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第165回

405〜407話

2021.11.19更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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13‐1 不仁の者に天下を得ることはできない

【現代語訳】
孟子は言った。「不仁の者でも国を得る者はあるだろう。しかし、不仁の者で、天下を得た者など、いまだかつてないのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、不仁(ふじん)にして国(くに)(※)を得(う)る者(もの)は、之(これ)有(あ)らん。不仁(ふじん)にして天下(てんか)を得(う)るは、未(いま)だ之(これ)有(あ)らざるなり。

(※)国……諸侯の国・領土を指す。次の「天下」は、中国全体の天子を指していると解する。

【原文】
孟子曰、不仁而得國者、有之矣、不仁而得天下、未之有也。

14‐1 民が一番貴い

【現代語訳】
孟子は言った。「国においては、民が一番貴く、社稷、つまりその土地や穀物の神をその次に貴いものとし、君主は一番軽いものとする。だから、広く天下の民に認められることで天子となれ、その天子に認められて諸侯になり、その諸侯に認められて大夫となることができる。もし諸侯が道に合わない間違った治め方をして、社稷、つまり国を危うくすると、その君主を廃して、新しい賢君を立てる。また、社稷の祭りに供えるいけにえが十分に成長し、穀物の供え物も十分清らかになり、祭祀も時期正しくやったにもかかわらず、旱ばつや水害があるようなら、社稷の神を取りかえるのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、民(たみ)を貴(たっと)しと為(な)し、社稷(しゃしょく)(※)之(これ)に次(つ)ぎ、君(きみ)を軽(かろ)しと為(な)す。是(こ)の故(ゆえ)に丘民(きゅうみん)(※)に得(え)られて天子(てんし)と為(な)り、天子(てんし)に得(え)られて諸侯(しょこう)と為(な)り、諸侯(しょこう)に得(え)られて大夫(たいふ)と為(な)る。諸侯(しょこう)社稷(しゃしょく)を危(あや)うくすれば、則(すなわ)ち変(へん)置(ち)す。犠牲(ぎせい)既(すで)に成(な)り、粢(し)盛(せい)(※)既(すで)に潔(いさぎよ)く、祭祀(さいし)時(とき)を以(もっ)てす。然(しか)るに旱乾(かんかん)水溢(すいいつ)(※)あれば、則(すなわ)ち社稷(しゃしょく)を変置(へんち)す(※)。

(※)社稷……「社」は土地の神、「稷」は穀物の神。国家のことを社稷とも言う。尽心(上)第十九章参照。
(※)丘民……広く天下の民。衆民。
(※)粢盛……穀物の供え物。きびを器に盛って神前に供えるもの。
(※)水溢……水害。大水。
(※)社稷を変置す……社稷の神を取りかえる。なお、これに対して社稷の神の位置を移すと解する説もある。なお、本章では、孟子の歴史観、宗教観がよくわかる。民が一番上で、その民を不幸にするものは、もはや君としての資格はなく、一夫にすぎないため、これを替えてもよいことになる(易姓革命論、梁恵王(下)第八章および三章三の注釈参照)。そこでも吉田松陰の説明を紹介したが、本章の解説でも松陰は日本と中国の違いを述べ、次のように結論づける。「天下(てんか)より視(み)れば人(じん)君(くん)程(ほど)尊(とうと)き者(もの)はなし。人君(じんくん)より視(み)れば人(じん)民(みん)程(ほど)貴(とうと)き者(もの)はなし。此(こ)の君民(くんみん)は開闢(かいびゃく)以来(いらい)一日(いちにち)も相(あい)離(はな)れ得(う)る者(もの)に非(あら)ず。故(ゆえ)に君(きみ)あれば民(たみ)あり、君(きみ)なければ民(たみ)なし。又(また)民(たみ)あれば君(きみ)あり、民(たみ)なければ君(きみ)なし」(『講孟箚記』)。今日のいわゆる〝象徴天皇〟(日本国憲法第一条参照)を見事に説いていると思われる。孟子によると中国では、民が一番上であり、これを不幸にするものは、天子や君としての資格はなくなり、変えられることになる。この孟子の論理からすると、現在の中国共産党の支配体制も長くは続かないことになるのではないか。

【原文】
孟子曰、民爲貴、社稷次之、君爲輕、是故得乎丘民而爲天子、得乎天子爲諸侯、得乎諸侯爲大夫、諸侯危社稷、則變置、犠牲旣成、粢盛旣潔、祭祀以時、然而旱乾水溢、則變置社稷。

15‐1 聖人たちの偉大な教え

【現代語訳】
孟子は言った。「聖人は百代にわたって(長い間続く)の人々の師である。例えば、伯夷・柳下恵はこの例である。だから、伯夷のあの清廉潔白な遺風を聞くと頑貪な者も清廉になり、だらしなくて情けない者も志を立てしっかりやろうという気になる。柳下恵の寛容な遺風を聞くと、人情の薄い者も人情が厚くなり、度量の狭い者も寛大になる。百代も前に奮起した人が百代世の後にでも興起させているのは聖人だからこそできることである。百世の後でもこのようであるから、こうした聖人たちと直接に薫陶、教化された者は、どんなものであったのだろう(さぞすごく教化されたものであろう)」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、聖人(せいじん)は百世(ひゃくせい)の師(し)なり。伯夷(はくい)・柳下恵(りゅうかけい)是(これ)なり。故(ゆえ)に伯夷(はくい)の風(ふう)(※)を聞(き)く者(もの)は、頑夫(がんぷ)も廉(れん)に、懦夫(だふ)も志(こころざし)を立(た)つる有(あ)り。柳下(りゅうか)恵(けい)の風(ふう)を聞(き)く者(もの)は、薄夫(はくふ)も敦(あつ)く、鄙夫(ひふ)も寛(かん)なり。百世(ひゃくせい)の上(うえ)に奮(ふる)い(※)、百世(ひゃくせい)の下(もと)、聞(き)く者(もの)興起(こうき)せざるは莫(な)きなり。聖人(せいじん)に非(あら)ざれば、能(よ)く是(かく)の若(ごと)くならんや。而(しか)るを況(いわ)んや之(これ)に親炙(しんしゃ)(※)する者(もの)に於(お)いてをや。

(※)風……遺風。なお、本章は万章(下)第一章参照。
(※)奮い……奮起。
(※)親炙……その人に直接教わること。現代日本でも使われる「親炙」の語源である。通常の意味は「尊敬する人と実際に交際して、直接その感化を受けること」(『新明解国語辞典』三省堂)などとされている。

【原文】
孟子曰、聖人百世之師也、伯夷・柳下惠是也、故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫有立志、聞柳下惠之風者、薄夫敦、鄙夫寛、奮乎百世之上、百世之下、聞者莫不興起也、非聖人、而能若是乎、而況於親炙之者乎。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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