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第2回

1〜3話

2021.03.23更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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梁恵王(上)

1‐1 仁義だけを考え、実践する


【現代語訳】
孟子が梁の恵王に面会した。王は言った。「先生は、千里もの遠い道をはるばると来てくださった。ということは先生におかれても、また、我が国に利益をもたらす教えを与えてくれるのでしょうね」。孟子は答えて言った。「王は、どうして利益、利益と言うのですか。王もまた昔の聖賢と同じように、仁義を行うことをするのみです。仁義だけを考えるのです」。

【読み下し文】
孟子(もうし)、梁(りょう)の恵王(けいおう)(※)に見(まみ)ゆ。王(おう)曰(いわ)く、叟(そう)(※)、千里(せんり)を遠(とお)しとせずして来(きた)る。亦(また)(※)将(まさ)に以(もっ)て吾(わ)が国(くに)を利(り)する有(あ)らんとするか。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、王(おう)何(なん)ぞ必(かなら)ずしも利(り)と曰(い)わん。亦(また)仁義(じんぎ)(※)有(あ)るのみ。

(※)梁の恵王……魏侯罃(ぎこうおう)のこと。魏の武侯撃の子で名は罃(前四〇〇~前三一九年)。魏は当時(戦国時代)の七強国の一つで、秦の圧迫を受けて都を大梁に移していたので梁とも呼ばれた。厳密に言うと魏は諸侯であり、王とはいえないはずだが、当時の諸侯は、大国になると王を名乗っていた。恵王は、その初めての人である。
(※)叟……先生。「叟」とは瘦(そう)のことで、やせた老人を指す。そこから老先生を意味するようになった。ここでは、孟子に対する尊称である。
(※)亦……あなたもまた。なお、「亦仁義有るのみ」の「亦」は、独立の助字と見て、「ただ」と訓読みする立場もある。
(※)仁義……「仁」は、人を愛すること。「義」は、正しい道理、道すじにかなうこと。すなわち、愛や真心を実践するときの規準。「仁」は孔子が理想とした人格であり、「仁義」という言葉は、孟子が初めて用いたものである(拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』俗薄第十八参照)。日本のいわゆるヤクザ映画などで使われるヤクザの掟を意味する「仁義」とは違う。『孟子』の最初の章で、孟子は、いきなり自分の主張の一つ、「仁義」の大切さを鋭く説いている。相手がどんなに偉かろうが、堂々と自分の信じる説を述べる。孟子らしさがすでにここで見られる。我が国においては、『孟子』は朱子学を正学とした江戸幕府の政策によって知られるようになった。朱子が孔子の『論語』と並んで『孟子』を「四書」の一つにしていたため、そこで初めて、広く読まれたのである。それでも本居宣長に見られるように、その過激な民主的発想と、発言や熱情などに見られる孟子の少し自信家すぎる印象から、これを嫌う人も多くいた。しかし、吉田松陰はアメリカ渡航を計画し、罪に問われて萩の野山獄に入れられたとき、先輩囚人たちに呼びかけて、『孟子』の勉強会をしている。その成果が松陰の主著になった『講孟箚記』である。この本は、松陰の熟誠と志の高さ、そして博学がよく出ているが、『孟子』の教えが明治維新の原動力の遠因の一つとなっていたことをも示してくれている(それだけ日本の武士たちにも影響を与えた)。その松陰はここで孟子がとにかく「仁義」を主張しているのは、「道理(どうり)を主(しゅ)とすれば功(こう)効(こう)は期(き)せずして自(おの)ずから至(いた)る」からだとする。目先の効果を追うと逆に本当の目的・効果を得られなくなるというのである。

【原文】
孟子、見梁惠王、王曰、叟、不遠千里而來、亦將有以利吾國乎、孟子對曰、王何必曰利、亦有仁義而已矣、

1‐2 義をあとにして、利を先にするとすべては危うくなる


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「王は、どうしたら自分の国に利益ももたらすようになるのか、大夫は、どうしたら自分の家に利益をもたらすようになるのか、役人や庶民もどうしたら自分の身に利益になるのかと言って上の者も下の者も、それぞれが自分の利益ばかりを追い求めるようであれば、その国にはいずれ滅亡の危機がやってくるでしょう。もともと兵車万乗の大国で、その君を殺す者があるとすれば、それは必ず兵車千乗の領地をもらっている大夫です。兵車千乗の国でその君を殺す者があるとすれば、それは必ず兵車百乗の領地をもらっている大夫です。兵車万乗の国で兵車千乗の領地をもらい、兵車千乗の国で、兵車百乗の領地をもらうというのは、かなり多い俸禄をもらっていることになります。それにもかかわらず、義ということを後まわしにして、利益を第一に考えるようになると、君を殺してまでも、すべてを奪い取ってしまわないと満足しなくなってしまうでしょう」。

【読み下し文】
王(おう)は何(なに)を以(もっ)て吾(わ)が国(くに)を利(り)せんと曰(い)い、大夫(たいふ)(※)は何(なに)を以(もっ)て吾(わ)が家(いえ)を利(り)せんと曰(い)い、士庶人(ししょじん)(※)は何(なに)を以(もっ)て吾(わ)が身(み)を利(り)せんと曰(い)い、上(しょう)下(か)交(こもごも)利(り)を征(と)れば、国危(くにあやう)し。万乗(ばんじょう)(※)の国(くに)、其(そ)の君(きみ)を弑(しい)する者(もの)は、必(かなら)ず千(せん)乗(じょう)の家(いえ)なり。千乗(せんじょう)の国(くに)、其(そ)の君(きみ)を弑(しい)する者(もの)は、必(かなら)ず百乗(ひゃくじょう)の家(いえ)なり。万(まん)に千(せん)を取(と)り、千(せん)に百(ひゃく)を取(と)る、多(おお)からずと為(な)さず、苟(いやしく)も義(ぎ)を後(あと)にして利(り)を先(さき)にすることを為(な)さば、奪(うば)わずんば饜(あ)かず(※)。

(※)大夫……天子、諸侯の家来。大臣。家来の身分は士の上が大夫、大夫の上が卿(大臣)。ただし、大夫が卿を兼ねることもあった。
(※)士庶人……役人や庶民。庶人が仕えて士となる。庶人はまだ仕えていない人のこと。
(※)万乗……兵車万乗のこと。兵車一乗には、甲士三人、歩卒七十二人、輜重(しちょう)を運ぶ人二十五人の計百人がついた。だから万乗の国というと諸侯のなかでも大国のことを指した。なお、『論語』のなかで、子路が「千乗の国」の政治を任せられたら立派な国にしてみせると述べるところがある。「千乗の国」でもそこそこの大きさを持つ国を指していたことがわかる(先進第十一参照)。
(※)饜かず……満足しない。飽き足りない。


【原文】
王曰何以利吾國、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利、而國危矣、萬乘之國、弑其君者、必千乘之家、千乘之國、弑其君者、必百乘之家、萬取千焉、千取百焉、不爲不多矣、苟爲後義而先利、不奪不饜、

 

1‐3 仁義を前面に出すことのすばらしさ


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「昔から仁の備わった人間で、その親を棄てさった者など一人もいません。また、義を身につけている人間で、その君をないがしろにした者もいません。だから、王もまた、仁義だけを言ってください。どうして利益のことを、口にする必要がありましょうか」。

【読み下し文】
未(いま)だ仁(じん)にして其(そ)の親(おや)を遺(す)つる者(もの)は有(あ)らざるなり。未(いま)だ義(ぎ)にして其(そ)の君(きみ)を後(あと)(※)にする者(もの)は有(あ)らざるなり。王(おう)も亦(また)仁義(じんぎ)と曰(い)わんのみ。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも利(り)を曰(い)わん。

(※)後……君のことは後まわしにして、自分の利益を先にする。ないがしろにする。なお、孟子は、ここでは「仁義」だけを口にせよと言うが、後で見るように、その仁義の中身として親を愛し君を重んずることに加えて、国民の経済的豊かさを重視し、また民が一番偉く、国や王は、その下にあるという民主主義的思想を持っていた(もちろん古代の時代的制約はあり、あくまで王の統治法としての考えから提案をしていた)。

【原文】
未有仁而遺其親者也、未有義而後其君者也、王亦曰仁義而已矣、何必曰利、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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