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第50回

118〜119話

2021.06.03更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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9‐1 おべっか使いの佞人は平気に何でも言う


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。燕の人が斉にそむいた。孟子の忠告を聞かずにいた王は言った。「自分は、孟子に対し、はなはだ恥ずかしい」。臣の陳賈は言った。「王さま。心配することはありません。王と周公とを比べてどちらが仁かつ智であると思われますか」。(周公のような聖人と比べて)王は驚いて言った。「ああ、これは何ということを言うのか」。陳買は言った。「周公は兄の管叔をして殷の地を監督させました。ところが管叔は、殷の地で周にそむきました。周公が初めから管叔がそむくのを知っていたのなら、それは不仁だし、知らないで監督させたのならそれは不智です。仁と智については、周公もまだ十分でなかったということです。してみれば、まして王が仁と智が十分に到っていなくても、心配しなくてもいいのではないですか。ここはひとつ私が孟子に会って、このことを弁解したいと思います」。

【読み下し文】
燕人(えんひと)畔(そむ)く(※)。王(おう)曰(いわ)く、吾(わ)れ甚(はなは)だ孟子(もうし)に慙(は)ず。陳買(ちんか)曰(いわ)く、王(おう)、患(うれ)うること無(な)かれ。王(おう)自(みずか)ら以(もっ)て周公(しゅうこう)と孰(いず)れか仁(じん)且(か)つ智(ち)なりと為(な)すか。王(おう)曰(いわ)く、悪(ああ)、是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞや。曰(いわ)く、周公(しゅうこう)(※)は管叔(かんしゅく)(※)をして殷(いん)を監(かん)せしむ。管叔(かんしゅく)殷(いん)を以(もっ)て畔(そむ)けり。知(し)りて之(これ)をせしむれば、是(こ)れ不仁(ふじん)なり。知(し)らずして之(これ)をせしむれば、是(こ)れ不智(ふち)なり。仁智(じんち)は、周公(しゅううこう)も未(いま)だ之(これ)を尽(つ)くさざるなり。而(しか)るを況(いわ)んや王(おう)に於(お)いてをや。買(か)請(こ)う、見(み)て(※)之(これ)を解(と)かん。

(※)燕人畔く……燕の人が斉にそむいた。紀元前三一二年のことであり、斉による占領の二年目であった。前章と本章の間に梁恵王(下)第十章と第十一章を入れて読むとよく事情がわかる。最終的に孟子は斉王に、燕からの略奪をやめ、燕の人の希望を聞いて新しい君主を立て、斉の軍隊を早く引き揚げることを忠告していた。
(※)周公……周公旦。周の文王の子。武王の弟。魯の始祖。孔子が尊敬した。
(※)管叔……周公の兄で武王の弟。
(※)見て……(孟子に)会って。

【原文】
燕人畔、王曰、吾甚慙於孟子、陳賈曰、王、無患焉、王自以爲與周公孰仁且智、王曰、惡、是何言也、曰、周公使管叔監殷、管叔以殷畔、知而使之、是不仁也、不知而使之、是不智也、仁智、周公未之盡也、而況於王乎、賈請、見而解之。

 

9‐2 君子は過ちがわかるとすぐに改める


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(陳賈は孟子に会い)問うて言った。「周公はどんな人ですか」。孟子は答えた。「昔の聖人です」。陳賈は、さらに問うた。「周公は、管叔に殷の監督をさせたところ、管叔は、殷の人と周にそむいたというのですが、これは本当ですか」。孟子は答えた。「その通りです」。そこで陳賈はさらに聞いた。「周公は管叔がそむくのを知っていながら殷の監督をさせたのでしょうか」。孟子は答えた。「知りませんでした」。しめたとばかりに陳賈は言った。「それならば、聖人でも過ちがあるのですね」。孟子は、陳賈の狙いを打ち砕いて、次のように言った。「周公は弟で、管叔は兄です。兄弟は互いに信頼し合うものであり、周公が過失を犯すのも、もっともなことではありましょう。また、昔の君子は、過ちを犯したなら、それは日食、月食のように、隠しもしないので民はよくこれを見ます。そして昔の君子は過ちがわかるとすぐに改めるので、人々はさらにこれを仰ぎ見るのです。ところが今の君子は、その過ちを、改めようとしないばかりか、ごまかすための言い訳までつくり上げようとします」。

【読み下し文】
孟子(もうし)を見(み)て問(と)うて曰(いわ)く、周公(しゅうこう)何人(なんぴと)ぞや。曰(いわ)く、古(いにしえ)の聖人(せいじん)なり。曰(いわ)く、管叔(かんしゅく)をして殷(いん)を監(かん)せしめしに、管叔(かんしゅく)殷(いん)を以(もっ)て畔(そむ)く。諸(これ)有(あ)りや。曰(いわ)く、然(しか)り。曰(いわ)く、周(しゅう)公(こう)は其(そ)の将(まさ)に畔(そむ)かんとするを知(し)って、而(しか)して之(これ)をせしめしか。曰(いわ)く、知(し)らざるなり。然(しか)らば則(すなわ)ち聖人(せいじん)すら且(か)つ過(あやま)つこと有(あ)るか。曰(いわ)く、周公(しゅうこう)は弟(おとうと)なり。管叔(かんしゅく)は兄(あに)なり。周公(しゅうこう)の過(あやま)つも、亦(また)宜(むべ)ならずや(※)。且(か)つ古(いにしえ)の君子(くんし)(※)は、過(あやま)てば則(すなわ)ち之(これ)を改(あらた)む。今(いま)の君子(くんし)は、過(あやま)てば則(すなわ)ち之(これ)に順(したが)う。古(いにしえ)の君子(くんし)は、其(そ)の過(あやま)つや、日月(じつげつ)の食(しょく)するが如(ごと)し。民(たみ)皆(みな)之(これ)を見(み)る。其(そ)の更(あらた)むるに及(およ)んでや、民(たみ)皆(みな)之(これ)を仰(あお)ぐ。今(いま)の君子(くんし)は、豈(あに)徒(ただ)に之(これ)に順(したが)うのみならんや。又(また)従(したが)って之(これ)が辞(じ)を為(な)す。

(※)周公の過つも、亦宜ならずや……周公が過失を犯すのも、もっともなことでありましょう。孟子は兄弟は信頼し合うのが人情であり、周公の我欲による過ちと、まったく訳が違うのだと言いたいようである。なお、吉田松陰は、「人(ひと)を信(しん)ずる者(もの)は、其(そ)の功(こう)を成(な)すこと、往々人(おうおうひと)を疑(うたが)う者(もの)に勝(まさ)ることあり」とし、源氏の政権が続かなかったのは頼朝が弟の義経を疑って殺したからだとする(『講孟箚記』)。
(※)古の君子……昔の君子。ここで古の君子を説明する二つの話は『論語』からのものである。最初のものは、「過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ」(学而第一、子罕第九)。次のものは「子貢(しこう)曰(いわ)く、君子(くんし)の過(あやま)ちや、日月(じつげつ)の食(しょく)の如(ごと)し。過(あやま)てば人(ひと)皆(みな)之(これ)を見(み)る。更(あらた)むれば人(ひと)皆(みな)之(これ)を仰(あお)ぐ」(子張第十九)である。

【原文】
見孟子問曰、周公何人也、曰、古聖人也、曰、使管叔監殷、管叔以殷畔也、有諸、曰、然、曰、周公知其將畔、而使之與、曰、不知也、然則聖人且有過與、曰、周公弟也、管叔兄也、周公之過、不亦宜乎、且古之君子、過則改之、今之君子、過則順之、古之君子其過也、如、日月之食、民皆見之、及其更也、民皆仰之、今之君子、豈從順之、又從爲之辞。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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