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第9回

20〜22話

2021.04.01更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐1 相手の興味を引き出し、自分の論じたいテーマに導く


【現代語訳】
斉の宣王が孟子に問うた。「春秋時代の覇者として知られている斉の桓公や晋の文公について話が聞きたいものだ」。孟子は答えて言った。「孔子の道を学び、その流れをくむ人たちで、桓公や文公のことを言う者はいません。だから、後の世までそのことが伝わっていません。そのため私も聞いたことはないのです。どうしても何か話せというなら、王道についてなら話せます」。すると王は言った。「どのような徳があれば王者となれるのか」。孟子は言った。「民を安んずることができれば王者になれます。誰もこれを止めることはできません」。王は言った。「私のような者でも民を安んじることができようか」。孟子は答えた。「できますとも」。そこで、王は聞いた。「どうしてそんなことがわかるのか」。孟子は言った。「私は次のようなことを家来の胡齕から聞きました」。

【読み下し文】
斉(せい)の宣王(せんおう)(※)問(と)うて曰(いわ)く、斉桓(せいかん)(※)・晋文(しんぶん)(※)の事(こと)、聞(き)く得(う)べきか。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、仲尼(ちゅうじ)の徒(と)、桓(かん)・文(ぶん)の事(こと)を道(い)う者(もの)無(な)し。是(ここ)を以(もっ)て後(こうせい)世伝つた)うる無(な)し。臣(しん)未(いま)だ之(これ)を聞(き)かざるなり。以(や)む無(な)くんば(※)則(すなわ)ち王(おう)か。曰(いわ)く、徳(とく)何(い)如(か)なれば則(すなわ)ち以(もっ)て王(おう)たるべき。曰(いわ)く、民(たみ)を保(やす)んじて王(おう)たらば、之(これ)を能(よ)く禦(ふせ)ぐ莫(な)きなり。曰(いわ)く、寡人(かじん)の若(ごと)き者(もの)、以(もっ)て民(たみ)を保(やす)んずべきか。曰(いわ)く、可(か)なり。曰(いわ)く、何(なに)に由(よ)りて吾(わ)が可(か)なるを知(し)るや。曰(いわ)く、臣(しん)之(これ)を胡齕(ここつ)(※)に聞(き)けり。

(※)斉の宣王……姓は田(でん)、名は辟疆(へきぎょう)(?~前三〇一年)。
(※)斉桓……斉の桓公(?~前六四三)。名は小白(しょうはく)。春秋時代、宰相の管仲の力もあって覇者となった(『論語』にも、述べてある。憲問第十四参照)。
(※)晋文……晋の文公(前六九六?~前六二八)。名は重耳(ちょうじ)。桓公と並んで春秋時代の覇者として知られる。宮城谷昌光氏のベストセラー小説『重耳』のモデル。本項で孟子は、孔子の流れをくむ者は桓公と文公については言わないので、自分も何も知らないとする。しかし『論語』で孔子も二人のことについては触れているし(憲問第十四参照)、孟子自身も告子(下)で桓公について詳しく話している。ここは、自分の言うべきことに宣王を導くために桓公と文公のことは知らないと言っているようだ。
(※)以む無くんば……どうしてもというなら。
(※)胡齕……宣王の家来の名。

【原文】
齊宣王問曰、齊桓・晉文之事、可得聞乎、孟子對曰、仲尼之徒、無道桓・文之事者、是以後世無傅焉、臣未之聞也、無以則王乎、曰、德何如則可以王矣、曰、保民而王、莫之能禦也、曰、若寡人者、可以保民乎哉、曰、可、曰、何由知吾可也、曰、臣聞之胡齕、

 

7‐2 相手の長所を見つけて発奮させる


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。孟子は言った。「王が堂上(御殿)にすわっているとき、牛を引いて堂下を通りすぎる者があった。王はこれを見て聞かれた。『牛をどこに引いて行くのか』。その者は答えた。『鐘ができましたので、牛を殺してその血で鐘をぬる儀式のためです』と。王は言われた。『やめよ。その牛は恐れおののいて、罪もないのに、刑場に向かうようで、見るにしのびない』と。その者が答えて言いました。『それでは、鐘に血を塗る儀式をやめるのですか』と。すると王は答えられた。『いや。儀式はやめられない。その代わりに羊を用いよ』と。果(は)たしてこれは本当にあったことでしょうか」。王は言われた。「そう言えばそんなことがあったな」。そして孟子はここぞとばかりに続けた。「その王の心が王者になる資格を示すものです。一般の庶民は、王が牛を羊に代えたのを見て、けちな物惜しみのためだろうといったうわさもしてます。しかし、私には王のしのびざる心が出ていることがよくわかるのです」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、王(おう)堂上(どうじょう)(※)に坐(ざ)す。牛(うし)を牽(ひ)いて堂下(どうか)を過(す)ぐる者(もの)有(あ)り。王(おう)之(これ)を見(み)て曰(いわ)く、牛(うし)何(いず)くに之(ゆ)く、と。対(こた)えて曰(いわ)く、将(まさ)に以(もっ)て鍾(かね)(※)に釁(ちぬ)(※)らんとす、と。王(おう)曰(いわ)く、之(これ)を舎(お)(※)け。吾(われ)其(そ)の觳觫(こくそく)(※)として、罪(つみ)無(な)くして死地(しち)(※)に就(つ)くが若(ごと)くなるに忍(しの)びず、と。対(こた)えて曰(いわ)く、然(しか)らば則(すなわ)ち鍾(かね)に釁(ちぬ)ることを廃(はい)せんか、と。曰(いわ)く、何(なん)ぞ廃(はい)すべけん。羊(ひつじ)を以(もっ)て之(これ)に易(か)えよ、と。識(し)らず諸(これ)有(あ)りや。曰(いわ)く、之(これ)有(あ)り、と。曰(いわ)く、是(こ)の心(こころ)以(もっ)て王(おう)たるに足(た)る。百姓(ひゃくせい)(※)は皆(みな)王(おう)を以(もっ)て愛(お)しめり(※)と為(な)すも、臣(しん)は固(もと)より王(おう)の忍(しの)びざるを知(し)るなり。

(※)堂上……階段の上の広間。いろいろな行事がここで行われる。御殿。
(※)鍾……鍾のこと
(※)釁る……新しい物ができたときに犠牲(いけにえ)を殺して血を塗る儀式を指す。
(※)舎く……やめる。
(※)觳觫として……恐れおののいて。原文の觳觫のつぎの「若」を「然」と読み替え、「觳觫然として」と読む説もある。
(※)死地……助かる見込みのないところ。ここでは刑場の意味。なお、『孫子』ではほかに「戦わなくては生き残れないところ」も意味する(九変篇など参照)。
(※)百姓……一般人民のこと。庶民。
(※)愛しめり……物惜しみ。けち。なお、孟子は王のけちで物惜しみをする性格を見抜いていたかもしれないが、一方で、牛を殺すにはしのびない心も少しあったと見て、その長所を引き出していくという論法をうまくとっている。孟子の議論がかけひき上手で無理強いなところを嫌う人も多いが、その志の高さからくる自分の伝えたいことへの善意の思いがそうさせているのだろう。吉田松陰もこのやり方を根っからの教育者として、孟子以上の自然な形で用いた。だからか孟子を尊敬すること厚かったし、自身も人材を多く生む稀有の教育者となった。

【原文】
曰、王坐於堂上、有牽牛而過堂下者、王見之曰、牛何之、對曰、將以釁鍾、王曰、舍之、吾不忍其觳觫、若無罪而就死地、對曰、然則廢釁鍾與、曰、何可廢也、以羊易之、不識有諸、曰、有之、曰、是心足以王矣、百姓皆以王爲愛也、臣固知王之不忍也、

 

7‐3 人は自分の心の奥を良い方向で理解してくれる人の話は良く聞ける


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「そうだな。人民はそう言っているらしいな。しかし、この斉の国が、どんなに狭くて小さい国だといっても、牛一つぐらいを惜しむものか。ただその牛が恐れおののきながら罪なくして刑場に行くような様子を見るに、忍びがたかったのだ。だから牛を羊に代えたのである」。そこで、孟子は言った。「王よ。人民が王のことを物惜しみしたためと言っているのを、どうしてだろうと怪しんではいけません。小さい羊を、大きい牛に代えたのだからそう思うのも無理がありません。どうして王の心のなかまでわかりましょう。それに王がもしその罪なくして刑場に引かれる牛のことを痛み悲しむのなら、牛であろうと羊であろうと、何の違いもありません」。王は笑って言った。「これはなるほど。どんなつもりだったんだろう。私は、別に財の大きなものを惜しんで、牛を羊に代えたのではないのだ。人民が、私のことを物惜しみしたと言うのも、もっともなことだ」。

【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、然(しか)り。誠(まこと)に百姓(ひゃくせい)なる者(もの)有(あ)り。斉国(せいこく)褊小(へんしょう)(※)なりと雖(いえど)も、吾(われ)何(なん)ぞ一(いち)牛(ぎゅう)を愛(お)しまんや。即(すなわ)ち其(そ)の觳(こく)觫(そく)として、罪(つみ)無(な)くして死地(しち)に就(つ)くが若(ごと)くなるに忍(しの)びず。故(ゆえ)に羊(ひつじ)を以(もっ)て之(これ)に易(か)へしなり。曰(いわ)く、王(おう)百姓(ひゃくせい)の王(おう)を以(もっ)て愛(お)しめりと為(な)すを、異(あや)しむこと無(な)かれ。小(しょう)を以(もっ)て大(だい)に易(か)う、彼(かれ)悪(いずく)んぞ之(これ)を知(し)らん。王(おう)若(も)し其(そ)の罪(つみ)無(な)くして死地(しち)に就(つ)くを隠(いた)(※)まば、則(すなわ)ち牛(うし)と羊(ひつじ)と何(なん)ぞ択(えら)ばん。王(おう)笑(わら)って曰(いわ)く、是(こ)れ誠(まこと)に何(なん)の心(こころ)ぞや。我(われ)其(そ)の財(ざい)を愛(お)しんで、之(これ)に易(か)うるに羊(ひつじ)を以(もっ)てせしに非(あら)ざるなり。宜(むべ)なるかな、百姓(ひゃくせい)の我(われ)を愛(お)しめりと謂(い)える。

(※)褊小……狭くて小さいこと。
(※)隠……痛み悲しむこと。

【原文】
王曰、然、誠有百姓者、齊國雖褊小、吾何愛一牛、旣不忍其觳觫、若無罪而就死地、故以羊易之也、曰、王無異於百姓之以王爲愛也、以小易大、彼惡知之、王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉、王笑曰、是誠何心哉、我非愛其財、而易之以羊也、宜乎。百姓之謂我愛也、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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