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第77回

181〜182話

2021.07.12更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐1 徳の小さい者は徳の大きい者に使役される


【現代語訳】
孟子は言った。「天下に正しい道理が行われていれば、徳の小さい者は徳の大きい者に使役される。小賢の者は大賢の者に使役されることになる。しかし、天下に道理が行われていないときは、力だけが物を言うようになるため、小国は大国に使役され、弱国は強国に使役されることになる。この二つのことは、自然の道理、すなわち天の道理である。この天の道理に従う者は存立できるが、これに逆らう者は滅びることになる。昔、斉の景公は呉から娘を嫁にくれと求められたとき、『自分がすでに相手に命令する力がない以上、相手の命令を受けないと、国交を絶つことになる』と涙ながらに娘を呉にやった。しかし、今や小国は大国を(悪いところは)師として学びながら、しかし命令を受けることは恥としている。これは、弟子でありながら、先生に命じられることを恥じるようなものである。もし、大国からの命令を受けるのを恥と思うなら、周の文王を見習うのが一番良い。もし本当に文王を師として、これを見習い、仁義の道を実践していけば、大国なら五年、小国でも七年もすれば、必ず天下に政を行うほどに(すなわち王者と)なるであろう」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、天下(てんか)に道(みち)有(あ)れば、小徳(しょうとく)は大徳(だいとく)に役(えき)(※)せられ、小賢(しょうけん)は大賢(たいけん)に役(えき)せらる。天下(てんか)に道(みち)無(な)ければ、小(しょう)は大(だい)に役(えき)せられ、弱(じゃく)は強(きょう)に役(えき)せらる。斯(こ)の二(ふた)つの者(もの)は天(てん)なり。天(てん)に順(したが)う者(もの)は存(そん)し、天(てん)に逆(さか)らう者(もの)は亡(ほろ)ぶ。斉(せい)の景公(けいこう)曰(いわ)く、既(すで)に令(れい)すること能(あた)わず、又(また)命(めい)を受(う)けざるは、是(こ)れ物(もの)を絶(た)つなり、と。涕(なみだ)出(い)でて呉(ご)に女(めあ)わせり(※)。今(いま)や小国(しょうこく)、大国(たいこく)を師(し)として、而(しか)も命(めい)を受(う)くることのみを恥(は)ず。是(こ)れ猶(な)お弟子(ていし)にして命(めい)を先師(せんし)(※)に受(う)くることを恥(は)ずるがごときなり。如(も)し之(これ)を恥(は)じなば、文王(ぶんおう)を師(し)とするに若(し)くは莫(な)し。文王(ぶんおう)を師(し)とせば、大国(たいこく)は五年(ごねん)、小国(しょうこく)は七年(しちねん)にして、必(かなら)ず政(まつりごと)を天下(てんか)に為(な)さん。

(※)役せらる……使役される。
(※)女わせり……娘を嫁(とつ)がせる。
(※)先師……ここでは先生の意味。

【原文】
孟子曰、天下有道、小德役大德、小賢役大賢、天下無道、小役大、弱役強、斯二者天也、順天者存、逆天者亡、齊景公曰、既不能令、又不受命、是絶物也、涕出而女於呉、今也小國師大國、而恥受命焉、是猶弟子而恥受命於先師也、如恥之、莫若師文王、師文王、大國五年、小國七年、必爲政於天下矣、

 

7‐2 天命は徳によって変わる(仁者にかなうものなどいない)


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「『詩経』には、こうある。『殷の子孫はその数(かず)十万をくだらない。しかし、(紂王の暴政があったため)天帝によって天命がくだされ、彼らを周に帰服させた。このように周に帰服させてしまったのは、天命というものは常に一定しておらず、徳がなければ去ってしまうものだからである。殷の士たちは、立派で優れた人たちであったが(天命が変わったことで)、周の都に来て祭礼を手伝うこととなった』と。孔子は言った。『仁者には、大勢の人を立ち向かわせたとしてもかなわない』と。このように、国の君が仁を好み、実践するようだと天下に敵などいなくなる。今、諸侯たちは天下に敵なしとなることを望んでいるのに、仁を行わない。これは、熱いものを握ったときに、手を水で冷やさないようなものである。『詩経』もこう言っている。『誰でも熱いものを握ったら、手を水で冷やす』と」。

【読み下し文】
詩(し)に云(い)う、商(しょう)の孫子(そんし)(※)、其(そ)の麗(かず)(※)億(おく)(※)のみならず。上帝(じょうてい)既(すで)に命(めい)じて、侯(こ)れ周(しゅう)に服(ふく)せしむ。侯(こ)れ周(しゅう)に服(ふく)せるは、天命(てんめい)は常(つね)靡(な)し。殷士(いんし)膚敏(ふびん)(※)なるも、京(けい)(※)に祼将(かんしょう)す(※)、と。孔子(こうし)曰(いわ)く、仁(じん)には衆(しゅう)を為(な)すべからず、と。夫(そ)れ国君(こくくん)仁(じん)を好(この)めば、天下(てんか)に敵(てき)無(な)し。今(いま)や天下(てんか)に敵(てき)無(な)からんを欲(ほっ)して、而(しか)も仁(じん)を以(もっ)てせず。是(こ)れ猶(な)お熱(ねつ)を執(と)りて而(しか)も以(もっ)て濯(たく)せざる(※)がごとし。詩(し)に云(い)う、誰(たれ)か能(よ)く熱(ねつ)を執(と)るに、逝(ここ)に濯(たく)を以(もっ)てせざらん、と。

(※)商の孫子……殷の子孫。
(※)其の麗……その数。
(※)億……ここでは、十万のこと。
(※)膚敏……立派で優れている。「膚」は大、「敏」は達の意味。
(※)京……ここでは、周の都を指す。
(※)祼将す……祭礼を手伝う。
(※)熱を執りて而も以て濯せざる……熱いものを握ったときに手を水で冷やさない。以上が通説だが、ここの解釈については異論があり、前の文との比較から、「熱いものを握る前には、水で手を冷やすのにそれもしない」と解する説や「暑くてたまらないときには、水浴びをするものだがそれをしない」と解する説がある。文を素直に読むと通説によってよいと思われる。

【原文】
詩云商之孫子、其麗不億、上帝既命、侯于周服、侯服于周、天命靡常、殷士膚敏、祼將于京、孔子曰、仁不可爲衆也夫、國君好仁、天下無敵、今也欲無敵於天下而不以仁、是猶執熱而不以濯也、詩云、誰能執熱、逝不以濯。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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