第6回
アーティスト・インタビュー vol.5 SEXY-SYNTHESIZER
2017.04.06更新
【この連載は…】ゲーム機の内蔵音源チップから誕生した音楽ジャンル「チップチューン(Chiptune)」。その歴史を紐解く待望の書籍『チップチューンのすべて』(2017年5月発売予定)の一部を、全10回にわたってお届けします。
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連載第2回目以降からは、国内のチップチューン・シーンを支えるアーティストの方々へのインタビューを、書籍に先立ち一部公開していきます。チップチューンとの出会いや楽曲の制作秘話などに迫ります。
▼プロフィール
SEXY-SYNTHESIZER(セクシーシンセサイザー)
2006年にTakeshi Nagaiを中心に結成。80年代のアーケードゲーム機から流れ出る効果音に、耳慣れたピコピコサウンド、それらをバックにヴォコーダーで歌い上げるといったまるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような「キラキラ」で「POP!」なサウンドを展開。ゲームミュージックはもちろん、さまざまなアーティストに楽曲提供やREMIXなど行う。2014年、自身初の海外公演(オーストラリア)を大成功におさめ、今後の活躍も期待される。2015年に8年ぶりとなるオリジナルアルバム『SPACE』をリリース。
■SEXY-SYNTHESIZER誕生の経緯
── あまり知られていないことですが、SEXY-SYNTHESIZERをスタートする10年以上前から、ずっとプロとして作編曲やリミックスをやっておられたんですよね。
当時作っていた音の傾向はSEXY-SYNTHESIZERとは全く別物でした。
音楽制作の仕事をしていたので、時代の流れに沿って、仕事として対峙していたんですね。ダンス・ミュージックをベースにした何々風とか誰々風っていう仕事が多くなり…。でも、私の能力っていうのもあったと思いますが、いま思えば本当にそんな感じで作っていたんで、「俺がやらなくてもいいじゃないか」と思っちゃうような感じでした。悪い言い方をするとなんでも屋だった。向いてなかったんでしょうね。あまりそれを長く続けていると、お題を与えられないと何も作れない状態になってくるんですね。これは困った、ちゃんと自分の名刺代わりになるような、自分にしかできない音楽をやらないとダメだと思って、そこから自分の原点を見つめ直すようになりました。まあ、ちょうどレーベルを立ち上げるタイミングでもあったんですが。
音楽との出会いは、幼少期に聴いていたゲームの音とYMOだった。ならもう一度この原点に戻って一からやってみようと思って、それらをコンセプトに始めたのがSEXY-SYNTHESIZERなんです。で、そういうことをやってみようと思って、あるレコーディングの時エンジニアさんにその話をしていたら、「チップチューンって知っています?」って聞かれて。「なにそれ!?」って思って調べてみると、ステージでこういう音をやってる人たちが結構いるんだということが分かって。Youtubeやネットでいろいろなチップチューンを漁って「これは面白い」と思いました。
── SEXY-SYNTHESIZERの構想とチップチューンとの出会いが、並行してあったわけですね。当初は複数のメンバーでやっておられましたよね。
最初ふたり組からVJ担当を含めた3人組に、それから自分とVJにゲストヴォーカルのChihiroさんを加えてって感じで。最近はひとりでやることも多いです。それは自分の楽曲のスタイルに必要なエッセンスをその場その場で自由に加えていくほうが、いまはやりやすいから。
── SEXY-SYNTHESIZERという名前の由来は?
808 stateの『Gorgeous』というアルバムの最後に、そういう名前の曲があるんです。語感が面白かったのでそれを使ったんですよ。ずば抜けて好きな曲というわけでもないんですが。
■アーケード少年がクラブ・ミュージックに至る道
── SEXY-SYNTHESIZERには初期アーケード・ゲームへの憧憬が強くありますよね。
やっぱりアーケード世代なんですよね。ファミコン世代ではなく。影響は、自分が小学校後半から高校生の始めくらいに体験したアーケードゲームからなので、80年代初頭限定です。『ギャラクシアン』『パックマン』『スペースインベーダー』…そういったあたりをゲームセンターでこそこそと遊んで、その音にもすごく影響を受けていた時期にYMOが出てきて、そこから音楽にのめり込んでいったんです。YMOには人生狂わされちゃいましたね。そのあとクラフトワークとかシンセ系の音楽にがっつり入って、ニューウェーブに行って…。
── やがてクラブ・ミュージックに行き着く。
88年くらいかな。大学進学で東京に来たんだけど、その頃に「ディスコじゃなくって最近クラブっていうものがあるらしい。相当やばいところらしいぞ」なんていう話を耳に挟むようになってきて。で、当時のバンドのメンバーが知り合いのDJに作ってもらったハウスのミックステープを聴かせてくれたんですよ。それを聴いて「なんだこれ!」って驚いて。アシッド・ハウスなんかも出始めだったから、もう大騒ぎでした。
海外で言うところの、セカンド・サマー・オブ・ラブの頃でしょうか。その前に何を聴いてたかっていうと、僕はニューウェーブからパンクに行ってたんです。でもハウスに出会ってから、興味がパンクからハウスに完全に移っちゃった。
── プロとして音楽を作るようになったのは、そのあと?
92〜3年くらいかな。でも最初のうちはまだ年に数本しかなくて、バイトと掛け持ちだったんです。それだけでやっていけるようになったのは5~6年経ってからですね。
── そこからSEXY-SYNTHESIZERを始動するまでに、さらに10年くらい。そもそも仕事として音楽を作るようになったきっかけは?
ハウスに出会ってからデジタルの方に進んでいくんですが、一方で大学時代からの友人とバンドも組んでいて、そっちではラップやレゲエもやっていました。いろいろあってそのバンドは消滅して、そのあとにアレンジャーやプロデューサなどの仕事を始めるんです。
当時所属していたのがすごい事務所で。プロのDJやプロデューサ向けにダンス・ミュージックの下請け制作もやるようなところだったんですが、表に出てこない普通のおっちゃんたちが、完成度の高い音楽を作っている現場を見せつけられて、結構なショックを受けたんです。裏方としてやっていく覚悟を持った人たちの技術って言うんですかね。そこで精神的にかなり叩き上げられましたね。その後も毎週末、六本木や渋谷などで、ギャラを貰ってDJをしたり、自らの曲をアナログでリリースしたりした時代がありました。
── ダンス・ミュージック専門の裏方という、90年代初頭にはまだあまり認知されていなかった仕事に、早い段階から就いておられたんですね。
当時は作詞家、作曲家、アレンジャーの分業がまだ当たり前だったけど、僕はその頃から「これからはコンピュータで作曲からアレンジ、完パケまで全部できないとダメになる時代が来るぞ」って教えられていて、そのせいか自分もそうできないと気が済まなくなっていました。ちなみに作曲環境は、この頃買ったMacのColor Classic。現在までずっとMacです。当時はCubaseでMIDIを走らせていましたね。
■SEXY-SYNTHESIZERという名のジャンル
── ゲームの音以外のチープなエレクトロニック・ミュージックには影響を受けていますか?
80年代のエレクトロなヒップホップとかは聴いていました。あと90年代初頭のブリープ・ハウスも大好きでしたし、ずっと昔に遊びでそういう曲を作ったこともありました。そのあたりも原体験のひとつとして積み重なっていった感じはあります。
── 80年代初頭のゲーム音楽は、BGMと効果音が混然一体となっていました。SEXY-SYNTHESIZERの音は、あの感覚をうまい具合に表現できています。音作りはどのように?
初めはプラグイン・シンセで自作していました。活動開始当初、どこかで「ゲーム音楽をサンプリングしてる」って書かれたことがあって、「違う、ゲームらしい音を一から作っているんだ」って憤慨してました(笑)。80年代ゲームの効果音らしさを自力で生み出すことにこだわっていたので、そこがサンプリングじゃ意味がないんです。
ゲームの効果音って、単純な「ピューン」っていう音でも、実は32~64分音符をぎっちり並べて作られているんですよね。どういう音をどういう風に並べれば同じような音になるのか、ずっと試行錯誤していました。ナムコのある音ひとつを似せて作るのに3年くらいかかったりしたこともありましたよ。チップチューン専用に作られたようなプラグインとかは使ってないんです。わけが分からないままーから作るから、出来た時はめっちゃ嬉しいですよ。
ひとつ気を付けているのは、音遊びに終わらないようにすることです。楽曲として完成されているかどうかを重視してます。ああいう音を使いつつも、ちゃんと楽曲として洗練されたものになってなきゃと。
──「キラキラポップ」を標榜しておられますね。
キラキラ感と、ポップなメロディーも重要視しています。あとは自然なミニマル感ですね。超ポップなメロディーや音楽、どんなジャンルでもそうですが、それを突き詰めて作って行くという行為は私にとって、とても重要なことだと思っています。
……この続きは書籍でお楽しみください。
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