイベントを立ち上げ始めて、僕はその動きをネットごしに見ていたんです。そこからBlasterheadさんが主宰していた「Chiptune Japan Tour」とかに繋がるわけだけど、そういうお祭り感のあるものじゃなくて、もう少し気楽なものがいいなと思ったのがひとつ。それと、インターネットの外でも人に会いたいという欲求がもうひとつ。


── Lo-bitは当面、東京のシーンの空気を作っていたのは間違いないと思います。未知のアーティストも積極的に掘り起こしていたし。来日する海外アーティストたちのアクセス・ポイントにもなっていった。 


周りがゲームボーイ勢ばかりだったので、そっちに偏りがちではありましたけどね。コンセプトとしては、チップチューンに限定する気はなくて、「チップチューンを知っている人がやるイベント」でした。ただ、当時はサーキット・ベンディングとかブレイクコアと距離が近かったけど、そのなかのサブジャンルみたいな扱いになるのは避けたかった。それで、チップチューン単独のイベントという体裁をとった感じ。あと、僕自身の欲求として、「とにかく他の人の曲を聴きたい」っていうのがあったかもしれない。チップチューンって制約が多いので、作っている人のカラーが出やすい音楽だと思っていて。海外勢の参加もあって、チップチューンというキーワードの元に、交換留学みたいなことが起こるようになったのは、Lo-bitをやっていて一番面白いところだったかもしれない。


── 第7回のときに、Nullsleep とBit Shifterがワールド・ツアーを組んで、日本にやってきた。あれの打ち上げの飲み会で大いに盛り上がって……。


「今度みんなでそっち行くから、なにかイベント組まない?」みたいな話をしていたら、とんでもなく大きなイベントが立ち上がった。それがあの「Blip Festival」。いまから思えば冗談みたいな話だけど、アメリカはイベントに投資してくれる企業がちゃんとあるから、こういうことができるって分かった。それも含めて面白かったな。


……この続きは書籍でお楽しみください。


Quarta_CD.Quarta330『Pixelated』(2017)

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著者

田中治久 (hally)

ゲーム音楽史/ゲーム史研究家。90年代より国内初のネットレーベル「カミシモレコーズ」を主宰し、自身もチップアーティストとして楽曲制作やライブ活動を行う。2000年代には個人サイト「VORC」を始動、チップチューンやゲーム音楽についての執筆をはじめ、国内における第一人者として知られる。2012年からは新サイト「チップユニオン」の創設に協力するなど、新世代のリスナーにむけてチップチューンや8bitカルチャーの魅力を発信しつづけている。

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