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第124回

298話

2021.09.17更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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5‐1 水かけ論になったとしても言うべきことは言う

【現代語訳】
(告子の説を信じているらしい)孟季子が、(孟子の弟子である)公都子に問うて言った。「どうして義を内だと言うのか」。公都子は言った。「自分の心のなかにある敬の心を行うのが義であるから、義は内だと言うのである」。すると孟季子は言った。「では、村のなかで、あなたの長兄より一歳年上の人がいたら、どちらを敬するのだ」。公都子は答えた。「自分の兄を敬する」。すると、また孟季子が聞いた。「では、村の宴会でお酒を酌する場合、どちらを先にするのか」。公都子は答えた。「まず、村人の長者の方にお酌する」。孟季子は言った。「普段、敬しているのは兄で、村の宴会では年長の人に敬意を表するということだと、外の条件によって年長の人を敬することになる。つまり、義はやはり内ではなく外にあるということだ」。公都子は、これに反論することができなかった。そこで、このことを孟子に報告した。それを聞いて孟子は言った。「孟季子に、『あなたは叔父を敬するのか、それとも弟を敬するのか』と聞いてみなさい。彼は、『叔父さんを敬する』と言うだろう。そしたら次に、『弟が先祖の神霊の身代わりである“かたしろ”という立場のとき、叔父さんとどちらを敬するのか』と聞いてみなさい。彼はきっと、『弟を敬する』と言うだろう。そうしたら、お前は、『叔父さんを敬するというのはどこに行ったのですか』と問いなさい。彼は、『弟は“かたしろ”という役割を担って、その位があるのである』と言うだろう。お前はまた、『そのときは“かたしろ”という位にあるためだからというのなら、普段、敬しているのは兄であって、村の宴会などときによっては、一時の敬は年長の村人にあるというのと同じになる(だから、いずれも自分の心のなかで考えて、敬をするか決めるのであり、内にあると言える)』と言いなさい。孟季子は以上の話を聞いて、そして言った。「叔父さんを敬すべき場合は叔父さんを敬し、弟を敬すべき場合は弟を敬する。つまり、外の条件によってそうなるのである。内から出るものではない」。公都子は反論した。「冬には熱い湯を飲み、夏には冷たい水を飲む。これは、外の事情を見て、自分の心のなかで決めて飲むものである(これは敬と同じである)。あなたの言うように、外にあるということになれば、飲食することも外にあって、外の事情で飲食するかどうかが決まることになる(それでは主張する『食と色とは性なり』と違うことにならないか)」。

【読み下し文】
孟季子(もうきし)(※)、公都子(こうとし)(※)に問(と)うて曰(いわ)く、何(なに)を以(もっ)て義(ぎ)は内(うち)と謂(い)うや。曰(いわ)く、吾(わ)が敬(けい)を行(おこな)う。故(ゆえ)に之(これ)を内(うち)と謂(い)う。郷人(きょうじん)、伯兄(はくけい)(※)より長(ちょう)ずること一歳(いっさい)ならば、則(すなわ)ち誰(たれ)をか敬(けい)せん。曰(いわ)く、兄(あに)を敬(けい)せん。酌(く)まば則(すなわ)ち誰(たれ)をか先(さき)にせん。曰(いわ)く、先(ま)ず郷人(きょうじん)に酌(く)まん。敬(けい)する所(ところ)は此(ここ)に在(あ)り。長(ちょう)ずる所(ところ)は彼(かれ)に在(あ)り。果(は)たして外(そと)に在(あ)り、内(うち)由(よ)りするに非(あら)ざるなり。公都子(こうとし)答(こた)うること能(あた)わず。以(もっ)て孟子(もうし)に告(つ)ぐ。孟子(もうし)曰(いわ)く、叔父(しゅくふ)を敬(けい)せんか。弟(おとうと)を敬(けい)せんか。彼(かれ)将(まさ)に曰(い)わんとす、叔父(しゅくふ)を敬(けい)す、と。曰(い)え、弟(おとうと)、尸(し)(※)たらば、則(すなわ)ち誰(たれ)を敬(けい)せん。彼(かれ)将(まさ)に曰(い)わんとす、弟(おとうと)を敬(けい)す、と。子(し)曰(い)え、悪(いずく)んぞ其(そ)の叔父(しゅくふ)を敬(けい)するに在(あ)らんや。彼(かれ)将(まさ)に曰(い)わんとす、位(くらい)の在(あ)るの故(ゆえ)なり、と。子(し)亦(また)曰(い)え、位(くらい)の在(あ)るの故(ゆえ)ならば、庸(つね)の敬(けい)(※)は兄(あに)に在(あ)り。斯須(ししゆ)の敬(けい)(※)は郷人(きょうじん)に在(あ)り。季子(きし)之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、叔父(しゅくふ)を敬(けい)すべければ則(すなわ)ち敬(けい)し、弟(おとうと)を敬(けい)すべければ則(すなわ)ち敬(けい)す。果(は)たして外(そと)に在(あ)り。内(うち)由(よ)りするに非(あら)ざるなり。公都子(こうとし)曰(いわ)く、冬日(とうじつ)は則(すなわ)ち湯(ゆ)を飲(の)み、夏日(かじつ)は則(すなわ)ち水(みず)を飲(の)む。然(しか)らば則(すなわ)ち飲食(いんしょく)も亦(また)外(そと)に在(あ)るか。

(※)孟季子……告子学派の人。どういう人物かよくわかっていない。
(※)公都子……孟子の弟子。
(※)伯兄……長兄。兄弟は伯・仲・叔・季の順で呼ばれた。
(※)尸……かたしろ。祭祀のときに神霊の身代わりとして供物を受ける役割の人。
(※)庸の敬……普段の敬。平常の敬。
(※)斯須の敬……一時の敬。

【原文】
孟季子、問公都子曰、何以謂義內也、曰、行吾敬、故謂之內也、鄕人、長於伯兄一歲、則誰敬、曰、敬兄、酌則誰先、曰、先酌鄕人、所敬在此、所長在彼、果在外、非由內也、公都子不能答、以吿孟子、孟子曰、敬叔父乎、敬弟乎、彼將曰敬叔父、曰、弟、爲尸則誰敬、彼將曰、敬弟、子曰、惡在其敬叔父也、彼將曰、在位故也、子亦曰、在位故也、庸敬在兄、斯須之敬在鄕人、季子聞之曰、敬叔父則敬、敬弟則敬、果在外、非由內也、公都子曰、冬日則飮湯、夏日則飮水、然則飮⻝亦在外也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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