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第162回

396〜398話

2021.11.16更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐1 人民は国を正しくしたいと望んでいる

【現代語訳】
孟子は言った。「ここに人があって、『私は、陣立ても上手だし、戦争も上手である』というようなことがあれば、それは大罪人と言える。そもそも国君が仁を好めば、天下に敵する者などいないのである。例えば、昔、殷の湯王が南方に征伐に行くと、北方の狄(えびす)たちが怨み、東方に向かって征伐に行くと、西方の夷(えびす)たちが怨んで、『どうして私たちのほうを後まわしにするのか』と言ったという。周の武王が殷を征伐したときは、兵車三百台、兵士三千人という少なさであった。しかし、武王は、『恐れることはない。あなたたちを安らかにするために来たのだ。一般の人々を敵とするのではないのだから』と言った。それを聞いて、殷の人々は、皆崩れるように額を地につけて平伏したという。そもそも征という言葉の意味は正することである。人民がめいめいに、自分の国を正しくしたいと望んでいるのだ。だとすれば、どうして戦などを用いる必要があろうか」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)有(あ)り曰(いわ)く、我(われ)善(よ)く陳(じん)(※)を為(な)し、我(われ)善(よ)く戦(たたか)いを為(な)す、と。大罪(だいざい)なり。国君(くにくん)仁(じん)を好(この)めば、天下(てんか)敵(てき)する無(な)し。南面(なんめん)して征(せい)すれば(※)、北狄(ほくてき)怨(うら)み、東面(とうめん)して征(せい)すれば、西夷(せいい)怨(うら)む。曰(いわ)く、奚(なん)為(す)れぞ我(われ)を後(あと)にする、と。武王(ぶおう)の殷(いん)を伐(う)つや、革車(かくしゃ)三百両(さんびゃくりょう)、虎賁(こほん)(※)三千人(さんぜんにん)。王(おう)曰(いわ)く、畏(おそ)るること無(な)かれ、爾(なんじ)を寧(やす)んずるなり。百姓(ひゃくせい)を敵(てき)とするに非(あら)ざるなり、と。崩(くず)るるが若(ごと)く厥角稽首(けっかくけいしゅ)す(※)。征(せい)の言(げん)たる、正(せい)なり。各〻(おのおの)己(おのれ)を正(ただ)しくせんと欲(ほっ)するなり(※)。焉(いずく)んぞ戦(たたか)いを用(もち)いん。

(※)陳……ここでは陣のこと。
(※)南面して征すれば……殷の湯王が征伐に行ったときのことを指す。梁恵王(下)第十一章一、滕文公(下)第五章二参照。
(※)虎賁……兵士のこと、虎のように賁(はし)(奔)るの意味。
(※)厥角稽首す……額を地につけて平伏する。
(※)各己を正しくせんと欲するなり……民がめいめいに自分の国を正しくしたいと望んでいるのだ。これに対し「各己を正しくせんと欲せば」と仮定の意味として読む説もある。原文の「也」を助辞ととらえて読まないのであるが、これを素直に読むと、本文のように解されると考える。

【原文】
孟子曰、有人曰、我善爲陳、我善爲戰、大罪也、國君好仁、天下無敵焉、南面而征、北狄怨、東面而征、西夷怨、曰、奚爲後我、武王之伐殷也、革車三百兩、虎賁三千人、王曰、無畏寧爾也、非敵百姓也、若崩厥角稽首、征之爲言、正也、各欲正己也、焉用戰。

5‐1 意欲して努力しないと上達しない

【現代語訳】
孟子は言った。「建具屋、大工、車輪づくり、車台づくりは、人にコンパス、定規を与え、その使い方を教えることはできるが、人の腕前を上達させることはできない」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、梓(し)(※)・匠(しょう)(※)・輪(りん)(※)・輿(よ)(※)は、能(よ)く人(ひと)に規矩(きく)を与(あた)うるも、人(ひと)をして巧(たくみ)ならしむること能(あた)わず。

(※)梓……建具屋。
(※)匠……大工。
(※)輪……車輪づくり。
(※)輿……車台づくり。

【原文】
孟子曰、梓・匠・輪・輿、能與人規矩、不能使人巧。

6‐1 どんな境遇であろうとそれに安んじた生活をする

【現代語訳】
孟子は言った。「舜が、天子になる前、ただの庶民として貧しい生活をし、乾(ほし)飯(いい)や野菜だけの質素な食事をし、そのまま一生涯を終えるかのようであった(それでもそれに不満はなかった)。ところが天子になると、立派な衣服を身にまとい、琴をかなでて楽しみ、堯帝の二女が側にはべっている生活を送った。これも前からそうであるかのようであった(決して天子の生活だからと舞い上がることなく、落ちついたものであった)」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、舜(しゅん)の糗(ほしいい)(※)を飯(くら)い草(くさ)を茹(くら)う(※)や、将(まさ)に身(み)を終(お)えんとする(※)が若(ごと)し。其(そ)の天子(てんし)と為(な)るに及(およ)びてや、袗衣(しんい)(※)を被(こうむ)り、琴(きん)を鼓(こ)し、二女(にじょ)果(はんべ)る(※)。之(これ)を固有(こゆう)するが若(ごと)し。

(※)糗……乾(ほし)飯(いい)のこと。
(※)茹う……くらう。食事をする。
(※)身を終えんとする……生涯を終えるかのようであった(それでもそれに何の不満はなかった)。そのとき、そのときの境遇に合わせて、自分の人生を楽しみ、道を求めていくことをするのを孔子も孟子も尊んだ(万章(上)第七章では伊尹の例を出してこれを説いている)。『論語』でも次のように孔子は述べている。「子(し)、衛(えい)の公子(こうし)荊(けい)を謂(い)う。善(よ)く室(しつ)に居(お)る、と。始(はじ)めて有(あ)るや曰(いわ)く、苟(いやし)くも合(がっ)せり、と。少(すこ)しく有(あ)れば曰(いわ)く、苟(いやし)くも完(まった)し、と。富有(ふゆう)なれば曰(いわ)く、苟(いやし)くも美(び)なり、と」(子路第十三)。
(※)袗衣……画衣。晴れ着。立派な服。
(※)果る……側にはべる。

【原文】
孟子曰、舜之飯糗茹草也、若將終身焉、及其爲天子也、被袗衣、鼓琴、二女果、若固有之。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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