第3回
どうすればケアを受ける人の自律を尊重できますか?
2022.11.15更新
フランスで生まれたケア技法「ユマニチュード」。ケアする人とケアされる人の絆に着目したこのケアは日本の病院や介護施設でも広まりつつありますが、現在では大学の医学部や看護学部などでもカリキュラムとして取り入れられてきています。本書は、実際に大学で行われたイヴ・ジネスト氏による講義をもとに制作。学生たちとジネスト氏との濃密な対話の中に、哲学と実践をつなぐ道、ユマニチュード習得への道が示されます。
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自分の大切にする価値観と実践が一致しているか
ではまず、「倫理」という言葉の定義について考えてみましょう。みなさんは「倫理」と言われて何をイメージしますか?
―正しい行動をすることでしょうか?
そうですね。もう少し厳密に表現すると、「自分が大切だと考える価値」と「実際におこなっている行動」を一致させるものが倫理です。
ケアの現場でその価値が守られているかどうか、実践されているかどうかについて、私の経験をお話ししてみたいと思います。
私が訪れた日本のある病院では、患者さんが何をするにも抵抗し、それがご本人にとって危険だと判断されて、ベッドに拘束されていました。彼女は手足をばたつかせ、叫びつづけています。
この女性が自由であるか、愛されているかと聞かれれば、「ノー」と言わざるを得ない状況でした。看護師さんたちはみな悲しげで苦しい表情をしています。やるせない気持ちで疲弊していました。しかしケアを実施するための方法として、拘束する以外にどうしたらいいかわからない。そのため患者さんたちは縛りつけられ、恐ろしい目にあっています。
そこには残念ながら、自由も自律もありません。ケアをする人にも、受ける人にも、苦しみがともなうという、不幸な現実がありました。私たちが大切だと考える価値とは、まったく逆のことがおこなわれています。倫理が実現されていないということです。
ケアに従事しようという人が、こんなケアを望んでいたはずがありません。けれども世界中で、このようなケアが日常的におこなわれています。
韓国でも、同じようなケアの実態がありました。
ある病院では、看護師4人がかりで、ひとりの女性患者を入浴させようとしていました。看護師に押さえつけられるなかで患者さんは泣き叫び、その光景はまるで、警察官がデモ隊を検挙するシーンのようでした。看護師のユニフォームを警察官の制服に差し替えれば、見る者にはその行動も動作もまったく同じに映るでしょう。
では、ケアをする看護師と警察官との違いは何だと思いますか?
―正しいと思っているかどうか、でしょうか?
そうです。こうした行動のあとに警察官が泣くことはありませんよね。自分が何か悪いことをしたとは思っていないからです。でも看護師さんは違います。患者さんが苦しむ姿を見て涙を流しました。
なぜ、涙を流さずにはいられないのでしょうか?
それは「愛」という、とても美しい価値観を持っているにもかかわらず、実際のケアでは、その愛を届けることができていないからです。自分が大切にしたい価値と、実際におこなっている行為とのあいだに大きな矛盾が生じている。その矛盾こそが、苦しみの原因です。
私たち人間にとって自由や自律、愛や優しさがいかに大切であるかは、多くの人が理解していますね。にもかかわらず、施設や病院、あるいは家庭などのケアの現場では、ご本人のためにと一生懸命やっていることが、結果的に患者の自由を奪ったり、自律を奪ったり、自立を妨げたり、痛みを強要するケアになっている場合があるのです。
この先、みなさんが実際にケアの現場に入っていくと、こうした矛盾に少なからず遭遇すると思います。そのときにもっとも大切なのは、何でしょうか?
―哲学を念頭に置くこと?
それも大事ですが、もっとシンプルで、誰にでもできること。答えは「あきらめないこと」です。愛、優しさ、自由、自律という価値を手放さずに、相手にしっかり届けられるようになってください。
もちろん、うまくいかない場合もあるでしょう。けれども、そのときに「もう何をやっても駄目だ」とあきらめてしまわずに、まだ何か自分の知らない方法があるはずだと考えつづけてください。
大切にする価値を実践の場で実現させるためにどうしたらいいか? 優しさと愛を伝える方法を、つねに考えてください。どんなケアの現場でも、解決法は必ずあります。ケアがうまくいかないのは、私たちがその解決法をまだ見つけることができていないからです。ユマニチュードは、解決方法を探索するなかでたくさんの失敗を重ねた、その試行錯誤のなかから誕生しました。
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